Monthly Archives: August 2004

Laura Branigan Died At 47

ローラ・ブラニガン、47歳で死去。 シンガー、ローラ・ブラニガンが8月26日ニューヨークの自宅で、脳動脈瘤のため死去した。47歳だった。彼女はこの二週間ほど、友人に頭痛がすると言っていたが、特に医者に診てもらってはいなかった、という。ブラニガンは、1957年7月3日、ニューヨーク・ブリュースター生まれ。ハイスクール時代から学校でミュージカルなどを演じるようになり、エンタテインメントの世界にあこがれた。マンハッタンに移住してから、本格的に音楽活動を開始、70年代後半にはシンガー・ソングライター、レオナード・コーエンのバックコーラスなどの仕事をしていた。 1982年、アトランティックと契約。「オール・ナイト・ウィズ・ミー」は小ヒットだったが、続く「グローリア」が全米で最高2位を記録する大ヒットとなり、一躍注目のシンガーとなった。この曲自体は、元々79年にイタリアでウンベルト・トッツィーがヒットさせていたものの、アメリカ・ヴァージョン、カヴァーだった。 その後、「ソリテア」(83年、ポップで7位)、マイケル・ボルトンが書いた「ハウ・アム・アイ・サポーズト・トゥ・リヴ・ウィズアウト・ユー」(83年、12位)などのヒットを放った。後者は、89年にマイケル・ボルトン自身がレコーディング、シングルリリースし、さらに大ヒットとなっている。また映画のサウンドトラック(「フラッシュダンス」「ゴーストバスターズ」)などにも楽曲を提供していた。また女優としてもテレビ映画『白バイ野郎ジョン&パンチ』などに出演していた。 1996年夫が死去し、しばらくエンタテインメントの世界から遠ざかっていたが、2002年、ニューヨークで行われたジャニス・ジョプリンを描いたミュージカル『ラヴ、ジャニス』でジャニス・ジョプリン役を演じていた。 公式ページは、次の通り。 http://www.laurabraniganonline.com オフィシャルのバイオと死亡記事がすでにでている。http://www.laurabraniganonline.com/pr_current.htm ENT>OBITUARY>Branigan, Laura / 2004.08.26 (47)

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What Is The Best Picture Of Music

ライヴ映像。 マウントフジの映像について少し書いてみたい。ライヴ会場はかなり広い。キャパは5-6000人で、立派なステージの左右にテレビモニターのスクリーンがある。ドームなどでよく見られる、あれである。そこで行われているライヴショウの映像が映し出される。一番後ろで立って見ていたので、どうしても、その大きなモニターを見る機会が多くなってしまった。普通は、モニターはほとんど見ずにミュージシャンを直視することが多いのだが。 最低5台くらいのカメラがあったと思う。一番後ろ中央から真正面、全体をとるカメラが2台。ステージ真下にレールの上に乗って左右に移動するドリーカメラ。ステージの上の手持ちカメラが2台。もう一台どこかにあったかもしれない。 さて、そのモニター映像、それがそのままテレビ映像となって放送されるかはわからない。そのライヴ会場だけの映像かもしれない。放映分はもっときちんとした映像が編集されるのかもしれないが、ここのでライヴモニター映像がうっとうしく感じられた。まったくダメなのだ。とにかく画面の切り替えが忙しく、落ち着いて見ていられない。まったく集中できない。 例えば、ジョーサンプルのピアノソロになった。ワンテンポ遅れて(これポイント)、手持ちカメラが後ろからジョーを背中からとり、手元を映し出す。じっと見ているとあっという間に別の映像に切り替わってしまう。「おっと、もっと見たいぞ」と思ってももう遅い。また、このワンテンポ遅れてというのが、なさけない。事前にある程度、曲を知っていると、だいたいどこで誰のソロになるかがわかる。そうすると始まる直前くらいにそのソロを撮りはじめるのが美しい。 この次々に映像が切り替わるのはまあ、いかにも最近のヴァラエティー的というか、日本のテレビ的というか、しょうがないのかもしれないが、少なくともプロのミュージシャンの音楽映像にはなんとかしていただきたい。映像を作っている人たちは少なくとも音楽を知っている人ではない。あるいは音楽ライヴなどをあまり見たことがない人だろう。もう少し海外のものでもいいのでいい音楽ライヴの映像などを勉強してもらいたいものだ。 この映像を見ていて、自分が音楽ライヴを見るとき、どういう目線の動きをするかふと考えた。やはり、全体的なシーンを見て、ソロになると、そこに集中している。あるいは、ソロでない時でも誰かのプレイに集中したくなると、そこを見る。2秒ごとに視線が変わることはない。 正確には覚えていないのだが、かつてフレッドアステアが自分のダンスを撮らせる時、正面からカメラを動かさずに最後まで撮れと言ったというような話をどこかで読んだことがある。もっとも大事なことはパフォーマンス自体にパワーがあるとき、その被写体を撮る側は下手な小細工をするな、ということなのである。ライヴミュージシャンに力があれば、一番いいライヴ映像は、正面センターからとる固定映像だ。まずそのあたりの基本を知ってから、映像作りをして欲しい。日本人アイドルを撮るなら、カメラを動かし、いろいろと映像で遊んでもいいだろう。しかし、こうしたちゃんとしたプロのライヴミュージシャンを映像化するときは、音楽が好きで、音楽を知る、それなりのプロの撮影スタッフにやってもらいたい。オンエアされるものは、ちゃんとした映像になっていることを期待したい。 音楽ライヴを撮影する時のベストな映像は何か。大きなテーマだ。

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Crusaders In Misty

もや。 あいにくの小雨の中、マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル。一枚はおらないと、寒いほど。富士急ハイランドの中でやるライヴは僕は初めて。これは晴れていたら、最高のイヴェントだろうな。 ちょうど入ったら、リー・リトナーのライヴが始まった。椅子に座ると、濡れるので、後ろのミキサーの前あたりでずっと傘をさしながら立ってみていた。まず音のよさにびっくり。ミュージシャンも良いのだろうが、音響もいいのだろう。スポンサーがついていると、ライヴの予算もたっぷりあるのかな。 リー・リトナーは、メンバーもあいかわらずすごい。アーニー・ワッツのサックス、パトリース・ラッシェンのキーボード、アレックス・アクーニャのドラムにエイブラハム・ラボリエルのベース。最初の一音だけで、本物感が伝わってくる。「キャプテン・フィンガー」などなつかしの作品もやって受ける。 そして、ほぼ6時。だいぶ暗くなってから本日のトリ、クルセイダーズの登場だ。メンバー的には昨年の10月のブルーノートでのライヴと近い線で、選曲などもそれに準じる。 だが、ケンドリックス・スコット(ドラムス)、ジョー・サンプル(キーボード)、ウィルトン・フェルダー(サックス)、ニック・サンプル(ジョーの息子=ベース=予定のフレディー・ワシントンから変更)、そして、ギターに我らがレイ・パーカーらがくりだすリズムは、リトナーのものと違って、相当「黒かった」。いつも不思議に思う。この「黒さ」とは何か、と。「黒さ」のエッセンスはどこにあるのか。まあ、体ではわかっていても、なかなかうまく説明ができない。 ベースは今回初登場というか、ジョー・サンプルの息子、ニックがでてきた。確か前回だか父親と一緒に来ていたが、自分でもバンドをやっていた人物である。なかなかのベースを聴かせた。予定ではフレディー・ワシントンと発表されていたので、急遽変更になったのだろう。 そして、最後はレイ・パーカーが登場して、「ゴーストバスターズ」のところを「クルセイダーズ」に変えた替え歌で幕。 ライヴ半分を過ぎたあたり、ちょうど、「ショットガン・ハウス・ブルース」あたりから、低かった雲からもやがステージの上にゆっくりと降りてきた。通常の人工的なスモークマシンではなく、自然のもやがステージを、そして、会場全体を包み込むようになり、これはどのような演出家もできない見事な演出になった。もやの中のクルセイダーズ。この絵は、かなり幻想的だった。おそらくテレビ映像にももやっているところが映っていると思う。 SetlistCrusadersshow started 18.00 1. Free As The Wind (From “Free As The Wind”)2. Sprial (From “Those Southern Nights”)3. The Territory Of Groove (From “Rural Renewal”)4. It Happens Everyday (From “Free as … Continue reading

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Mount Fuji Jazz Festival

河口湖。 とりあえず、マウント富士ジャズフェスを見ようかと前日から河口湖の友人宅にやってきた。しかし、あいにくの雨だ。ジャズフェス自体は雨天決行なのだが、みんなどうするのだろう。 今年の目玉はクルセイダーズ、フィーチャリング ・レイ・パーカー。昨年のブルーノートでのあのライヴの再現になるのだろうか。 リー・リトナーあたりも一年ぶりくらいかな。晴れていればねえ、すごく気持ちいいのにね。日曜にはベンEキングが出るが、この日は東京にいるので見られません。

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Ray Charles VS Norman Sheef: Conversation Of The Masters

達人。 レイ・チャールズの最後のアルバム『ジーニアス・ラヴズ・カンパニー(邦題、ジーニアス・ラヴ~永遠の愛』が発売された。このCDには、なんとエクストラ映像が入っていた。僕は音だけしか聴いていなかったので、これはびっくり。 今作のジャケットの写真を撮影しているのは巨匠ノーマン・シーフ。その他に何人かの写真家がいる。そして、そのヴィデオ映像は、1985年、シーフがチャールズを撮影している時の記録映像だ。シーフがスチール写真を撮影している間中、チャールズに話しかけ続ける。キーボードの前に座ったチャールズは、時に演奏しながら質問に答える。 シーフは「初めてピアノを弾きだしたのはいくつの時ですか」と尋ねる。きっとこの質問は、レイ・チャールズへの万国共通の質問なのだろう。レイが「3歳の時から・・・」の話をする。その間も、ノーマンはパシャパシャとシャッターを切っている。そして、蝶ネクタイと新しいスーツに着替えたレイが再登場。今度はキーボードを弾きながら、会話が続く。 このシーンを見てノーマン・シーフの写真家としての魅力を垣間見た。なるほどねえ。こういう風な撮影セッションなんだあ。ノーマンとレイの間の会話でレイが乗ってきているのがわかる。そして、いい表情をするようになる。静物を撮るのと違い、人物を撮るということは、その瞬間瞬間を切り取らなければならない。ある瞬間は二度と繰り返されないのだ。名写真家というのは、きっとその一期一会の素晴らしい瞬間を切り取る確率が高い人なのだろう。ここでは、写真の達人が音楽の達人を撮影している。 +++ 生前葬。 彼が6月10日に亡くなっているという強烈な事実があるゆえに、改めてこのアルバムを聴くと、胸を打たれる。最後のアルバムが全曲デュエット・アルバムになっているところも運命的だ。確かに声が震え、その声力も全盛期と比べたら、弱々しいところもある。だが、今となってはそんなことは関係ない。 このアルバムの中で最初にレコーディングされた曲は、2003年6月のヴァン・モリソンとのデュエットだ。そして、最後に録音されたのが、今年3月録音のエルトン・ジョンとのデュエットとなった「ソリー・シームス・トゥ・ビー・ザ・ハーデスト・ワーズ(悲しみのバラード)」である。エルトンの曲は、好きな人から「つきあえません、ごめんなさい」と言われる歌。タイトル直訳は「『ごめんなさい(sorry)』という言葉は、もっともつらい一言だ」という意味。奇しくも「Sorry」は、「残念です」という死去に際してのお悔やみの言葉でもある。日本語で言えば「ご愁傷様です」にあたる。よって、この曲は「『ご愁傷様です』という言葉は、もっともつらい一言だ」ということにもなる。 レイは最後の力を振り絞って、マイクに向かい、ありのたけを歌った。若きシンガーから何十年も親友であるヴェテラン・アーティストまで、全米の音楽家たちがレイの周りに集まって、レイのために歌った。これは、言ってみればレイのための最高に派手な生前葬だ。レイ・チャールズ自身がその生前葬で辞世の歌をソウルを込めて吹き込んだ作品がこれだ。 レイ・チャールズは、クインシーからもらった5セントを片手に握り締めて、今、虹のかなたにいることだろう。 (8月29日・日曜日の『ソウルブレンズ』内「山野ミュージックジャム」=午後4時半から=でこのアルバムを紹介します)

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Is This A Dream Team? : Jonathan Grier & The Voices Of Judah

ハレルヤ。 それにしても圧巻だった。昼過ぎ突然ソウルメイトNから今日ゴスペルのライヴあるけど行きませんかとの誘い。しかし場所がなんと亀有だという。でもゴスペルなら行くしかない。純粋に音楽を聴きに行く。途中の首都高・三郷(みさと)線は大渋滞。それでもなんとか10分遅れで到着。 出し物はこれ。この中の8月25日のジョナサン・グリア&ザ・ヴォイセス・オブ・ジューダ。 http://homepage1.nifty.com/kgospel/ ロスアンジェルスからやってきたゴスペルクワイヤー。歌う人は12人、キーボードひとり、ディレクター(歌も歌う=ジョナサン・グリア)の計14人。いかにも、歌えそうなブラザー&シスターたちがステージにずらっと12人並んでいる。そして一曲ごとにソロイストが変わる。これが一々、うまいときた。まあ、当たり前なんだろうが、こう次々と迫力の歌唱を聴かされるともう、それだけでノックダウンである。ハレル~ヤ。 ゴスペルとブルーズというふたつの土台の上にソウル・ミュージックがレイ・チャールズなどによって作られた。そのソウル・ミュージックは、リズム&ブルース、ブラック・コンテンポラリー、そして、R&Bなどと呼ばれるようになり、今日まで脈々と続く。こうしたもっとも土台の部分に触れると、ふだん聴いているR&Bなどがいかに表層的な上澄みの部分だけかということを感じる。これはいい悪いの問題ではなく。 そうした一般的に売れているR&Bスターを、例えば、メジャーリーグのトップ選手とすると、こうしたゴスペルのシンガーたちは、1A,2A、3Aの選手たちだろう。だが、そんな選手でさえ、これだけの力がある。それぞれソロをとるシンガーたちは、今すぐにでもCDデビューできる実力の持ち主ばかりだ。こうしたクワイヤーがアメリカ中にあって、それこそ3歳とか5歳の頃から毎日のようにみんなが歌っているのだろう。こういう「歌う」システムがあれば、力のある歌手は自然にいくらでもでてくる。根本的に、アメリカのこうした歌手を生み出すシステムの力の前には、日本人などどう転んでも、かなわない。 ある者はテディー・ペンダグラス風、ある者はジェニファー・ホリデイ風、アレサ・フランクリンを彷彿とさせる者もいれば、グラディス・ナイトのような声のシンガーもいる。しかも歌われるゴスペルソングは、コンテンポラリーなわかり易いソウルになっている。いやあ、こういうコンテンポラリーなゴスペルはいいなあ。こういうのだったら、いつでも見に来たい。ハレル~~ヤ! 聞けばこのヴォイセス・オブ・ジューダには50人近くのシンガーが所属するという。ここに来た14人はその中でも精鋭ということか。まさに、ドリームティームではないかと思った。だが、きっと全員うまいのだろう。底力である。 楽器はキーボード一人だけなのだが、キーボードの生演奏のほか彼が打ち込んだ音をコンピューターから出す。しかし、そんなことはまったく関係ない。12人の声だけで、会場を圧倒する。いい歌い手は声だけで感動できる。ハレル~~~ヤ!! 最後に、この亀有地区のいくつかの教会クワイヤーのメンバーたちがステージに続々と上がった。その数200人近く。うそではない。野鳥の会の如くさっと数えたのだ。会場のキャパは600。観客側にいた3分の1はステージに上がってしまった。そして、彼らを総称して名前もあった。その名は—。「亀・かめ・カモーン・マスクワイヤー」である。うそではない。フライヤーにちゃんと書いてある。 入いる時にいろいろなフライヤーをもらった。その中にずいぶんアメリカからもゴスペル隊がきていることを知った。そして、帰り際には、「はい、聖書です。どうぞお読みください」と、小さな聖書をもらった。(ここだけの話だが、僕はそれよりも、歌い手たちのプロフィールとCDのほうが欲しかった。(笑))  あ、そうそう、これで2000円である。自費来日だそうだ。チケットプライスにもハレル~~~~ヤ!!! (2004年8月25日水曜、かめありリリオホール=ジョナサン・グリア&ヴォイセス・オブ・ジューダ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Grier, Jonathan & The Voices Of Judah

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Sergio Mendes: Brazilian Night

ブラジル。 ボサノヴァをモダンでポップに、さらにコンテンポラリーにした人。それがセルジオ・メンデスだ。このところ毎年のようにやってくる彼を久々に見た。それにしても、この明るさと、ポップさ、陽気さは、音楽の楽しさ満開だ。 ドラムス、キーボード2台、ギター、ベース、パーカッション、そして、女性コーラス3人という布陣。キーボード1台をセルメンが弾きながら、ときに歌う。1941年2月生まれだというから今年で63歳になるが、いやあ、若い。全体的に、個々のミュージシャンもしっかりしているので、リズム隊が強力。そして、そこにラウンジ風の軽いコーラスがはいって、良質のブラジリアン・ポップス・ウィズ・アメリカン・フレイヴァー、一丁あがりってな感じである。 途中、ひじょうにおもしろかったのが、パーカッション奏者がいろいろなパーカッションをだしてきて、少しずつ音をだすシーン。本当に見たこともないようなおもしろいパーカッションがある。カリンバみたいな音をだすもの、弓のようなもの、タンバリンもあれば、マーチングドラムのような小太鼓もある。また、やはり途中であったチョッパーベースと、そのパーカッション奏者の激しいバトルは見ごたえがあった。あれはかっこいい。ベースとパーカッションのインタープレイというのは、すばらしいアイデアだ。 途中、セルメンたちの大ヒット、「ルック・オブ・ラヴ」「フール・オン・ザ・ヒル」「マシュケナダ」などがメドレーでうたわれ、さすがに年齢層の高い観客に受けていた。あと、「デサフィナート」「トリステーザ」などの有名曲は客ものりのりになった。ブルーノート、ブラジリアン・ナイトになる一夜。 (2004年8月24日火曜セカンド、ブルーノート東京=セルジオ・メンデス・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Mendes, Sergio

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Tonki: Service Of Ton Of Ki

サーヴィス。 しかし、ここは本当にすごいな。夜、久々に目黒のとんきに行った。おそらくもう50年近く営業している有名店だが、ここのサーヴィスというものがひじょうにここちよい。なにより、清潔感のあふれる店内がきもちいい。別におしゃれでも、新しくもなにもないのだが、シンプルに素朴に、それでいて清潔感がいっぱいだ。カウンターだけのとんかつ屋。(2階はテーブル席もありますが)  今日店にはいったのは、ほとんど閉店間近の10時半くらいだったので、並んでいる人はいなかった。いつも行列になっている時は、カウンターの中の注文を取るおばさんが客の来た順番を実に正確に覚えていて、来た順番に空いた席に案内する。自分より前に来た人の順番は、わからないのだが、自分以降の人たちはわかる。そして、それが一々あっているのでいつも驚嘆する。一体あの記憶術はどうなっているのだろうか。注文伝票にその客の何か目印とか、洋服とか書いているのだろうか。彼女に任せておけば、順番は絶対に狂わない。客は順序良く並んでいるのではなく、適当にかなりばらけて、ベンチに座って待っているのに、順番を間違えないのである。よくラーメン屋で何人もの客の注文をすべて覚えていて驚かせるというのをやったりするが、この順番覚えもたいしたものだ。 とんきは、すべてがオルガナイズされていて、すばらしい。注文を取る。おしぼりが来る。お茶が来る。一人客の場合、すぐに新聞が持ってこられる。二人以上の場合は来ない。とんかつが来るまで、しばし新聞でもお読みになってお待ちください、というわけだ。しばらくしてご飯、味噌汁、おしんこ、とんかつがやってくる。キャベツがなくなると、どこからともなく、すっとキャベツのかごを持ってきて、「いかがですか」ときいてくる。その入ってきかたが、絶妙だ。食事がほぼ終りそうになると、再びおしぼりが来る。まもなく、楊枝が来る。楊枝にはガラスのコップが被せられている。 すでに、店は閉店準備をしている。床を磨く人、棚を掃除する人、食器を洗う人。もちろん、とんかつを揚げる人も仕事をしている。7-8人がてきぱきと自分の持ち場でしっかりと仕事をしている。この店には本当に無駄がない。そして、サーヴィスというものの本質がわかっている。グローヴァル系のフレンドリーなサーヴィスともまた違う、それでいて客を不快にさせない、良質のサーヴィスが完成している。 いつものおばさんが、カウンターにすわっていた僕に近寄ってこう言った。「ゆっくりしてってくださいね。騒がしいけどね」と言いながら、飴をふたつほど置いていったのだ。騒がしいというのは、片付けや掃除ががさがさしていることを気遣ってのものだった。いやあ、ここまでやるか。「1トンの気」を遣ってる店かな。

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Earth Wind & Fighters: Impersonation Band Of EWF

真似。 今日「ソウル・ブレンズ」にサルサ・バンドのオルケスタ・デラルスのノラさんとジンさんがゲストにやってきた。で、出演が終ってから談笑していると、その中で、彼らが元々スティーヴィーとかダニーとか、ファンクなどのソウルが大好きだという話になった。そこでまた一挙に話が盛り上がり始めたのだが、そのジンさん、なんとアースのコピーバンド、アース・ウインド&ファイターズを始めた人物だという。しかも、彼は同時にベッチンというヒップホップ系ソウルグループの一員としてもがんばっている、ということがわかった。いやあ、びっくりした。いろんなの掛け持ちしてるんですねえ。 その昔、アースの70年代そっくりのパフォーマンスを真似るバンドがいるといううわさをきいて、アース・フリークの友人と吉祥寺のスターパイン・カフェまではるばる見に行ったことがあった。それはそれは、徹底したコピーぶりに感嘆したものである。—と思ったのだが、よくよくうちに帰って調べると、99年6月6日のことで、しかも、なんと僕が見たのは同じくアースのコピーバンド、アース・ウィンド&ファイバーというバンドだった。昼間、ジンさんと話しているときは、ファイターズとファイバーをまったく混同していた。しかし、話は勢いついて、続いた。 ファイターズのほうは、なんとアルバムまで出していた。↓ ジャケット見てよ。http://ewfs.cool.ne.jp/jin/fighters.html 橋本仁さんのウェッブ。http://ewfs.cool.ne.jp/ そして、アース・ウィンド&ファイターズのウェッブ。http://ewfs.cool.ne.jp/jin/index.html ちょうど、僕は2-3日前、アースの昔の映像がDVD化されるので、そのライナーを書くために、何度も見ていたところだった。そこでいろいろアース話に花が咲いたのだが、ジンさんがこう告白した。「前はモーリス・ホワイト役を僕がやって、別にフィリップ・ベイリー役がいたんですけど、そのフィリップ役が今いなくてね。しょうがないから、僕が二人の役、いれかわりでやるんですよ」 その場で、ちょっとだけ、モーリスの歌とフィリップの歌の早変わりをやってくれた。歌舞伎なみの早さだ。(ウソ) だが、正真正銘の一人二役である。モーリスとフィリップの二人を一人でやるっていうその無謀さが笑える。 で、最近はどのあたりでライヴを? と尋ねると、高円寺のジロキチとか、とのお答え。「えええっ~~? でも、あそこめちゃくちゃ小さいでしょ、ステージも。みんなのれるんですか?」 「大丈夫ですよ、のれますよ。こんな、なって」と言いながら、両腕を体にぴったりくっつけ、直立不動の姿。受けた。すると、「いやあ、アースネタでこんなに受けてもらえるなんて、嬉しいなあ。じゃあ、モーリスホワイトの腰の動き、やってみます」と、言って、あのモーリスの腰の動きをその場でやってくれた! 「オオオオオッ~~」 オッシーとともに、バカ受けである。「すごいすごい」 拍手。「じゃあ、あの『レット・ザ・フィーリン・ショウ』のところの腕を前に出して、指さすやつは?」 「もちろん、できますよ!」と、軽く鼻歌歌いながら即やってくれました。いやあ、おもしろい。 彼らが3デイズなんかやる時など、1日だけはヒット曲はまったくやらずに、マニアックなこれは誰も知らないだろう、みたいな曲ばっかりでフルステージをするそうだ。初期の1-2枚目からの作品や、アルバムからのカットなどで選曲して。ほ~~~、そんなこともやってたんですか。 「衣装とかは、どうしてたんですか」 「あ~、あれはね、うちの奥さんの手作りなんですよ。でも、最近はもうメンバー全員分のはたいへんだって言って作ってくれなくて。僕の分しか作ってくれないんです。だから僕のだけは、どんどんきれいに新しいのになってくんですけど、みんなのはどんどんボロボロになっていったり、ある奴はジーパンにTシャツとかになっちゃってるんですよ」 おや~~。 スリー・ビックリーズなんかと一緒にステージやったらおもしろいんじゃないのだろうか。お笑いソウル・ショウ。仁さん、本名は「ひとし」というそうだが、誰もそうは呼ばない。大阪出身である。笑いのツボは押さえてる。う~~ん、なにか命名しましょうか。例えば~~~「コメディー・ソウル」とか「コメディー・ファンク」。「お笑いソウル」とか「ギャグ・ソウル」なんていかが。「じゃあ、こんどゆっくりソウル談義しましょう」ということになった。 (Special thanks to Mr.Morishima for information)

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Questions To Tao: Lessons About Wadaiko

講座。 タオのライヴが終った後、ロビーではCDやDVD、パンフレット、Tシャツなどが売られていた。また、海外の新聞にでた記事などもで展示されていて、そんなものをぶらぶら見ていると、メンバーたちがおりてきた。そこにいた人たちにちょっとした挨拶をして、「これからはおしゃべりタイムです」と言い、いろいろな人たちとの談笑が始まった。これはいい、とばかりにメンバーに声をかけた。 実はライヴを見ている最中、いろいろな疑問が浮かびあがっていて、それを紙にメモしていた。以下は疑問一覧表である。 +楽譜はあるのか。ある場合、アドリブはやるのか。アドリブ部分はあるのか。+この太鼓を作るのは誰? どんな木を使うのか。どれくらいの期間かかるのか。大きいのはいくらくらいするのか。+調律はどうするのだろうか。ピアノの調律師みたいのはいるのか。+皮の張り替えは。+新曲というか作曲はどうするのか。 近くにいた滝良平(たき・りょうへい)さんに聞いた。「楽譜はありますよ。太鼓でも音階がいくつかあるんです。五線譜ではないんですが、そこに音の高さが書いてあります。それと強さが書いてあります。だいたい十段階の強さを数字の1から10までで表しているんです」 アドリブはほとんどないという。曲を書くのは、それぞれがアイデアやテーマを持ち寄って、作り始め、そして一度メンバーに戻し、またそれぞれがやってきたことを集めて、作り上げていくという。なので、長くかかる曲は2ヶ月くらいかかるものもある。 「太鼓は、石川県にある浅野さんという太鼓作りの老舗の会社があって、そこはスポンサーにもなってくれているんですが、そこで作ってもらってます」 この会場に持ってきた一番大きな大太鼓(おおたいこ)と呼ばれる太鼓は、直径3尺8寸(約1.14メーター)。イギリスにひとまわり大きい4尺5寸(約1.35メートル)のものが行っている。ライヴが終った後、会場で近くによってじっくりと見たが、それはそれは立派なものだった。この元の木は、ブビンガというアフリカ産の木だという。本当は、昔のように日本のけやきやひのきで作るといいのだが、まずこれだけの大きさの木が見つからないこと、コストがものすごく高くなるために、日本の木で作るのは実質的にむずかしいそうだ。 直径1メートル以上の太鼓を作るためには、周りを削るので、最初はもっと太い木を探す。中をくりぬいて作る。だから樹齢も何百年という大木を探さなければならない。別の木と木をあわせたりはしない。胴が長いとやはりいい響きを生む。4尺5寸の大きいほうは、「平胴(ひらどう)」と呼んでいる。小さい太鼓は3週間くらいでできるが、大きいのは何ヶ月もかかる。3尺のほうでも500万円ちかくになるそうだ。4尺のほうはもっと高い。 調律ということはできないという。ネジで皮を締め付けているが、それを調整して音をいじるということはできない。また、太鼓は湿気が大敵。そこで湿度が高いときや、雨の時などは、皮のあたりを手やタオルなどでこすったり、時にはストーブで乾燥させて調整する。「今日はちょっと湿度があったせいか、予想以上に(音が)低くなっていましたね。あとで、調整します」と彼は言った。皮の張り替えは10年に一度くらい。太鼓自体は、半永久的に使えるという。 そこにもうひとり水藤義徳(すいとう・よしのり)さんが加わった。ふだんはどんな音楽を聴いているのですか、と尋ねると、「いろいろです。ロックも聴くし、最近では「フィール」でしたっけ、癒し系のオムニバスとかも」との返事。そこで、ひとしきり、ジャズドラマーなんかとセッションしてはどうか、という意見を言ってみた。 ところで、3尺とか4尺と言われてピンとこなかったのですね。で、帰って調べました。1尺は30.3センチ。そして、10寸が1尺ということで。 思わぬ和太鼓ミニ講座でした。ラッキ~。 (2004年8月20日金・国際フォーラム・ホールD7=タオ(TAO)ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Tao

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Samurai Soul Is Here To Stay: Tao Live At Kokusai Forum

サムライ。 舞台正面に5人の太鼓奏者が動いている。そして、舞台後方、観客席の後ろのほうに大太鼓と呼ばれる大きな太鼓。その間にはさまれて両方の音を聴いていると、まさにドラムの音に完璧に包み込まれる感じになる。九州大分を本拠に今や活動の地を日本だけでなく、海外にも伸ばさんとする和太鼓ユニット、タオ(TAO)の東京公演を初めて見た。まったく予備知識なしで見たが、かなり満足した。 国際フォーラムのD7という席数約300の会場は、竹林がレイアウトされ、マイナスイオンもいっぱいありそうな雰囲気。太鼓、ドラムなどは以前から大変興味のあるテーマでこの日記でもなんども取り上げているが、タオのライヴもそうした流れの中で語ってみたいパフォーマンスだった。(これまでのドラム関係の日記は下記を参照) 今回は、イギリス・エジンバラへ出張している部隊と二手に分かれて8名がここに参加。躍動感、リズム、日本音楽のグルーヴといったものが生み出されていた。かつて、深町純さんが「自分は日本の音楽をやりたい」と言っていたが、このタオの音楽などは、ある意味でまさに日本の音楽ではないだろうか。 和太鼓は、基本的にはメロディーを弾かない。笛が吹かれる作品が何曲かあるが、それでも、太鼓だけででてくる音圧は圧巻だ。ちょうど、前日見ていたアースのライヴDVDを思い出した。アースのドラムも、カリンバも、パーカッションも、音階はないが(もちろん、絶対音感的に正確に言えばあるが)飽きることがない。ものを叩くという行為が、音楽の原点であることを再び痛感させられる。そして、それが心地いい。 最後のMCにはいる前に演奏された曲「大祭」(だと思う)は、正面4つの太鼓を3人でクロスしながら叩く。しかも、ある程度の振り付けがあり、それぞれのプレイヤーが躍動的に踊る。後方の大太鼓との連係も見事だ。これは、モーリス・ホワイトや、マイケル・ジャクソン、そして、スティーヴィー・ワンダー(!)にも見せたい。ヴィジュアル面でも見せてくれた。和太鼓だけで、これだけのものを見せてくれると頼もしい。このパフォーマンスはちょっと鳥肌がたつほど興奮した。全体の和太鼓が並んだ瞬間など、最近の映画『ドラムライン』を思い出した。ここにもしブラックのグルーヴ感がはいっていたら、世界最強のリズムとでも言ってしまったかもしれない。(笑) さて、以上は前ふりで・・・。課題は、和太鼓はグルーヴを生むことができるか。和太鼓自体のアップテンポの作品の響きは、日本グルーヴというものがあるように思える。ただそれと、僕たちがよく言うブラック・フィーリングのためのある、後ろのりの、ソウル、ジャズのグルーヴとはやはり違う。しかし、前述の「大祭」という曲は、どんどんリズムが昇華していって、それに近づいているかなとも思った。 僕は、このタオのドラムスは、これはこれでものすごく個性があっていいと思う。一方で、もっと違うリズムとのクロスオーヴァーが見たいと強く感じた。一番思ったのは、例えば、デニス・チェンバースやソニー・エモリー、あるいは、オマー・ハキムでもいい、そうしたジャズが叩ける強力なドラマーとのバトルがものすごく見たい。彼らの黒いグルーヴを、日本の若き獅子たちがどう解釈し、自分の体内にいれ、それを消化し、さらに昇華できるか、大変興味がある。 カルチャーとは、世界各地にある個性ある各カルチャーが混ざり合っていくことでどんどん進化し、おもしろいものができあがっていくと、僕は確信している。彼らのプリミティヴなものももちろん、ひとつキープしておきたいが、一方でどんどんさまざまなドラマーたちと融合し、遊び、ジャンルを超えてセッションをして欲しいと願う。和太鼓プレイヤーの若き獅子たちに、さらに貪欲なミュージシャンになっていって欲しいと思った。 おそらく、彼らがデニスやソニーやオマーなんかとセッションし、フリーフォームのインタープレイなどを経験したら、ものすごく刺激され、これまでにないすごいものが生まれるに違いない。ジャズやアフリカやブラジルやソウルなどのグルーヴ感のあるドラムを浴びるほど聴いて、そういうものにインスパイアーされ、新しいものを作って欲しい。デニスとのアドリブのドラムバトルなどが起こったら、興奮のるつぼまちがいなしだ。 彼らが和太鼓を激しく叩いている姿を見て、そこから醸し出される音と熱気をあびていると、サムライのソウルを感じた。世界各地のソウルと熱き戦いをして欲しい。 (ライヴは、国際フォーラムD’で土曜、日曜もあります) タオ・公式サイトhttp://www.drum-tao.com/ これまでのドラム関連の日記 2004/04/21 (Wed)The Tugaru Live: Can Shamisen Make Groove? http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040421.html 2004/05/02 (Sun) Movie “Drumline”: Another Field Of Dreams http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040502-1.html 2004/03/22『ノイズ&ファンク』ライヴ評Bring In ‘Da Noise, Bring In ‘Da Funk: … Continue reading

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The Movie “Maestro”: Valued Archives

資料的価値。 なるほど。ラリー・レヴァンが果たした功績というのは、計り知れないものがあるんですね。ニューヨークで80年代に大きな話題を集めたディスコ、パラダイス・ガレージのDJ,ラリー・レヴァンは、ハウス・ミュージックのブレイクに大きく寄与した人物。しかし、典型的なジャンキーで、つねにハイだった。彼は92年11月8日、38歳で亡くなる。38歳だったのか。ラリーを知る人たちの様々な証言が次々とでてくる。映画『マエストロ』だ。渋谷のシネマ・ソサエティーで毎日9時半から上映している。 このニューヨークのクラブカルチャーというのは、なかなかおもしろい。ひとりのDJが毎週末3000人の観客を躍らせ続けるというのだから、そのパワーは半端ではない。 80年代初期、正体不明の病気が流行り始めた。誰かがステージに立って、安全なセックスを訴えた。だが、誰もその話を聞いていなかった。仲間たちがどんどん死んでいく。「毎日会っていたような自分の友達が60人も死んでみろよ。どうなるか、って」とDJのひとりが言う。活況を呈していたクラブシーンにくさびを打ち込んだのが、エイズだったということが改めて浮き彫りになった。 映像の中には、キース・へリングが踊っているシーンがある。アップになってキースが映っているが、そのカメラが引いていくと、壁面にヘリングが描いた絵が映し出された。へリングも30代でエイズで死んでいる。 それぞれのコメントがヴィヴィッドで、当時のクラブシーンのことがなんとなく、そうだったのか、というふうにわかる。さすがに、当時のディスコの映像は少ないのだろう。それでも、ここではずいぶんと貴重な映像がはいっていた。 ドキュメンタリー作品としては、厳しいものがあるが、資料としては充分価値のあるものだ。なにしろ、現場の一次情報がふんだんに収められているのだ。こういう資料的価値があるものは、どんどんと紹介されるといい。 映画の前のドクターコヤマの、ラリーが来日したときの裏話などもおもしろかった。 http://www.nowonmedia.com/MAESTRO/ ENT>MOVIE>REVIEW>Maestro

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Athens 2004 Olympics: The Gold Rush

時差。 もう、オリンピック花盛り。ただでさえ夜更かしなのが、こんなものやられた日には、もっと夜更かしになる。とはいうものの、もともと6時間くらい一般人の生活と時差がある僕なんぞは、ギリシャとの6時間の時差がちょうど同じくらいだろうか。(笑)←あんまり笑えない。 オリンピック開始前に書こうと思っていたのですが、なんやかんやでアップが遅れましたが、仲間内でオリンピックメダル予想というのをやりまして。12日付けの僕の予想は、こんな感じ。 日本の金、10日本の銀、9日本の銅、5 計24個。 昨日までで金6、銀2、銅1で、今日これに北島の金などが加わって8-3-1かな。大会6日でこれは順調ですね。なんか、これを超えそうで、すごいな、日本勢。 この数の根拠は、実は元ネタがありまして。アメリカの雑誌、スポーツ・イラステレーテッド誌の詳細予想があり、その日本人関連の部分をちょっと見たのです。 http://sportsillustrated.cnn.com/2004/olympics/medal.picks/ ここに各種目ごとの同誌の予想があります。ほとんど全部かな。これはすごいね。男子体操の団体は、同誌は中国を金、日本を銀と予想していた。日本の金は感動した。 その米スポーツイラストレーテッドの予想は 日本の金、8銀、12銅、4 計24個。 ということなので、これに少しアレンジを加えて、上記の予想にしたわけです。だってねえ、北島を銀にしてるからね、同誌は。それから、谷亮子も。これは日本人としては、納得できないわけで。 ちなみに、前回シドニーの日本のメダル数は5-8-5(順に金銀銅)、アトランタは3-6-5、ヴァルセロナは3-8-11でした。最高は64年東京オリンピックで16-5-8。 今回は予想を上回るペースで、すごいですね。応援にも熱がはいります。

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Maestro, Movie: Documentary Of New York Club Scene

ハウス。 今年は音楽関係のドキュメンタリー映画が豊作だ。この映画のタイトルは『マエストロ』。テーマはニューヨークのクラブシーン、しかもハウスを生み出した伝説のDJ、ラリー・レヴァンをフィーチャーしたものだ。すでに7月31日から渋谷シネマソサエティーでレイトショウ公開されている。特に告知らしい告知がなかったので、知らなかった。 http://www.nowonmedia.com/MAESTRO/ 明日19日(木)に、映画上映とともに、ニューヨーク・クラブ・シーンに詳しいドクター・コヤマのトークショウがあるというので、これは見逃せない。 たまたま2-3日前にこの映画の情報を知って、これは見に行こうと思っていた。そうしたら、まったく別件でニューヨークからやってきた友人と会うために待ち合わせ場所に行くと、そのドクター・コヤマがそこにいたのだ。なんという偶然。彼にこの映画についてきくと、いろいろと教えてくれた。 ニューヨーク・ハウスの重鎮と言えば、ディスコ「パラダイス・ガレージ」の伝説のDJ、ラリー・レヴァンだ。そのラリーはすでに故人となってしまったが、ラリーが来日した時にドクター・コヤマのとりはからいでインタヴューしたことがある。コヤマは、長くニューヨークにいて当地のクラブでDJをしていたこともあるので、そうしたDJらと知己がある。 映画を見たら、また感想文を書くことにする。ハウス、あるいはニューヨークのクラブシーンなどに興味がある方は、資料としても一度ごらんになられるといいと思う。

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Hot Chucho Valdes Makes Hot Summer Night

底力。 調べてみたら、このチューチョ・ヴァルデスは2000年4月17日と2001年7月23日に見ていた。以来およそ3年ぶりということになる。まだこの「ソウル・サーチン・ダイアリー」がなかったので、その時の模様は書いていない。やはり書いておかないと思い出せないなあ。ライヴは見たら書く。これを肝に銘じましょう。たしかおぼろげに激しいピアニストというのを覚えていたのだが・・・。激しいピアニストは他にもいるので。(笑) はっきり言ってキューバ出身というだけで、心情的にはプラス5点くらいいく。チューチョは、ダイナミックなピアニスト。がんがん行くタイプだ。背も高ければ、体全体もでかい。指もかなり太そうだ。そして、これにドラムス、ギター、ベース、サックス、トランペット、コンガがはいる。フルバンドの編成だ。そして、最後の2曲だけチューチョの妹カチータのヴォーカルが加わる。彼女が歌った「ベサメ・ムーチョ」は、いかにも日本人受けする。 特にこのコンガ奏者のジョラルディーは、かなりのドライヴ感があって見事だった。コンガだけでなく、自分の頬を叩いて、パーカッシヴな音を作るシーンがあったが、それがなかなかコミカルでインパクトが強い。 熱帯夜にキューバの疾走感と湿度が高いグルーヴ感のあるサウンドは、ぴったしだ。今回、チューチョは彼のグループ、イラケレと一緒のステージに上ったことで、少しばかり遠慮がちだったのかもしれない。もうちょっとソロがあってもよかったかな。 ジャンルをしいて言えば、アフロ・キューバン・ジャズ。しかしこうした音楽力を持ったミュージシャンたちを次々と輩出するキューバという国は、本当に底力がある。 ブルーノートのウェッブ。http://www.bluenote.co.jp/art/20040812.html (2004年8月16日月曜セカンド、東京ブルーノート=チューチョ・ヴァルデス、イラケレ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Valdes, Chucho / Irakere

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How To Write Anita Baker Piece

原稿。 『ソウル・ブレンズ』が終わり、反省会なども終了し、無事解散。僕は眠くなったので、いったん自宅に戻り、テレビをつけたまま若干の作業をしていた。ソファに横になったら、そのままうとうとしてしまい、そこに電話。なんとオッシーから。そういえば、別れ際に「アニタ・ベイカーの原稿書かなきゃいけないんですけど、書いてください」と言われていた。おそらく、それって、僕が一週間前にだしたのと同じ締切の原稿ではないの? (笑) 「書けないんですよ~~」と泣きがはいっていたので、これこれしかじか、こういうふうに書けばとアドヴァイスしたのだが、その続きかと思った。 ところが、彼がいたところは中目黒のレコードショップ「ワンウエイ」。そこで、またオッシー、バカ買いしてたのだが、その店長中村さんと話をしていたところ、どうやら僕の話をだしたらしい。中村さんは僕も20年以上前から存じ上げている。僕が20年以上前に書いたニューヨークのラジオ界の記事をお褒めいただき、そこからニューヨークサウンドの話にひろがっていて、オッシーが電話してきて、「はやく、来てください」と言う。僕は人がいいので、やることはいろいろあったが、中目黒にスクランブル発進した。 20分もしないで到着すると、二人が入口のところで立ち話をしている。オッシーは8時前にやってきて、すでに2時間以上、ここで話をしていたという。で、こんどは3人でまた、ひたすらいろんな話になる。昔のディスコの話、70年代の輸入盤業界の話、最近のニューヨークのDJ話、ミックステープの話などなど、話が尽きない。その間、ずっと立ち話である。 一番驚いたのは、ヴィデオを使ったミックスDVDである。音だけのミックステープではなく、プロモヴィデオなどを縦横無尽に編集し、音をあわせたミックス映像作品だ。もはや、こんなことができるのか。こうしたものに対するクリエイティヴな力には、本当に感服させられる。機材が発展し、それを使いこなす人間がでてくると、ほんとにまったく予期出来ないものもできてくる。このあたりについては、いずれもっと勉強して書いてみたい。 結局、店を出たのは1時過ぎだ。営業は12時までなので、以後は看板を下ろしての話になった。オッシーは都合5時間以上、いたことになる。僕も3時間くらいいた計算だ。 そして、その後アニタ・ベイカーの原稿の書き方アドヴァイスを近くのカフェでした。「初めてアニタのレコードを買った時のこと。初めて聴いた時のこと。そのときの情景や、風景、どんなところで、どのようにして聴いたか。オッシーは、『スイートラヴ』のアルバムを3-4枚買いなおしたと言っていたが、それはなぜか、とか。アニタのアルバムが出たのは86年だが、そのアルバムを買ったときに同時に買ったアルバムはなんだったか、とか。そういうことをうまく組み合わせて、自分の体験とアルバムを結びつけて書けばいいのよ」と熱弁をふるった。なんで、僕が熱弁しなければならないのか、よくわからないが。 「さすがに、今日はもう逃げられないなあ・・・」と彼はこぼしていた。明日までに原稿はできているだろうか。ふふふ。

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Talent Of Musicians VS Talent Of Listeners

対峙。 木下航志くんのライヴは1時間ちょっとだったが、邦楽洋楽とりまぜていろいろな曲を歌った。まだまだ試行錯誤の段階で、どういう曲が彼に本当にあうのか、どういう曲はあわないのか、未知数だが、それでも僕は個人的にはダニー・ハザウェイの3曲は「向いているなあ」と思ってしまう。それは僕がダニーなどのソウル系の音楽が好きだからという前提がある。だが、昨日のライヴを見に来たほとんどの人たちは、きっとダニー・ハザウェイなどのことを知る由もないだろう。逆に美空ひばりの曲のほうが受けるに違いない。このあたりのバランスの取り方がひじょうにむずかしい。 僕は、彼がこんご10年、20年とやっていく中で、まずはミュージシャン、アーティストとしてしっかりと地に足のついたことをやってほしい。だからいい楽曲を歌い、ヒット曲をだし、音楽で観客を集めて欲しい。 僕自身も「盲目の10代の少年」ということで彼を知ってしまったが、すぐにその音楽的許容量の広さに驚かされた。正直、今は「盲目の10代の少年」という事実が一人歩きして、彼の人気がブレイクしている。名が先にでてしまっていて、実がまだまだついてこない。 スティーヴィーが出始めたときも、モータウン社長ベリー・ゴーディーやスタッフはどうやって彼を売り出していいのかわからなかった。12歳の天才を売り出すために考えられたのは、1)先に盲目の天才シンガーとして人気を集めていたレイ・チャールズの名前を使うこと。その結果録音されたのが『トリビュート・トゥ・レイ・チャールズ』、2)ジャズスタンダードなどを歌うアルバム、当時モータウンはその手のアルバムをよくだした、3)そして、評判がよかった彼のライヴアルバムを作るというアイデアなどだ。いろいろ試行錯誤していたわけだ。結局、そのライヴの魅力が彼を大ブレイクさせることになる。 ライヴは、彼がライヴをやって観客を熱狂させていたので、その熱狂振りを録音してみようというあたりから始まった。すでにリトル・スティーヴィーは、彼の音楽で観客を熱狂させていた、という点が大きい。それは彼が盲目であるという以前に、ミュージシャンとしてすごい、歌がうまい、音楽の才能がある、そして、それを観客が充分に受け入れ、その音楽に反応しているということである。 リトル・コーシの場合、今のところ残念ながらそういう出方をしていない。テレビでドキュメンタリーが放送され、それで一挙に「彼の」人気に火がついているのだ。だから「彼の音楽」を聴きに来る人ももちろんいるだろうが、それ以上に「彼・本人」に会いに、彼を「見に」来る人が圧倒的だ。まだ、もの珍しさが先行しているのかもしれない。もちろん、最終的に彼の「人気」があがることは、CDの売り上げにつながるのだからいいのだろうが、一番の土台を固めておかないと足元をすくわれることになる。 だから、これは僕の勝手な意見に映るかもしれないが、例えば「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」のイントロのウォーリッツァーが響いた瞬間に「キャー」とか「オオッ」と叫ぶような観客の前で彼に歌わせてみたい。ミュージシャンはそうした観客の反応で、どんどん成長し、よくなっていくのである。 彼の音楽だけをなんらかの形で聞かせ、その他の付帯情報なしで興味を持った人たちだけを集めたライヴなんかをやってみたら、どうなるだろうか。実験としてはおもしろい。 リトル・コーシはたくさんのいい音楽を聴いて、吸収し、どんどんとミュージシャンとしての才能を開花させようとしている。それに対峙するには、僕たち観客側もたくさんの音楽を聴いて、聴く才能を磨いていかないといけないのだ。 ライヴ会場で素晴らしい奇跡のようなことが起こるのは、音楽をやる才能がずば抜けた人と、音楽を聴く才能がある観客が、出会い、スパークした瞬間である。もちろん将来、彼のライヴでそういうことが起こると僕は信じている。 (2004年8月13日金、下北沢440[フォーフォーティ]=木下航志ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Kishita Koshi Live

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Kishita Koshi Live: The Live Performance I Really Desired To See

第一回。 「これから始まる出来事のひとつひとつ、自分にふりかかるだろう。けれども、君と歩むから、けして失望はさせないよ」と彼は歌った。 僕は失望しなかった。 本当は11日のライヴに行きたかったのだが、仕事の関係でどうしてもいけず、やっとの思いで13日、ライヴを見ることができた。開場6時半、開演7時半だというのに、下北沢近辺には6時すぎには到着し、ライヴハウスの前にできた列に並んだ。こんなにひとりのライヴをわくわくして待ったのは一体何年ぶりだろう。年に100本ライヴを見るとしても、数年に一度あるかないかだろうな。今夜の主人公は1989年5月8日生まれ、現在15歳の木下航志(きした・こうし)くん、リトル・コーシだ。 本日記でもまだ名前も知らぬ男の子との出会いを書き、http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html それが、テレビのドキュメンタリーの主人公だったことを知った。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html そして、ついにこの日、リトル・コーシの生のライヴを見ることができる。 しかしなかなか始まらない。前座二組が終わり、本人が登場したのは8時46分。2時間以上待った。 スタッフの人に手を引かれ、キーボードの前に座り、ヘッドセットをつけてもらう。スタッフの彼はさしずめ、スティーヴィーで言えばキース・ジョン役か。キーボード一本で赤い鳥の72年のヒット「翼をください」を歌った。テレビで聴いたあの声だ。確かに、彼の声は特徴がある。ひじょうに耳に残る。まず、この声だけで、合格点である。そして4曲目にCDにもなっている「アメイジング・グレイス」がきた! 彼の声はすでに声変わりを終っている。その声に聞き入ってしまう。 そして、バンドメンバー(ドラムス・後藤敏昭とベース・名村武)が参加しトリオになる。ちょっと話があり始まった曲が、が~~ん、「ヴァルデス・イン・ザ・カントリー」ときた。テレビでは「スラム」をやっていた。「ヴァルデス・・・」はインスト、ダニー・ハザウェイの作品。アルバムは『エクステンション・オブ・ア・マン(愛と自由を求めて)』。リトル・コーシは、ウォーリッツァーをプレイしている。 一曲(「ひまわり」)をはさんで、リトル・コーシはこう話した。「次はレイ・チャールズの曲ですが、彼は僕が殺しました。(笑) 彼、最近お亡くなりになってね・・・」 このあたりの話っぷりが、人を食ってておもしろい。ただし、この日彼の声が小さく、聞きづらかった。歌われた「ジョージア・オン・マイ・マインド」。この節回しねえ、驚くね。もちろん、コピーだと言えば、コピーなんだが、それが立派にリトル・コーシのものとして成り立っている。やはり音楽の吸収力の違いだろう。すぐにコピーから自分のものにしてしまう才能がある。リトル・コーシの声質は、スティーヴィーよりもむしろブラザー・レイのほうが近いかもしれない。しかし、ピアノ・タッチはかなりスティーヴィーっぽい。彼がフリーなピアノを弾いているとき、なんどスティーヴィーの曲が始まるのではないか、と思ったことか。スティーヴィーのピアノにブラザー・レイの声質ときたら、鬼に金棒である。 そして、そんなことを思っているとスティーヴィーの「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」がでてきた。レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハザウェイそして、リトル・コーシという流れがある。文字にするだけで恐るべき並びである。続いて歌われたのがCDにもなっている彼のオリジナル曲「フェリス」。これはCDより、ライヴのほうがよりラテン調になっていて、よかった。 そして、続いて紹介されたのが、ビートルズの「イエスタデイ」。と、と、ところが、これが、本日記でも何度も話題になっているついこの間でたばかりのダニー・ハザウェイの新作『ディーズ・ソングス・フォー・ユー、ライヴ』収録のヴァージョンの「イエスタデイ」なのだ。たしかに、ダニーをそっくりそのままなぞる。となりのソウルブラザーUが「ダニーですね。知らない人が聞いたら、このアレンジはびっくりしちゃいますよね」。「ほんとだねえ、じゃあ、次は『ユーヴ・ガット・ア・フレンド』かな」とぼく。そして、「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」でした。(笑) これはテレビで見たほうがよかった。 「昨日、かわいい子にこの帽子をもらいまして・・・」とリトル・コーシが言う。こんなセリフはスティーヴィーばりだ。かわいい子を、君はどうやって知る? (笑) オプラ・ウィンフリーがスティーヴィーに尋ねた質問がよみがえった。「スティーヴィー、あなたは、どうやってきれいな女性がわかるの?」  一応、これが最後でアンコールの拍手にうながされ、再登場。「大ぽかをやりまして、何曲か飛ばしてしまいました。(笑) そこで、アンコールを増量でやります(笑)。次の曲は、僕より年配の人に送ります」 すると、「みんな年配だよ」の声も。(笑) 確かに15歳より観客はみな上だっただろう。増量で歌われたのは、美空ひばりメドレーだった。「愛燦燦(あい・さんさん)」「川の流れのように」。 ライヴの完成度などはまだまだこれからだと思うが、ライヴを見て改めて確信したのは、彼の音楽の吸収度、理解度は相当ずば抜けている、ということ。そして、声が素晴らしい。歌ももっとヴォイストレーニングをして鍛えれば、どんどんよくなるはずだ。完成度なんていう言葉を今使ったが、まだ相手は15歳である。普通は学芸会のレヴェルだ。今後、どういう方向性に行くべきなのだろうか。彼はどこへ行くのだろう。周囲の誰もがその方向性を模索すると思う。慌てず、試行錯誤しつつ、いい道を選んでもらいたい。山積みの課題もひとつひとつクリアしていって欲しい。まちがいなくダイアモンドの原石だ。 しかし、彼の声に聞き入っている時に、僕の中には彼が何歳かなんてことは、これっぽちも思い浮かばないな。思い浮かぶことといえば、彼の声の中に、スティーヴィーがいて、レイ・チャールズがいて、ダニーもいるということだけだ。 「季節が移ると心の色、ひとつひとつが静かに変わっていくだろう。けれども変わらない何かがあると信じているんだよ。ここまで来たよと笑顔で迎えて欲しい」(アンコールで歌った「未完成」の一曲の一部) リトル・コーシはきっと10年後も変わっていないだろうと僕は信じる。しかし、誰もが彼を知るまでになるだろう。そこまで行ったとき、もちろん人々は彼を笑顔で迎える。その時、彼はもはやリトル・コーシではなく、ミスター・キシタ・コーシになっている。 ライヴが終った後、ちょっとだけ楽屋をのぞいた。プロデューサーの永島氏に紹介されて握手した。「ダニー・ハザウェイは好きなの?」と尋ねた。「はい、好きですねえ」 「何かスポーツはしている?」 「いや、スポーツはしないですねえ」 「でも、これから将来、1時間だけじゃなくて、2時間以上のライヴやるには、体力つけないと」 「そうですねえ」 彼は首を軽く振りながら、ずっとにこにこしている。 彼の握手の手は柔らかく、ちょっとひんやりとしていた。これから彼のライヴを僕は何回見に行くことになるのだろう。今日から数えることにしよう。今日は記念すべきその第一回。 Setlist show started 20:46 1. 翼をください (赤い鳥)2. 竹田の子守唄 (トラディショナル)3. 恋しくて (オリジナル)4. アメイジング・グレイス (トラディショナル) 5. ヴァルデス・イン・ザ・カントリー (ダニー・ハザウェイ)6. ひまわり (福山雅治)7. ジョージア・オン・マイ・マインド (レイ・チャールズ)8.  ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ (スティーヴィー・ワンダー)9. フェリス (オリジナル)10. イエスタデイ (ビートルズ、ダニー・ハザウェイ・ヴァージョン)11. ユーブ・ガット・ア・フレンド (キャロル・キング、ダニー・ハザウェイ・ヴァージョン) アンコール1. 川の流れのように (美空ひばり)2. 愛燦燦 (美空ひばり)3. (新曲) (オリジナル) show ended … Continue reading

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Down Stairs, Up Stairs, Soul Bars In Shinjuku 3-Chome

巨木。 新宿方面に用事があったので、これはということで、大久保のストーンに寄ろうかと思った。そこで、ソウルバーのプロ、高畠氏に電話。すると目白にいるので待ち合わせることになった。しばらくして、電話がかかってくると、なんとストーンは今日からお盆休みということで、扉は閉ざされていた、という。では、3丁目近辺に急遽、場所変更。 まだ僕が行ったことがないバオバブに行くことに決定。車の針路を変え3丁目に。なかなか駐車場が空いていなかったが、ちょうど店のま隣の駐車場が空いていてとめた。 バオバブは、アフリカに生えている樹齢4000年になるものさえある巨木。大きなバオバブの木の下に人が集い、物事を決め、宴が始まるという。店内はちょっとアフリカ風の内装だが、基本的にはソウルバー。もちろん、アフリカ的な音楽も時にはかかる。約20席とカウンター10席くらい。アナログプレイヤー2台、CDプレイヤーも2台ある。ちょうどこのときは、アースやジョーなどがかかっていた。リクエストもOK。年中無休で休むのは正月くらい。食べ物がけっこういろいろある。 バオバブがオープンしたのは、2000年11月24日。今年で4周年を向かえる。木作りのテーブル、カウンターなどのためか、なんとなく落ち着く感じ。いい店だ。 ちょうどこの店の向かいにソウルジョイントがある。高畠さんは、よくはしごするそうだ。「なんたって、階段降りて、上がるだけですから」 バオバブのウェッブhttp://www1.odn.ne.jp/~baobab/ バー・バオバブBar Bao Bab新宿区新宿3-10-7 馬酔木ビル2FTEL 03-5368-0636営業時間平日PM7:00~AM5:00日曜PM6:00 ~AM0:00ドリンク600円~ ENT>SOULBARS>Bao Bab

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Spirited Life, Life Is Spirit: Nicholas Pettas’ Soul

魂。 そのスタジオに彼は原付でやってきた。すると入口のところで人に見つかり、サイン攻めにあっていた。普通免許の試験には合格しており、あとは交付を待つだけで、この日が原付に乗る最後の日だった。そうして、階上にあがってきた人物は、格闘家ニコラス・ペタスさん。大きく、筋肉がもりもりで、がっちりしている。 スタジオにやってくるなり、「オ~~スッ」。気合がはいります。『フィールン・ソウル』のゲスト。1973年1月23日デンマーク生まれ、18歳(91年)で極真空手の大山倍達(おおやま・ますたつ)師匠の内弟子となった。大山師匠は1994年4月26日に71歳で逝去してしまったため、彼は最後の内弟子と呼ばれる。 意外なほどに格闘技好きだった黒沢さんの目が輝き、聴きたいことがいっぱい。なんで空手を始めたのか、そのきっかけとなった出来事、日本にどのようにして来たのか、「千日修行」とは、最近開いている「ザ・スピリット・ジム」のことなど、話は尽きず、普段の「シークレット」のコーナーまでつぶして、ペタスさんの話に聞き入った。 中でもペタスさんの足の骨が折れた時の話は、あまりにリアルで衝撃的だった。また、映画『カラテキッド』の話もおもしろい。それにしても、ペタスさんは、日本語ペラペラ。空手のスピリット、ソウルを完全に理解している。「青い目のサムライ」とはうまいことを言ったものだ。 最後は、スタジオ(ラジオなのに)で、立ち上がって気合の入れ方を指導してくれた。いやあ、汗かきました。「気合をいれる」を英語で言うと、しいて訳せばspiritedということで、spirited lifeは気合の入った人生。ペタスさんは、言いました。「人生は気合だ!」 おお~~いえ~~っ。スタジオ内の気温、一気に急上昇! ペタスさんのソウルがスタジオ内に充満した。 (この模様は8月14日の『フィールン・ソウル』(東京FM系)で放送されます)

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Soul Searchin’ Talking/Donny Hathaway: Homework For Everybody

期待。 次回「ソウル・サーチン・トーキング」の打ち合わせを軽くケイリブらとしてきた。彼もダニー・ハザウェイのことはそこそこは知っているが、真剣に聞き込んで、自分のレパートリーにした作品はそれほど多くないという。こちらで出しているリストには約30曲ある。その中からこれは絶対歌って欲しいという曲に丸印やら二重丸をつけてだした。 今までにも、ケイリブの歌で「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」や、「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は聴いたことがある。「ホワッツ・ゴーイング・オン」もマーヴィンの変形ヴァージョンは聴いた。そのあたりがいかにケイリブ風になるか、あるいはダニー風になるか。 「ただのコピーや真似は僕はしないんだ。いかに自分のものを入れられるか、いかにクリエイティヴなものを付け加えられるか。ダニーの曲は、かなりタフで、僕にとってはチャレンジになるよ。まちがいなくスティーヴィーより大変なものになるだろうね」とケイリブは言った。 前回のスティーヴィーのときに発揮されたケイリブのオリジナリティーに今回も任せる。「君から何がでてくるか、楽しみにしてるよ」と僕が言ったら、彼も「自分でも何ができるか、楽しみだよ」と言った。ケイリブにとっては、大変な夏休みの宿題になりそうだ。(笑) ダニーのネタは、スティーヴィーのものと比べると圧倒的に少ない。それは彼の人生が短かったということが最大の要因だ。自殺の前後も依然完全にクリアになっているわけではない。僕のほうもダニーのリサーチで、大変な夏休みの宿題を抱えることになる。っていうか、そもそも「夏休み」はあるのか、という話だが。(笑)  ひとつあるとすれば、レイラ・ハザウェイの新譜が9月にリリースされる予定だという。まだ詳細はわからないが、イヴェントの頃までには何か音なり、情報なりは入ってきているだろう。 スティーヴィーとダニーを比較すると日本でも圧倒的に知名度に差がある。それだけにダニーの基本的な情報もお伝えしなければならない。果たしてどうなるか。いろいろ知恵を絞ってみたい。絞って絞って絞って絞らないとね。(笑) でも、ケイリブから何がどんな風にでるかは、本当に楽しみだ。

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Orito Live At Blues Alley: Homework Is Still Remain

宿題。 単身メンフィスへ乗り込み、アル・グリーン育ての親であるウィリー・ミッチェルにプロデュースを依頼し、それを実現させた男、オリト。その彼のデビュー作『ソウル・ジョイント』が出たのは95年6月のことだった。それからすでに9年の歳月が流れている。その後彼は2枚のアルバムを出したが、デビュー作を超えるヒットにはなっていない。そんな彼が事務所などを変わり、久々にライヴをすると聞いたのでいってみた。 以前彼のライヴをどこかで一度くらい見たような記憶がうっすらとあるのだが、どこで見たかは覚えていない。見たとしても、デビュー時だから95年頃のことなのだろう。それはさておき、会場は目黒のブルースアレー。 セットリストを見ると、なかなかいい選曲だ。1,3,4,5,6,セカンドの2,3などがカヴァー。マーヴィンの「レッツ・ゲット・イット・オン」など意図することはよくわかるし、パフォーマンスの仕方も理解できるのだが、どうしても今ひとつエッチ度が足りない。英語だと意味が聴衆に伝わらない、だからといって日本語でやっても、うまくいかない。ここはむずかしい問題だ。やはり日本語では無理なのか。センシュアルな表現というのは、まだ日本人にはできないのか。これは大きな課題だ。 オリジナル曲はまだまだもっと作りこまないと。歌詞は相当改善の余地ありだ。歌詞というのは、例えば雑巾に水を浸して、絞って絞って、水がでてきて、それもでなくなって、それでも絞ってやっと一滴でてくるような言葉、単語、表現、そういうものをひとつひとつ紡いでいかないといいものはできない。もちろん、今の邦楽にそういうものはかなり少ないが、歌詞とメロディーがはまる瞬間というのは、そういう絞って絞ってでてきたような言葉が来た瞬間なのだろうと思う。もちろん、ぱっとひらめいたときにそういう言葉がでることもあるだろう。だが、多くの場合は苦しんで苦しんででてくることが多い。少なくともこれらの楽曲は僕には発展途上に思えた。ただ発展途上曲をライヴで積極的にやることは別に問題ない。あのスティーヴィーだって、未発表曲をやって観客の反応を見るのだから。 「リサ・・・」という曲のテーマはおもしろい。もっといいメロディーといい歌詞を作れれば、いい曲になるかもしれない。ストーリーをもっとふくらませて、起承転結をしっかりつければ印象に残るようになるだろう。ハロルド・メルヴィンたちの「二人の絆」を思わせる「感謝の歌」はテーマやメロディーはいいので、歌詞を絞って絞って編み出せばおもしろいものになるかもしれない。 カヴァー曲以外で印象に残ったのは、アンコールで歌われた「アイム・ユアーズ」という曲だった。これは、デビュー作の1曲目に入っていたのですね。これはいい曲だ。 全体的にソウル・ミュージックが大好きで、そういうのをやりたいということは痛いほどわかる。ただし、どうしても消化不良の感が否めない。また、スイート系とディープ系、どちらが彼の声にあうのか。そのあたりも試行錯誤が必要なのだろう。「ウー・ベイビー」はよかったが、エリカ・バドゥーはあまりはまっていなかったように思った。「アイム・ユアーズ」は向いている。もっとライヴをひたすらやるしかないのではないか。夏休みの宿題は、そこに残っている。ただし、ソウル好きという点で、ソウルブラザーとしては応援したい。 オリト・オフィシャル・ウェッブhttp://www.jvcmusic.co.jp/orito/index.html Setlist First set show started 19:45 1. Superfly (Curtis Mayfield)2. After Hours/Just The Two Of Us (Grover Washington Jr.)3. Ooh Baby Baby (Miracles)4. Let’s Get It On (Marvin Gaye)5. Show Me … Continue reading

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Soul Searchin’ Talking Vol.3 ~A Tribute To Donny Hathaway: The Legend Return

イヴェント『ソウル・サーチン・トーキングVOL.3~A Tribute To Donny Hathaway: The Legend Returns』開催のおしらせ 2004年8月9日 ソウルミュージックの魅力、ソウルミュージックのすばらしさ、ソウルミュージック の力をトークと音楽でご紹介するイヴェント『ソウル・サーチン・トーキング』。その第3弾を来る9月22日(水=祝前日)に開催いたします。今回のタイトルは「A Tribute To Donny Hathaway: The Legend Returns」。ダニー・ハザウェイ好きな3人 のトークと、前回スティーヴィー作品の熱唱で大絶賛を受けたR&Bシンガーとして多方面で活躍中のケイリブ・ジェイムスによるアコースティック・ピアノと歌でお送りします。誰も見たことがないダニーのライヴ。それはいまや伝説となっています。 時あたかも、未発表音源を含む『ライヴ』アルバムが大きな話題を集めている今、誰も見たことがない伝説のライヴを、ケイリブによって再現してもらいましょう。 誰も聴いたことがないダニーズ・ソングスだけの2時間余。伝説が、21世紀の今、ここによみがえります。あなたもレジェンドなひと時をシェアしてみませんか。 ++++ 記 イヴェント名 『ソウル・サーチン・トーキング』タイトル『ソウル・サーチン・トーキングVOL.3~A Tribute To Donny Hathaway: The Legend Returns』 日時  2004年09月22日水曜(祝前日)  開場 18時トークセッション&ミュージック 第一部 19時半~20時半第二部 21時~22時(入れ替えではありません。また、一部と二部の内容は異なります。予約をされた方 で19時までにお入りいただければ、座席は確保いたします。以後は当日ご来場の方を ご案内する場合がありますのでご了承ください。座席数は約50です) 場所  中目黒・楽屋 http://www.rakuya.net/住所  〒153-0051 東京都目黒区上目黒2-15-6電話  … Continue reading

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Rick James Died At 56

リック・ジェームス死去 数々のファンクヒットを放ってきたファンクマスター、リック・ジェームスが8月6日朝ロスアンジェルスの自宅で死去した。午前9時45分頃(日本時間7日午前1時45分頃)、アシスタントが死んでいるのを発見した。その直前に死亡したものと思われる。自然死と見られる。56歳。ジェームスは長い間糖尿病と心臓を患い、ペースメイカーをつけていた。 かつて、93年、暴力行為で訴えられ、96年8月まで刑務所に入っていたこともある。98年、復帰ステージで心臓発作を起こし、そのまま入院。その後リハビリに力をいれていた。 リック・ジェームスは1948年2月1日ニューヨーク・バッファロー生まれ。8人兄弟の3番目。本名ジェームス・アンブローズ・ジョンソン・ジュニア。母親が無類のジャズ好きだったことから、幼少の頃からジャズのライヴハウスに連れて行かれたり、自宅ではジャズのレコードに触れた。まもなくミュージシャンになることを夢見るようになり、音楽活動を開始。60年代後期には、ヴェトナム戦争に行くことを避けるためにカナダに放浪の旅に出て、現地で当時はまだ無名だったニール・ヤングらとともにマイナーバーズというグループでバンド活動をしていたこともある。 70年代に入り、ロスアンジェルスに来て、ソングライターとしてモータウン傘下の音楽出版社ジョベッタ・ミュージック入り。ここで作品などを書いていたが、78年、自らがレコーディングしたファンキーな作品で当時の妻のことを歌った「ユー&アイ」でアーティストとしてデビュー。これがいきなり大ヒットとなり、以後はファンク・アーティストとして快進撃をとげる。モータウンには彼のほかにファンク・アーティストはおらず、モータウン唯一のファンク・アーティストとして人気を博した。 パンク精神の持ち主で、ステージでマリファナを吸い、観客にも勧めたりしていた。ジェームスのライヴ・コンサートは、会場中マリファナの煙が立ち込めていることでも話題になった。 アーティストとしてだけでなく、ティーナ・マリー、メリー・ジェーン・ガールズなどのプロデュースもてがけてヒットさせた。外部プロジェクトとしても、エディー・マーフィーの「パーティー・オール・ザ・タイム」(85年9月)をヒットさせている。ジェームスは、スモーキー・ロビンソンとのデュエット「エボニー・アイズ」(83年)、あるいはテンプテーションズとのデュエット「スタンディング・オン・ザ・トップ」(82年4月)などのヒットもある。 彼の81年4月発売のアルバム『ストリート・ソングス』は、モータウン史上もっとも売れたファンクアルバムとなり、ジェームスの最高傑作と呼ばれる。ここからは、「ギヴ・イット・トゥ・ミー・ベイビー」、「スーパーフリーク」などが大ヒット。「スーパーフリーク」は90年、ラッパーのMCハマーが「ユー・キャント・タッチ・ディス」でサンプリングして使用し、再び注目された。 彼は娘タイ、息子たちリック・ジュニア、タズマンと、孫娘ジャスミンとカリスマらによって送られる。 +++ Between The Two Characters パンク。 リック・ジェームスを一言で言えば、「パンク・ファンク」だ。そのスピリットからして、強烈なパンクである。セックス、ドラッグ&ファンクン・ロール。おまけにヴァイオレンスもつけよう。女とドラッグと音楽。それが人生のすべてだった男だ。ドラッグのやりすぎで、寿命を縮めたのかもしれない。ドアーズのジム・モリソンとも親交があり、ジミ・ヘンドリックス、スライ・ストーン、カーティス・メイフィールド、ジェームス・ブラウンなどの音楽に影響を受けた。48年生まれなので、ウッドストックなどの「サマー・オブ・69(1969年の夏)」は、21歳である。パンクも、ヒッピーもなんでもありの時代だ。 リック・ジェームスは本当に一度ライヴを見たかった。90年代初期に、ジェームスの来日話があり、スケジュールも発表された。しかし、ごたぶんにもれずドタキャン。幻となった。一度80年代初期に、友人がアメリカでそのライヴを見て、その時のことを話してくれた。80年代初期といえば、『ストリート・ソング』の後で、どこかのコロシアムで見たような話だった。会場全体が、マリファナの煙でものすごかったという。その話だけで興奮した。 そして、ジョージ・クリントンのPファンクのライヴ同様、一曲が延々と続く。あれは、きっとハイになっていると、演奏を止めるというマインドがなくなるのだろう。そして、同じことの繰り返しでもさらにハイになっていくのだと思う。それは、きっとスライの音楽なんかでもそういう麻薬感覚があふれているのに違いない。ラリって録音した曲をしらふで聞いてそのよさを感じるというのもすごい話である。1週間にコカインのために、1万ドルから1万5千ドル(当時のレートで200万円から300万円)近く浪費していたという。ところが、本人はそんなことはまったく意識していなかった。 80年代後期にはモータウンとの契約が切れ、ワーナーへ移籍しているが、それほどの大ヒットにはならなかった。しかし、MCハマーが「スーパーフリーク」を使ったことで、再び脚光を浴びる。 最初、ラジオで「ユー・キャント・タッチ・ディス」を聴いたときには、ジェームスは怒り心頭で弁護士に電話をして、怒鳴り散らしという。しかし、弁護士が印税使用料として入ってくる金額を言った瞬間、怒りは収まった、という。いかにも現金なジェームスらしい逸話だ。80年代のファンクは、リック・ジェームスがリードしていたと言っても過言ではない。それほど見事な活躍ぶりだった。 彼はかつて「オレはリック・ジェームスを演じている。ワルで、ドラッグ中毒で、パンクでっていう」と言った。確かに人々は、リック・ジェームスをそのイメージで知っている。だがドラッグ中毒から抜け出るために必死になってリハビリに励んでいた男はきっとただのジェームス・ジョンソン・ジュニアだったのだろう。そして、刑務所で落ちぶれていたいた男もジェームス・ジョンソンだった。彼はリック・ジェームスとジェームス・ジョンソンという二人のキャラクターの間に死んでいったのかもしれない。 やすらかに、ジェームス・ジョンソン・・・。 +++++ リック・ジェームス死亡記事 http://www.msnbc.msn.com/id/5625044/ http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/obit_james ENT>OBITUARY>James, Rick/2004.Aug 6

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リック・ジェームス「ソウルサーチン」で追悼

リック・ジェームスの逝去にともない、明日の「ソウルブレンズ」内「ソウル・サーチン」で「リック・ジェームス緊急追悼」をお送りします。76.1MHZインターFM、午後1時から5時まで。コーナーは2時頃の予定です。

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(速報)ファンクマスター、リック・ジェームス死去

(速報)ファンクマスター、リック・ジェームス死去 「スーパーフリーク」「メリー・ジェーン」「ユー&アイ」などのファンクヒットで知られるリック・ジェームスが8月6日(金)午前9時45分(太平洋時間帯=日本時間7日午前1時45分)、ロスアンジェルスで死去しているのが発見された。56歳だった。 詳細は後ほど。 Billboard News Edited By Jonathan Cohen. August 06, 2004, 3:35 PM ET Breaking News: Rick James Found Dead Funk legend Rick James was found dead at 9:45 a.m. PT this morning (Aug. 6) at his Los Angeles … Continue reading

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Star Dust Story Part 2: Turn Back The Hands Of Time

世界遺産。 100円玉をスロットにいれる。カランカランと音を立てて硬貨が中に吸い込まれていく。聴きたい曲を決め、選曲すべきボタンを押す。Lの6・・・。マシンがかなりよれた7インチシングルを探し、所定の位置にセットし、シングルが回り始める。針が盤に触れる。1-2秒音楽が刻まれる前の、無音の音溝をなめる音がする。音が出るまでのこの瞬間のわくわく感はなんと言ったらいいのだろう。さすがにこれはCDでは味わえない至福の瞬間だ。そして、ベースラインの音が始まる。 「な、な、なんだ、この音~~~」 あまりの音の擦り減り方に呆然とした。こんなにレコード盤が磨り減っている音を聴いたことがない。”sittin in the morning sun…”  あれえ、音が薄くなっている。しかし、まぎれもなく、それは「ドック・オブ・ザ・ベイ」。いかにも年代物のジュークボックスから流れてくる音はジュークボックス特有の野太い音。うまく表現できないが、新品のレコードの音量・音質を10としたら、もうこのシングル6か5くらいしか、音がでていないのではないか、そんな風に思った。 林さんが、ジュークをあけてシングル盤を出して見せてくれた。その姿は、なんと壮絶なことか。擦り傷なんてものではない。ぼろぼろになったつやもない盤面が姿を現した。これだけ磨り減っても音がでるヴァイナルのレコード盤の力強さよ。こうして出てくる音は、どんなに最新の機材で加工しようにも再現できない。それこそ四半世紀、こすり続けて音を鳴らしてできた「使い古し音盤」という名の世界遺産だ。 「これね、つのだひろのサインだよ」と言って見せてくれたのが、チークの定番「メリー・ジェーン」のシングル盤。本人が来た時に、これが入っているのを喜んでサインをしていった。 林さんはここに入っているシングル盤80枚のほかにまだ4-500枚は持っているという。オリジナルにこだわる。これらは、最初は米軍の兵士たちが、自分たちが聴きたいシングル盤を置いていったりしたという。ボトルキープならぬレコードキープだ。だから、そうした連中は自分が置いていったシングルがもし、ジュークの中にないと怒る。そこで店もなかなかシングルの中身を変更することができない。 となりのポールスターは今はイヴェントなどでしかあけないが、かつては毎日営業していた。ポールスターとこのスターダストはどのようにすみ分けがなされていたのか。林さんが教えてくれた。「簡単ですよ。あっち(ポールスター)は、上官が来ていて、こっち(スターダスト)は、比較的ヒラみたいな普通の兵隊が来てたんだよ。ほら、船長と普通のは、一緒に飯食ったり、飲んだりしないでしょう。いつのまにか、同じような身分同士で飲むようになるんだね」 なるほど。 カウンターの向かい、酒瓶が並ぶ壁に今も残る「1ドル 〇〇円」の看板。「昔、(正式には)両替ができなくてね。そこで、近くの三井銀行に、オヤジが代表になってね、ここら辺のバーがまとまって交渉しに行ったんだ。なかなかOKはでなかったんだけど、やっとの思いで両替商の認可が下りたんだ。今でも、ここはドルも使えるよ。お釣り? お釣りは円で渡すんだ」 さすがに今は、ドルで飲む客はいなくなった。 50周年の記念パーティーのチケットはすでに売り切れている。だが、この店にはいつ来ても、時の流れの凍結がある。窓から見える景色もずいぶんと変わった。昔は、フューチャリスティックな港みらいの超高層ビル群はなかった。今やビル群のライトが横浜の夜を照らす。ジュークには「ハーバーライト」という曲も入っている。 かつては長い貨物列車が頻繁に行き来していた近くの貨物線には、ほんのたまに、しかも短い列車しか走らなくなった。スターダストの周囲はすべて変わった。だが、このスターダストの中は何も変わらない。そして、想い出の曲が流れてカウンターで泣き崩れた女性が歌うシングル盤も、このジュークボックスにはいまだに入っている。四半世紀を超えて、その曲は時にスターダストの夜を彩る。あたかも人々をあの頃に引き戻すように。 ENT>SOULBARS>Star Dust

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Star Dust Story Part 1: Memories Gone Beyond The Star Dust

想い出。 首都高を横浜へ向けて横浜線を走らせていると、羽田を過ぎたあたりから、いかにも「京浜工業地帯」といった趣の景色が広がる。今日は、そこがどんよりした曇り空の下で、スモッグではないが、例えば、ロンドン郊外の工業都市や、アメリカで言えば、ピッツバーグのような煙突がたくさん立ち並び煙がもくもくとでているような地域を思わせた。降り口は東神奈川。 渋滞もなく、東神奈川まで順調に進み、降りてすぐに突き当りを左折。広い道の対向車線にはひっきりなしに大型トラックが走る。なかには、「Yナンバー」の車も行き来する。そして、大きな橋が現れると「これより先は許可なき車両の進入を禁止する」の仰々しい立て看板に、行く手を阻まれる。橋とこちら側を隔てる黄色の線は、国境線。足を一歩進めれば、そこはアメリカだ。車をユーターンさせてその橋の前に止める。目的地はこの左手のふるびれたバー、国境際にあるバー、スターダスト。 『ミッドナイト・ラヴ』の次回のソウルバー探訪がこの歴史あふれるバーだ。マスター、林さんが迎えてくれる。僕も80年代、何度か来たことがある。本当に「昭和30年代」を思わせるような、時間が止まっている空間だ。数々のテレビのロケや映画の撮影にも使われた。ミュージシャンや有名人なども多数訪れた。このスターダストは、1954年(昭和29年)にオープン。今年50年を迎える。林さんのお父さんがこのバーを開いた。アメリカの兵隊向けのバーだった。現在は二代目、弟さんと一緒にやっている。最初はとなりのポールスターとこのスターダスト、もう一店パラダイスと3軒の店をやっていた。現在は、スターダストが毎日営業、ポールスターは何かのイヴェントなどの時だけあける。パラダイスはもうなくなった。正確にはソウルバーというジャンルではないが、オールディーズの音楽がかかるバーといえばいいか。 50年前の壁紙、タバコの煙で薄汚れたイタリア製のランプ、ビニールシート風の椅子。歩くときしむフローリングの床。天井からぶるさがる何本もの浮き輪。そして、その浮き輪にマジックで書かれた無名兵士たちのサインの数々。傷も、タバコの焦げ目も残るカウンター。カウンターの小さなランプに頭を乗せて半目を開けながら寝ているみなと君。みなと君は今年14歳になるこのスターダストの猫だ。スターダストの扉を開けた瞬間、誰もが30年はタイムスリップする。 ここの名物は、80枚のシングル盤が入っているジュークボックスだ。50年代から70年代にかけてのアメリカン・ポップスのシングル盤が入っている。A1には、パット・ブーンの「砂に書いたラヴレター」が入っている。マスターのお勧めは、C6に入っているテンプテーションズの「マイ・ガール」とE6に入っているルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界(ホワット・ア・ワンダフル・ワールド)」だ。L6にはオーティスの「ドック・オブ・ザ・ベイ」が、N7にはタイムスの「ソー・マッチ・イン・ラヴ」なども入っている。ジュークボックスの曲リストを見ているだけで、次々とボタンを押したくなる。ここのジュークは今は100円で4曲だ。「昔は100円で6曲だったんですけどね、ぜんぜん自分がいれた曲がかからないので、4曲にしたんです」 ジュークボックスは、もちろん、今では製造されていない。ここに置かれているのは3台目でロック・オーラ444という機種。30年ほど前に80万円以上したという。当時としては車が一台買えるような大金だった。そして、メインテナンスをしてくれるところは、もうない。「で、メインテナンスはどうされてるんですか?」 林さんが答える。「いやあ、もうどこも直してくれないんでね。簡単なのは自分で直すんですよ。針は、何本かストックがあるんですけどね。本当に壊れたら、どうしますかねえ」 ジュークボックスに入っている曲には、おそらくそれぞれの曲に様々な想い出や物語がある。そんなひとつを披露してくれた。「あるカップルがいてね。よくここに来ていたんだ。その彼が、とても好きな曲があって、そのシングル盤が他の(店の)どこにも入っていないって言って、ここに来るといつもその曲をかけていた。あるとき、その彼女が一人だけで来ていた。で、その曲を誰かがかけたんだね。そうしたら、その曲がかかった瞬間、カウンターに座っていた彼女が泣き崩れてねえ。誰もわけなんか聞かずに、その時はスタッフみんなが一旦店をでて、彼女を一人にしたんだよ。しばらくしたら、彼女が『もう大丈夫です』ってでてきてね。あとで知ったんだけど、彼とはその時もう別れていたんだ。そんなことはこっちは知らなかったからね。まあ、そんな話だったらいくらでもあるよ」 来る客も変わった。人種も変わった。だがそのジュークボックスから流れてくる音楽は、変わらない。そこから生まれる想い出は星屑の彼方に。そして、今日の訪問が明日の想い出へ。 (続く) スターダスト・オフィシャル・ウェッブhttp://www.bar-stardust.com/ ENT>SOULBARS>Star Dust

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Noise & Telephone

雑音。 今日突然、電話の話中にガガガッという雑音がはいるようになった。けっこうその雑音がうるさく、話をするにも支障があったので、これはなんとかしなければと思い、104にかけてみた。 「すいません、電話機に雑音が入るようになったんですけど、それは何番にかければいいんでしょうか」 「あ、それは113ですね」 「ありがとう」 続いて113にかける。これこれしかじかなんですが・・・。「わかりました、じゃあ、今から係りのものを送ります。2時間以内には到着するかと思います・・・」 そして、2時間もかからずに、NTTからひとりの男性がやってきた。「雑音がするんですよ。今日から。盗聴器がつけられたなんてこと、ないですかねえ。(笑)」 「いやあ、それはあまり考えられませんねえ。一番考えられるのは、線がですね、こうして踏まれたりして断線しましてね、そうすると、こう雑音がはいったりすることがあるんですよ。とりあえず、ちょっと調べてみますね」  ところが、彼がやってきた頃には、なぜかさっきものすごかった雑音がほとんどしないのだ。まあ、故障というのは、修理する人が来る時には症状があらわれないものである。「故障している機械は修理人が来ると知った時点で自己治癒する→修理人が来る時には、故障は直っている」 これ、マーフィーの法則・・・。てなことはないか。だから、電話機に向かって、修理人を呼ぶぞ、と言えば、それで充分だったのかもしれない。 小30分、NTTの人、電話線の入ってくるところ、電話機まわりなどをいろいろ調べてくれたが、結局異常は見つからず。「そうですねえ、じゃあ、しばらく様子見ていただけますか? もしまた症状でたら、すぐに直しに来ますから」 そして、彼が最後に局にかけて、局のほうからこの番号に電話をしてもらい、回線チェックを行うことになった。 局にかけるために、その瞬間NTTの人の胸ポケットからおもむろに取り出されたるは、な、な、なんとAUのかっこいい、デザイン最高のインフォバー! 受けた。思わず、「AUなんだ、携帯」と僕。「いやあ、この会社(NTT)はいる前からこれ持ってたもんで。ほんとは、ドコモにしなきゃいけないんですけどね。上司には内緒なんです」 まあ、なんですかね、トヨタのセールスマンが、ニッサンに乗って修理にやってきた、って感じ? 違うか。今日は、大都会、東京に潜む他愛のないミニストーリーでした。ミニストーリーにもならない、コネタですね。

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Regina Belle Sings Standards On “Lazy Afternoon”

スタンダード。 ソウル・シンガー、レジーナ・ベルが8月21日に新譜を出す。タイトルは『レイジー・アフターヌーン』(ビクター、VICP-62807)。なんとこれがスタンダードのカヴァー曲集。おととい話題になった「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」もやっている。そして、「コルコヴァード」。アイズレーの「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」。これは、クレジットはされていないが、曲のイントロにハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの「ザ・ラヴ・アイ・ロスト」をいれて歌っている。これはものすごくいい雰囲気。 彼女がナンバーワンR&Bヒット「ベイビー・カム・トゥ・ミー」を生み出したのが89年だから、すでに15年前のこと。初ヒットはさらに2年前にさかのぼるから、かなりのヴェテランになっている。 フィリー・ソウルのカヴァーばかりを集めたアルバム『リーチン・バック』があったが、今回はもっとスタンダードを中心に、ちょっとジャズシンガーかと思わせるようなところもある。ちょうど10年ぶりの新作を出すアニタ・ベイカー的なニュアンスがものすごく漂う。そして、ナタリー・コール的な雰囲気も。女性シンガーの間では、ジャズっぽい、と言っても100%のド・ジャズではないものを歌うのが流行りなのだろうか。少しジャズテイストがある、という程度がちょうどいいのかもしれない。 中でも驚いたのは、オーティス・レディングの大ヒットでも知られる「トライ・ア・リトル・テンダーネス」をかなりソウルフルにやっていること。スタンダードの「マン・アオ・ラヴ(私の彼氏)」をピアノの弾き語り風で歌った後に、この「トライ・ア・リトル・・・」が来るので、なかなか変幻自在だ。 このアルバムから2曲選ぶとすれば、「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」と「トライ・ア・リトル・・・」かな。女性ヴォーカル好きの人にはお勧めのアルバムだ。 +++++ レジーナ・ベル/レイジー・アフタヌーン 品番 ビクターVICP 62807 発売日 2004年8月21日 税込価格 2,520円 演奏者/レジーナ・ベル(VO) オスカー・ブラッシャー(TP) エイヴァレット・ハープ(SAX) レイ・フラー,ディーン・パークス(G) クリスチャン・マクブライド,アレックス・アル(B) ゴードン・チャンベル(DS) レニー・カストロ(PERC) 曲目(1)レイジー・アフタヌーン(2)フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン(3)ホワット・アー・ユー・アフレイド・オブ(4)イフ・アイ・ルールド・ザ・ワールド(5)コルコヴァード(6)ゼア・イズ・ア・ラブ(7)ホワイ・ドゥ・ピープル・フォール・イン・ラヴ(8)フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー(9)イフ・アイ・シュッド・ルーズ・ユー(10)モーニン(11)ザ・マン・アイ・ラヴ(12)トライ・ア・リトル・テンダネス(13)レイジー・アフタヌーン(REMIX)

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Another “American Dream”

夢。 階段を降りると分厚いカーテンがかかっていて、それをくぐりぬけるのにけっこうな力が必要だった。なんとか、かいくぐって店の中に入ると、かなり暗い。初めて足を踏み入れた神田のTUC(タック)というジャズの店。席数50くらいか。つめれば70くらい行くらしい。ステージ中央にハモンド・オルガンを弾く女性。右手に黒人のドラマー。左手に日本人ギタリストの計3人。 ニューヨークから来た敦賀明子さんというハモンド・オルガン奏者のライヴがあると友人Oから連絡をもらったのは、ほんの25分ほどまえ。ちょうど別の仕事をしていたが、スクランブル発進して現地におもむいた。 その黒人ドラマーが、店内が暗くて顔などわからないのだが、軸がぶれずに、ひじょうにシュアなドラムを叩く。おそらくかなりのヴェテランなのだろう。それも、いとも簡単にさらりとやってのけるのだ。しばし、その彼に目が釘付けになった。軸がぶれずにドラムを叩くドラマーが僕はとても大好き。ゴルフも、他のスポーツも、なんでも、軸がしっかりしていることはとても大事なこと。余談だが、軸がぶれないドラマーの最高のひとりは、デニス・チェンバースだ。あれだけ激しく叩いても、頭があんまり動かない。 そこで、興味を持って、その誘ってくれた友人Oさんに尋ねた。「あのドラマーも、ニューヨークから来た人? 名前はなんていうの?」 「えーとね、なんだっけ、グラディー・テイトとかいってた・・・。歌も歌ってた、さっき」 「えええっ、グラディー・テイト??? レコード持ってるよ。へえ~~」 てなわけで、今年72歳の超ヴェテラン・ドラマー、グラディーさんでした。 僕が見たのはセカンドセットだけだったが、その中で一曲彼がマイクを持って、歌声を聴かせた。これがなかなかのもの。確か、レコードでも彼はよく歌っていたと記憶する。それに明子さんのハモンドが軽快にからむ。オルガンの音というのは、たださえファンキーな雰囲気が醸し出される。 ライヴが終ってでてきたテイトさんとちょっとだけ話した。「日本は何度目かなんて覚えてます?」「いやあ、覚えてない。たくさん、たくさん、来てるよ」「じゃあ、初めて来たのはいつ?」「さあなあ、60年代のどこかだろうな。67とか68年くらいじゃないか。覚えてない」 「じゃあ、誰と来たかは覚えてませんか?」 「オ~~ノ~~、覚えてないよ(笑) でも、日本は観客がみんな一生懸命音楽を聴いてくれるから大好きだよ」 「最近も依然、けっこうプレイするんですか?」「いやあ、今はあんまりしないな。気にいったアーティストだけだよ。疲れるしね。(笑) アキコは、とても成長している。彼女のことは好きだから一緒にプレイするんだ。彼女はいいよ!」 「歌とドラムはどちらが多いのですか?」「自分の時はほとんど歌だな。でも、今日は彼女が主役だろう。(と言って彼女の方を指差す) だから僕はあんまり歌わないんだ(笑)」  女性のファンキーなオルガン奏者というのは、他に知らないので、敦賀さんにはぜひがんばっていただきたい。彼女のMC。「え~、ニューヨークに渡って、向こうでずっとやってきて、それでやっとCDを出して(M&Iレーベルから発売された)、こうやって日本にライヴのために戻ってこれたっていうのは、私的には十分『アメリカン・ドリーム』なんですけど。(観客席から笑い) このCD、ぜひお買い求めの上、ご家族みなさんで、お聴きください」 う~む、さすが大阪出身。言うことがおもろい。でも、もっとおもろいこと、たくさん、言うてな。 あ、そうそう。グラディーさん来週いっぱい日本にいる。来週はなんと青山ボディー&ソウルの30周年ウィークだそうで、店にいろんな人が来るらしい。彼も、毎日行ってるそうだ。「ボディー&ソウルで、また会おう」と言われた。 敦賀明子オフィシャル・ウェッブサイトhttp://www.akikotsuruga.com/index-japanese.htmlhttp://www.akikotsuruga.com/index-english 神田タック・サイトhttp://www.tokyouniform.com/tokyotuc/ (2004年8月2日月曜、神田タック(TUC)=敦賀明子ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Tsuruga, Akiko / Tate, Grady

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Shoot The Moon, Fly Me To The Moon, Paper Moon…: Full Of Moon Songs On Full Moon Day

満月。 実に綺麗ですね。しかし、この前、満月だと思ったら、もう再び満月になっている・・・。ということは、はやくも一月近くがたっているということです。 月を題材にした曲はたくさんあります。これは月のことを歌った歌ではありませんが、「ムーンリヴァー」。実は固有名詞なんですが、でも、月のイメージはあります。その種類のスタンダードだと、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」があります。これは、月まで飛ばしてっていうところでしょうか。「ハイ・ハイ・ザ・ムーン」というスタンダードもあります。ナタリー・コールが歌うスタンダードの「ペーパームーン」。ロックグループ、CCRのヒットに「バッド・ムーン・ライジング」なんてありましたね。 ムーンライトを題材にした曲もありますね。「ムーンライト・セレナーデ」、グレン・ミラーの超代表曲。ブランディーは、そのものずばり「フルムーン」という曲をだしています。アル・ジャロウは、「ムーンライティング」という曲を歌っていますが、これはテレビドラマのテーマ曲になってヒットしました。邦題は「こちら、ブルームーン探偵社」だった。ブルース・ウィルスの出世作。ポップグループ、キング・ハーヴェストの「ダンシング・イン・ザ・ムーンライト」なんて曲もありました。 さて、ソウル・サーチン的にお勧めは、パティー・オースティンが録音している「シュート・ザ・ムーン」なんていかが。グレン・バラード、クリフ・マグネスが書いたミディアム調の曲。なかなかポップな感じで、あまりヒットはしなかったのですが、僕はなぜかよく覚えています。ただし、同名タイトルで、違う曲もいくつもあります。なんとノラ・ジョーンズもこの「シュート・ザ・ムーン」というタイトルの曲を歌っていますね。あの「ドント・ノウ・ホワイ」を書いたジェシー・ハリスの作品です。

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Roots Of Black Music: Blues, Gospel, R&B, Jazz, Soul, All Happening Here @ Harlem Night

虹。 昨日のロニー・ヤングブラッドのライヴ・セットリストについて、少々解説しましょうか。彼がいかに広範なブラック・ミュージックの歴史から選曲しているか。1曲目、「A列車で行こう」はジャズの巨匠デューク・エリントンのもっとも有名な作品。このA列車は、ニューヨークはマンハッタンを立てに走る地下鉄の路線のひとつ。行き先は、もちろんハーレムです。『ハーレム・ナイト』というイヴェントのテーマとしては、もってこいですね。 2曲目の「ウェイ・バック・ホーム」は、ちょっとおもしろいですね。インストなんですが、「もう帰って」しまうんですから。(笑) これは、モータウン所属のサックス奏者、故ジュニア・ウォーカーの有名な作品。後に、クルセイダーズもカヴァーします。ロニーがウォーカーのサックスが好きだということで、この曲が選ばれているようです。 ミッツィーが登場して1曲目。邦題は「恋は異なもの」。女性ジャズ・ヴォーカリスト、ダイナ・ワシントンの1959年の大ヒット。後に、エスター・フィリップスもカヴァーします。「サマータイム」も、スタンダード。1935年にミュージカル『ポギー&ベス』のために偉大な作曲家ジョージ・ガーシュウィンが書いた作品。『ポギー&ベス』は、9月に来日しますね。 「ストーミー・マンデイ(・ブルース)」は、Tボーン・ウォーカー作のブルースのクラシックで、ボビー・ブランドの歌などで有名。「アメイジング・グレイス」は日本でもCMなどで使われるゴスペルの超有名曲ですね。「オー・ハッピー・デイ」もゴスペルクラシックです。これを有名にしたのは、エドウィン・ホウキンス・シンガーズ。彼らの作品は69年にミリオンセラーになっています。 タップダンサー、オマーのバックで使われた曲の中で、「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」は、ご存知モータウンのテンプテーションズの71年の大ヒット。 第二部。「キャラヴァン」も、デューク・エリントンの1937年の有名作品。ミュージカル『ソフィスティケイテッド・レディーズ』にも使用されました。続く2曲はゴスペルとしてよく知られている曲のようです。僕は詳しくは知りませんでした。 ロニーになってからは、ソウル、R&Bのヒット曲オンパレード。まず、「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」は、オーティス・レディングの大ヒット。「パーソナリティー」は、50年代から60年代に活躍したR&Bシンガー、ロイド・プライスの59年のヒット。ロニーに、プライスは最近どうしてるか尋ねたら、まだやっている、とのこと。プライスとロニーは友人だそうです。もう一曲「スタガー・リー」も彼の58年の大ヒットです。ロニーが17歳くらいのヒットなので、その頃、本当に大好きだったのでしょう。 「ジョージア」「愛さずにはいられない」は、ともにレイ・チャールズのヒット。超クラシックですね。このあたりは、日本のファンにもかなり受けていました。「愛さずに・・・」からメドレーで歌われた「ブルーベリー・ヒル」は、やはりR&Bの巨匠ファッツ・ドミノの56年の代表曲。このあたりの選曲は、年季を感じさせます。そして、観客をステージに上げて、ラインダンスをさせるという演出の「ニューヨーク・ニューヨーク」。フランク・シナトラのヴァージョンがもっとも有名でしょう。これは元々1945年に書かれた作品で、ミュージカル『オン・ザ・タウン』に収録されました。映画版で、フランク・シナトラ、ジーン・ケリーなどが登場しています。「マイ・ウェイ」は、ポール・アンカの作品で、シナトラのものでも有名。日本人がカラオケで歌う英語曲の人気ナンバーワンでしょうか。そして、「ホワッド・アイ・セイ」もレイ・チャールズです。 このように、言ってみれば、『ハーレム・ナイト』で歌われた曲とは、ブルース、ジャズ、ソウル、R&B、ゴスペルといったブラック・ミュージック全般から選曲されているわけです。70年代以降、80年代、90年代はさすがにはいっていませんが。そのあたりまで網羅したら、『ハーレム・ナイト』転じて、『ヒストリー・オブ・ブラック・ミュージック・ナイト』になってしまいますね。それでも、この『ハーレム・ナイト』の中には、様々な彩りを見せるブラック・ミュージックの七色の虹がかかっているのです。 +++++ ランドマークで今日まで。立ち見なら可能かもしれません。直接問い合わせてみてください。

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