Monthly Archives: July 2003

Femi Kuti & The Positive Force: Diamonds Are Made Of His Music

ダイアモンド。 いやあめちゃくちゃよかった。始まって5分もしないうちに、これはすごいと思った。驚いた。今年見た数あるライヴの中で、個人的に今のところ1位かもしれない。西アフリカ、ナイジェリアのフェミ・クティと彼のバンド、ポジティヴ・フォースのライヴだ。フェミはやはりアフリカ音楽の巨匠とも言えるフェラ・クティーの息子。 ドラマーがいい、ベースがいい、ギターがいい。ホーンセクションがいい。セクシーなダンサーが、これまたいい。パーカッションがいい。このリズムにやられた。祭りであり、エンタテインメントであり、もちろん、リアル・ミュージック・バイ・リアル・ミュージシャン。こんなに楽しく、しかも、演奏がしっかりしているバンドなんてなかなかお目にかかれない。 バンド演奏が始まり、パープルの上下のアフリカ風衣装に身を包んだフェミがステージに上がると、彼は丁寧に両手をあわせ、ゆっくり深々とお辞儀をした。何か神聖な儀式が始まるかのようだ。床に置かれていた3本のペットボトルの横に、まだほとんど汗をぬぐっていないタオルをきっちりと置いた。彼の几帳面さを垣間見て、血液型がA型じゃないかと思った。(笑) バックバンド、ダンサー、フェミ本人を加えオンステージには総勢15名。所狭しと踊り、演奏し、歌う。強烈なカーニヴァルがそこで繰り広げられた。 その中におそらく7-8歳と思われる子どもが、これまたかわいらしい小さなパーカッション(太鼓は2つだけ)を懸命に叩いていた。一曲目を終えたところで、フェミが紹介した。「僕の息子です。彼は3歳半の時に、トランペットで遊んでいて『ブアーン』という音を鳴らしたんです。それ以来、祖母は彼にドラムスを叩かせなさいと言い続けるようになりました。そして、(腕と指で彼を紹介する仕草)。父親であることと、こうして仕事として一緒にステージに立つことを両立するのはちょっとむずかしいですが・・・」 一曲目を演奏している時にはちょっとばかり険しい表情だったフェミが、「僕の息子です」と紹介した時、その顔は瞬時に父親の顔になっていた。その息子はいつも、父親の方を見ながらスティックを叩く。フェミ・クティー自身はまだ始めて2年というトランペットや、やはり始めて3年というキーボードなども使い、バンド演奏をリードする。彼はサックスと歌がもっとも得意だ。 それにしても、目の前で徹底して腰を振るこの女性ダンサーたちのハッピーでセクシーなことよ。なんであんなに腰を早く動かせるのか。アフリカ風の化粧とその激しいダンスは、それだけで観客を興奮のるつぼに陥れる。Shake Your Booty: 彼女らはThe Greatest Booty Shakers In The World. 強烈なリズム隊にホーンセクション。アフリカのファンクは、もはやアフリカだけにとどまらない。彼らの音楽性の中にアフリカの要素はあるものの、アメリカのソウル、R&Bのファンクと、根っこで同じだということが感じられる。フェミの音楽のルーツを求めて地球を下に掘って掘っていくと、ジェームス・ブラウンのルーツを掘ってたどり着くところと同じ地点にたどりつく。こういうライヴを見ると、一日も早くアフリカの地を訪れたいと痛感する。 後半、上半身裸になったフェミの背中や頭から汗が滴り落ちるようになった。時間の経過とともに二の腕あたりの血管が浮き出てくる。頭をちょっと左右に動かすだけで、汗が飛び散る。客席に背中を見せるとそこは全身汗できらきらと光る。褐色の肌に光るこの美しき汗はいい音楽を作り出すときに生まれた光り輝くダイアモンドだ。 1時間40分の情熱の爆発と野性の躍動。最後の曲が終わった後、観客席からはアンコールを求める拍手が5分以上続いた。珍しい。あまりに多くの見るべきもの、聞くべきものがあり、まだあと2-3回味わいたいが、昨日のショウで帰国してしまう。来年、またぜひ。 (2003年7月31日水曜・東京ブルーノート・セカンド=フェミ・クティ&ザ・ポジティヴ・フォース) ブルーノートの紹介ページhttp://www.bluenote.co.jp/art/20030727.html ENT>MUSIC>LIVE>KUTI, FEMI & THE POSITIVE FORCE

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Samuel L Jackson: He’s Got Rhythm, Soul and Aaaaaction

アクション。 NHK-BS『アクターズ・スタジオ』(29日午後11時10分から)にサミュエル・L・ジャクソンがでていたので、思わず見てしまった。ブラック俳優でも大好きなひとり。出てる映画もいいし、それぞれの役どころもみんないい。 彼はしゃべるし、思った通りおもしろかった。彼が明かしたスパイク・リー監督、クエンティン・タランティーノ監督のエピソードなど最高だ。タランティーノは、いろいろな映画を引用して説明するという話、カメラの向こうで撮影中笑いを堪えているシーンなんか、ジャクソンがタランティーノを真似するところもおもしろい。いかにも、タランティーノって感じだった。 彼が出た『ジャングル・フィーヴァー』(スパイク・リー監督)ではドラッグ中毒の役をやっていたが、その10日ほど前まで彼は本当の中毒だったという。リハビリテーションを受け、そこからでてきてまもなくこの撮影に入った。あの迫真の演技。なるほど。ジャクソンは言った。「(ドラッグについては)まあ、たくさんリサーチしたからな(笑)」  そして、その映画の中で薬中のジャクソンは父親に撃たれて死ぬのだが、その点を「あの時に、オレのドラッグとの関係には終止符を打たれたんだ」ときっぱり言い切った。 今、改めてあのシーンを見て、ふとマーヴィン・ゲイの父親が息子を撃ったというシーンが頭に浮かんだ。もちろんその現場を見たわけではないが。初めて『ジャングル・フィーヴァー』を見たときは、思いつかなかったんだが。厳格な父親とドラッグ中毒の息子。金をせびる息子を見て、何度同じことを繰り返しているのか、もう愛想が尽きた父親。そして、実の息子に銃弾を打ち込む。父が息子を銃で撃つというシーン。ひょっとして、スパイク・リーは、マーヴィンのことを考えていたのだろうか。たまたま偶然か。 実際の元ドラッグ中毒が、ドラッグ中毒役を迫真の演技で演じる。しかし、「オレがドラッグをやめて、頭をクリアにしていたから、できたと思うな」とジャクソンは冷静に振り返る。つまり、リハビリが完了していなければ、あそこまでの演技はできなかったのだろう。 ところで、この番組、いろいろな俳優たちが登場してきて話も面白く大好きなのだが、どうしても司会者リプトンの進行が好きになれない。彼は事前に質問をかなり綿密に用意している。そして、それを何がなんでも聞こうとする。というか、用意した質問はすべてきっちり出すぞ、という感じなのだ。そこで、ゲストが何かおもしろい話をしても、その話から生まれる質問というのがなく、いったん話が途切れて、次の話題(質問)に移ってしまうのである。だから、かなり聞き足りない、ストレスがたまるのだ。 ゲストが最初の質問に答える。そこから、「それは、なに?」とか「どうやってそうなった」とか質問の中から生まれる疑問とか、広がりが必ずあるのだが、そういうのをばっさり切る。だから言ってみれば質問のオムニバスを見ているようなのだ。もちろん、短い時間に多くの質問と答えを詰め込みたいというのはわかるが、「流れ」というものが考えられておらず、ゲストが持っている「ストーリー」が分断されている。 ひとつのストーリーが出てきて、そこから面白い話が展開すれば、それはそれでいいと思う。自然な感じの話が転がれば、それでいいのに。僕が司会者だったら、ある程度の方向性は筋道をつけるが、あそこまで厳格に質問用紙にはこだわらないなあ。まあ、テレビという特性もあるのかもしれないが。それともかなり編集されているのかな。 サミュエル・ジャクソンのような優れた俳優を見ていると、その演技が優れたジャズミュージシャンが演奏するプレイを見ているかのように思えるときがある。アドリブやインプロヴィゼーションがあり、遊びがあり、人々を感動させたり、笑わせたり、泣かせたりするフレーズがあるのだ。そして何より、彼にはリズムがある。 サミュエル・L・ジャクソン、1948年12月21日ワシントンDC生まれ。昭和23年生まれ、ネズミ年です。じっくり話を聞きたい人物のひとりだ。もちろん、彼も聞き応えのあるソウル・サーチン・ストーリーを持っている男にちがいない。 PEOPLE>JACKSON, SAMUEL L.

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100 Ways To Appreciate for Quincy Jones

無名。 ミニーつながりで、クインシー・ジョーンズの作品から「ボディーヒート」、「イフ・アイ・エヴァー・ルーズ・ディス・ヘヴン」(どちらも、ミニーが歌っています)などを聴いているうちに、彼のベストアルバム(2枚組)と『デュード』(81年)をゆっくり聴いてしまった。クインシーの歴史は大変なものだが、この70年代から80年代中期にかけての作品っていうのは、もう神がかっているとしか言いようがありません。 「イフ・アイ・エヴァー・・・」なんか、ミニー・リパートン、アル・ジャロウ、そして、リオン・ウェアが一緒に歌ってるんですからねえ。3人とも74年当時には無名です。ミニーがブレイクするのは75年「ラヴィン・ユー」で、アルは76年の『グロウ』のアルバムから。リオンは、裏方として、やはり76年のマーヴィンの『アイ・ウォント・ユー』あたりからです。 次から次へと当時は無名だが、後に有名になるような若き才能たちが結集して、これでもかというほどのリアル・ミュージックを聴かせる。ミュージシャンたちが奏でるその音は、すべて生音。やはり、音楽というのはすぐれたミュージシャンが作らないといけないんだなあ、とつくづく感じる。コンピューターを扱う人間が音楽を作っても、だめだということですね。 クインシーの81年のアルバム『デュード』は、でた当時もすりきれるほど聴いたものだが、今聴いても、本当に新鮮。またクインシーは若い連中と仕事をするのが大好きで、ここでもいろいろと抜擢している。一番脚光を浴びたのはやはり当時はまったく無名のジェームス・イングラムです。もともとソングライターが書いたデモテープで歌っていたところ、クインシーにこの声が欲しいと言われ、その曲を本番でも歌い、それがヒットしたという歌手です。その曲は、「ジャスト・ワンス」。ジェームス・イングラムの実質的なデビュー・ヒットになりました。ピアノのイントロから始まる美しい曲。そして、彼はもう一曲「ワン・ハンドレッド・ウェイズ」という曲も歌い、これもヒットさせます。 この「ワン・ハンドレッド・・・」で、彼はグラミーを獲得。クインシーに、自らのデビューアルバムを出す前にグラミー賞を獲得してしまった男、と呼ばれることになります。それまで、一曲50ドル程度のギャラで、作曲家のデモテープで歌っていた無名のシンガーは、クインシーに認められたことで、一躍スターのシンガーになりました。ジェームスは、100の方法でクインシーに感謝してもしきれないでしょう。

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Minnie Riperton & Leon Ware

接点。 ミニー・リパートンのバラードばかりを集めたCDが東芝からでるので、そのライナーを書くために、いろんな昔の彼女の作品を聴いています。ミニーの「ラヴィン・ユー」が入っているアルバム『パーフェクト・エンジェル』に続く作品が『アドヴェンチャー・イン・パラダイス』です。この中で、リオン・ウェアの曲がいくつか歌われているわけですね。 このアルバムは、75年5月に発売されていますが、ちょうど、「ラヴィン・ユー」が大ヒットした直後の作品です。「ラヴィン・ユー」に続くとなると、みな「ラヴィン・ユー」系の曲を望んだのですが、見事にそのタイプの曲はない。ここが潔いというか、あっぱれというか。 ミニーについては、この日記の読者の方ならご存知だと思いますが、すでに『ソウル・サーチン』の第6章http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/6.htmlでかなり詳細に書いていますので、ここは少し違った角度から書こうかなと思ってるわけです。 そこで目をつけたのが、リオン・ウェアとスコット・ギャロウェイという人。リオンは、先日のBBSにもSOULOZさんが書き込まれたように、昔からけっこうアルバムをだし、アンダーグラウンドでは非常に人気の高いシンガー・ソングライターです。スコットは、まあ、誰も知らないと思いますが、アメリカの音楽ジャーナリスト(まあ、僕と同業と言ってもいいかも)で、コンピレーションの編纂、選曲などもする人。彼は、ミニーの2枚組『ペタルス』を編纂しています。そこにいたるまでの苦労話がなかなか興味深かったので、このあたりにも触れようかな、と。 さて、リオンがミニーと出会ったのは、なんとクインシー・ジョーンズのセッションでした。クインシーの74年5月に発表されたアルバム『ボディーヒート』の中に、「イフ・アイ・エヴァー・ルーズ・ディス・ヘヴン」というリオンが書いた曲があります。これはその1年後75年8月からアヴェレージ・ホワイト・バンドがカヴァーして大ヒットさせますが、その曲をリオンと一緒に歌っているのがミニー・リパートンです。この時点で、ミニーはまだ「ラヴィン・ユー」のヒットを出していませんから、まあ、無名です。 そして、リオンが曲作りに参加した『アドヴェンチャー…』が75年5月に発売されます。また、リオンはこの後、彼がプロデュースなどに参加したマーヴィン・ゲイのアルバム『アイ・ウォント・ユー』が76年4月からヒットします。こうして、リオンの名は業界内でどんどんと高まっていくわけです。 果たして、リオンとミニーの接点、どんな展開になるんでしょうねえ。僕にもまだわかりません。(笑) 

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Live Recording At Queen’s Square Yokohama

公開録音。 何十本というスポットライトが、2階の遠くからステージを照らす。ずいぶんとライトとステージの間には距離があるのに、ステージ上ではその熱が感じられるほど暑い。 横浜クイーンズスクエアで『ソウルブレンズ』公開録音が、26日夕方行われた。公開放送は、5月の青山通り沿いでの仮設スタジオ以来だが、このクイーンズスクエアのほうは、集まっている人の数がはんぱではなかった。1階から3階まで、ステージが見えるところには、かなりの人が集まっている。その数約1500人ほど。 ガッツTKBショウ、光永亮太、そして、ゴスペラーズという豪華ゲストを従えての公開放送ということで、各アーティストの熱心なファンが、ステージ前のほうに立ったまま陣取っている。すでに何時間も待ってる人たちもいて、その手には団扇も。 そんな中、マーヴィンとたまちゃんが、つつがなく進行。『ヤマノ・ミュージック・ジャム』のコーナーも、今回は公開で録音。紹介したのは、話が楽なマライア・キャリーにした。前回5月の時には、U2などを選んでしまって、ちょっと苦労したので。(笑) たくさんの人の前や、照明などの暑さの中にいると、しゃべることなんかをぱっと忘れてしまう。冷静にこれとあれをしゃべろうと思ってもなかなか、100パーセントは思い通りに行かないもの。やはり頭の回転が普段より2-3割は落ちているような感じがした。ま、そのほうが早口にならなくていいんですが。(笑) その点、マライアならネタはいくらでもあるので、あれを忘れたり、これを忘れたりしても、大丈夫。会場に来ていた人の中で、マライアを知ってる人、ときいたら、ほとんどの人が知っていた。好きな人と聞くと、まあまあ7割くらいかな。で、先月のライヴ行った人、と聞いたら、ほとんど拍手がなかった。これが意外でおもしろかったというか、ずっこけた、というか。みんなマライア見に行ってないのだろうか。(笑) それより、観客とのやりとりという点では、ゴスペラーズの曲のイントロを一瞬だけ聞かせてその曲名を当ててもらい、賞品をあげるというコーナーではすごいものを見せてもらった。(笑) イントロ、ほんの1秒の半分くらいで、会場から「は~~い」と一斉に声があがった。また、逆回転クイズというのもやって、ある曲を逆回転で聞かせ曲名を当ててもらうというものだが、これも、すぐに正解がでた。この部分は放送では使われないんだが。 1500人以上の人の前でなにかをしゃべったのって、ひょっとして初めてかも。かなり圧倒されました。 この公開録音の模様は、8月3日(日曜)インターFM(76.1mhz)『ソウルブレンズ』(午後4時から5時56分まで)で放送されます。

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Motown Forever

モータウン。 なぜか、モータウンのカヴァーアルバムがほぼ時を同じくして2枚発売される。一枚が、既に7月9日に日本発売された元ドゥービー・ブラザースのマイケル・マクドナルドのその名も『モータウン』(ユニヴァーサル)。もう一枚が、なんとギタリスト、リー・リトナーの『ア・トゥイスト・オブ・モータウン』(ヴァーヴ)で、これは9月3日日本発売。 マイケル・マクドナルドのほうは、実によく練られて制作された感がある。まあ、ブルーアイドソウル・シンガーとして、マクドナルドは以前から定評があったので、彼がモータウンのヒットをカヴァーしても、非常に納得がいくところだ。選曲もなじみの深い曲を中心に、いいアレンジでまとめた。マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」、「ディスタント・ラヴァー」など、マクドナルド風でもあり、マーヴィンの面影も感じられ、なかなかいいヴァージョン。また、テンプスの「シンス・アイ・ロスト・マイ・ベイビー」も彼の声にあっていて、かなりいい。全体的に、いい雰囲気のポップアルバムにしあがっている。 20年前だったら、僕は彼がこのようなアルバムを出しても、そんなに耳を傾けなかったと思う。これを今何度も何度もプレイヤーに乗せて、へヴィーローテーションで聴いてしまうというのは、僕のソウルに対する許容度が広くなっていることと、やはり時代的に、歌物が恋しいという背景があるのだろう。この程度のソウル度でも、十分ソウルっぽく感じてしまう周りとの比較級の問題だと思う。つまり、昔はもっともっと濃いソウルがあったから、そっちに行っていたが、今はほとんどそういうのがないから、マクドナルドのソウル度に感じてしまうというわけだ。彼自身のソウル・ミュージックに対するスタンス、距離感はまったく変わっていない。別に否定的に言ってるわけではない。 さて、一方のリー・リトナーのアルバムは、う~~む、なんというか、はっきり言うとマイケルのアルバムと比較するとかなり、やっつけ仕事の感がする。これは彼の『ツイスト・オブ・ジョビン』、『ツイスト・オブ・マーリー』に続くカヴァーシリーズの第3弾ということになる。「インナー・シティー・ブルース」「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」など全11曲選曲はいいが、演奏は軽くまとめた、という感じ。なにかの番組のBGMには使えるが、一曲しっかり正座して耳を傾けましょう、というところまではいかない。 おそらくみんなワンテイクかツーテイクで録音したような感じの出来だ。もちろん、ゲストの名前はすばらしい。ジョージ・ベンソン、ウィル・ダウニング、リサ・フィッシャー(「パパ」を歌う)、ブレンダ・ラッセル(「トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」)、ジェラルド・オルブライトなどなど。アイデアでこれはと思ったのは、エドウィン・スターの「ウォー」とマーヴィンの「ホワッツ・ゴーイング・オン」をメドレーにしてで録音したところ。メッセージ的にもつなげられる2曲だ。 そうは言ってもモータウン・ファンは、やっぱり買うだろう。モータウン企画は、永遠に不滅だ。

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Chicago Police Apologize To Ice Cube

シカゴ警察、アイス・キューブに謝罪 シカゴ警察が、22日、ラッパーで俳優でもあるアイス・キューブに、シカゴ近辺で起きている暴行事件の容疑者がアイス・キューブに似ていると発表したことに対し、謝罪した。 警察はシカゴのウィッカー公園で起きた3件の女性暴行事件の容疑者を追っているが、20日(日曜)に容疑者は20代半ばの黒人で、人気ラップアーティスト、アイス・キューブを思わせる人物と発表していた。シカゴのCBS系列のテレビ局は21日にその発表に基づきニュースを報じるときに、アイス・キューブのビデオを流した。 警察のスポークスパーソンは、「このような表現はすべきではなかった。すぐに取り消そうとしたが、アイス・キューブ氏には深くお詫び申し上げる。なんら悪意はなかった」と発表した。 一方、そのアイス・キューブは今週から、昨年リリースされてヒットした映画『バーバーショップ』の続編『2』の撮影に入っている。    +++ 味。 このところ、ラッパーというよりもっぱら俳優仕事のほうが多いアイス・キューブだが、僕が初めて彼の俳優としての存在感に感心させられたのは、やはり、92年の『ボーイズ・ン・ザ・フッド』だった。これは、当時新進気鋭のジョン・シングルトン監督の作品。 こうしたリアルなブラック・コミュニティーを描いた映画を見せつけられると、本当にやるせなくなる。今の日本はかなり危ない状況ではあるが、それでも、たとえば映画の舞台となるようなカリフォルニアのサウスコンプトンとかに比べれば、まだ日本は安全といえるだろう。シングルトンの作った映画、あるいは、アイス・キューブが出てくる映画などを見ていると、映画なのにドキュメンタリーを見ているような気になってくる。 そういう意味では、アイス・キューブって、実に味のある俳優になっているなあ、と思う今日このごろでした。歌手上がりの俳優はなかなか成功しないが、ラップ上がりの俳優は、みないいです。トゥパックもね。 Edited By Jonathan Cohen. July 23, 2003, 3:00 PM ET Chicago Police Apologize To Ice Cube The Chicago Police Department apologized yesterday (July 22) for issuing a community alert that … Continue reading

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Sound of Footsteps in Empty Valley

苛斂誅求。 まず読めないでしょうね。初めてこの四文字熟語、聞きました。読みは「かれん・ちゅうきゅう」です。gooの辞書によるとこうです。 〔「斂」は収める、「誅」は責めるの意〕 年貢・税金などをむごくきびしく取り立てること。「取り立てが―をきわめる」 重い税金、税金の取り立てが厳しいことなんですね。で、だから何? それが、今日のライヴを見せたグループ、「neo.jp(ネオ・ドット・ジェイピー)」の一曲目に演奏された曲のタイトルです。 neo.jpは、シターラという独特の楽器をプレイする石間秀機さん、キーボードの深町純さん、ドラムスの堀越彰さんの3人組。他の誰もやらないような音楽をやろうということで集まった3人です。 石間さんによってシタ-ラと名づけられたギターは、6弦ですが、ゆるくチューニングしているために、普通に弾くよりは低い音がでて、上の弦を弾くと、あたかもベースを弾いているかのような音がでます。シタールとギターをあわせたような楽器で、これは、この石間さんが考案し、完全カスタムメードで作らせたもの。一応、注文があれば、作ることは作るが、とりあえずまだ石間さんしか持っていない、というオリジナル楽器です。 また、ドラムスの堀越さんは、かなりパワフルで歯切れがよく、ずっと聴いていたら、どこかかのパワフルドラマー、デニス・チェンバースを思わせられた。相当強力です。 石間さんのコンセプトは「ア・ニュー・サウンド・フロム・ジャパン」ということで、それがグループ名にも現れています。 そして、このグループによって演奏される曲名が、どれもおもしろい。石間さんが簡単に紹介してから演奏を始めます。「カレンチュウキュウ」なんて聴いたってわかりません。そこで、電子辞書に文字を打ち込むと、じゃ~~~ん! 変換! 「苛斂誅求」 と出てきます。でも、液晶暗いので読むのちょっと大変。 さらに、「優曇華(うどんげ)」(3000年に一度しか咲かない花)、「偶詠(ぐうえい)」(ふでの遊び)、「禅問答・そもさん」、「空谷(くうこく)の跫音(きょうおん)」(寂しい山中に響く足音。転じて、寂しく暮らしているときの思いがけない訪問やうれしい便りのたとえ)と続きます。 第二部のオープニングは、「懸壅垂(けんようすい)」、そして「迦陵頻伽(かりょうびんか、または、からびんか)」「テレクション・インテリ」「採蘇羅(さそら)」「起請文(きしょうもん)」と続きます。それぞれの言葉の意味を知りたい方は、ぜひ辞書などをおひきください。gooの辞書に、コピー&ペーストして国語辞典で検索すれば、さくっと意味がでます。曲名を耳で聞いて、なんのこっちゃと思い、辞書を引くと、必ずでてくるんで、びっくりです。 メンバーで集まってこういう感じ、などと言いながら、ジャムセッションをして、曲を作りあげていくそうです。3人、それぞれがほかにない音楽、日本だけの音楽を作ってみたいという共通認識を持って、試行錯誤を繰り広げているユニットということでしょうか。既存の言葉で言えば、ジャンルはまったくありませんが、ジャズというか、ファンクというか、激しいリズムに、前衛的なギターとキーボードのサウンドが絡み合って、独特の世界を生み出しています。このトリオの音がある次元から上に来ると、聞き手のそのときのスピリット・レヴェルがあがっていくような効果もあるようです。 停滞化している音楽業界にこのneo.jpは空谷の跫音となるでしょうか。 (2003年7月23日水曜・横浜サムズアップ=neo.jp(ネオ・ドット・ジェイピー)のライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>neo.jp

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Journey from New Orleans to Brazil in Seconds

熱厚暑。 なるほど、これがザディコですか。かなりアップテンポの感じで、なによりもアクセントはアコーディオン。そして、肩からエプロンのようにかけているパーカッション。これはラブボード、もしくはウォッシュボードという名前のようですが、確かに洗濯板みたい。このふたつがザディコの要っていう感じでした。 虎ノ門のJT本社ビルのホールで行われたニューオーリンズのクリス・アルドワンのライヴ。バンド・サウンドは、ドラム、ギター、ベースにアコーディオンと先のパーカッションの5人だけだが、実に厚い。ヴォーカルは、クリスとパーカッションがとるが、二人ともそのヴォーカルが実に熱い。もう鉄が炉の中で燃えたぎるようだ。そして、その熱くなった鉄で、会場の気温はどんどん暑くなる・・・かと思うと、実は、意外とそうではなかった。(笑) 会場がこ綺麗でおしゃれで、約100人のお客さんが小さなテーブルを前に、しっとり座ってるわけです。なんか、こういうザディコっていうような音楽は、もっと天井低くて、それこそタバコの煙ムンムンで、雑多でごった煮的な会場で、汗だくで聞くっていうのが、いいんじゃないでしょうか。(笑) 会場と音楽がアンバランスすぎる。(笑) 会場、ひょっとして禁煙? そういえば、みんな外のロビーでタバコ吸ってたなあ。JTなのに。(苦笑)  ウィルソン・ピケットの「ドント・レット・ザ・グリーン・グラス・フール・ユー」やボブ・ディランの「ノッキン・オン・ヘヴズ・ドア」なんかが、ザディコのリズムになっておもしろかった。最後には、あの「テキーラ」までが、ザディコ風味に味付けされ、なんでもレゲエのリズムで味付けられるのと同じように、いかなる曲もザディコになるんだな、と思った。 音楽自体、ザディコ自体は熱く、厚く、暑くて、エンジョイしました。 涼冷爽。 そして、最後の曲を聞く前に、ブルーノートに移動。今度は、打って変わっての涼、冷、爽という文字が浮かび上がるようなジョイスのライヴ。クリスが熱厚暑だとすれば、ジョイスは、涼冷爽。気温が一気に下がった。しかも、湿度まで低くなった感じです。 今回はスペシャルゲストに、伝説のボサノヴァのギタリスト、カルロス・リラを迎えている。このカルロスが一曲ごとに、日本語で一言コメントをするのだが、これが、おもしろい。曰く・・・「次の曲は田舎のボサノヴァです」「次の曲はとても甘くてロマンティックなボサノヴァです」「次はジャズスタイルのボサノヴァです。わかりましたか? わかりませんかあ?」「次の曲は黒人スタイルのボサノヴァです」。黒人スタイルのボサノヴァ、よくわからなかった。(笑) ボサノヴァも、ミュージシャンの人間性をよく投影する音楽だと思う。彼の歌と演奏を聞いてなんとなくそう思った。 土着的なニューオーリンズと都会的なブラジル・ボサノヴァ。蒸し暑くむさくるしいところから、一挙にさわやか爽快なところへ。 ちょっと肌寒い冷夏の東京の夜に瞬間移動。それは、ニューオーリンズからブラジルへの旅路。 (2003年7月22日火曜・虎ノ門JT本社ビル、アフィニス・ホール=クリス・アルドワン&ダブル・クラッチンのライヴ)(2003年7月22日火曜・東京ブルーノート=ジョイス・スペシャル・ゲスト・カルロス・リラのライヴ)(ジョイスは、7月26日まで) クリス・アルドワン記事ページ。http://www.chocolatecream.co.jp/datail/ChrisArdoin.html ジョイス紹介記事ページ。ブルーノート東京。http://www.bluenote.co.jp/art/20030721.html ENT>MUSIC>LIVE>ARDOIN, CHRIS & DOUBLE CLUTCHI’ENT>MUSIC>LIVE>JOYCE With LYRA, CARLOS

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Moominmamma & James Brown

ジェームス・ブラウンがフィンランドでライヴ。 ムーミン。 ジェームス・ブラウンが去る2003年7月17日(木曜)フィンランドのヘルシンキで行われたジャズ・フェスティヴァルでライヴを見せ、そのステージに、タルヤ・ハロネン・フィンランド大統領が登場、会場の大喝采をあびた。ハロネン大統領は同国始まって以来初の女性大統領。観客は、「タルヤ、タルヤ」の大合唱をし、大統領とジェームス・ブラウンを歓迎した。 今年59歳のハロネン大統領は、「ムーミン・ママ」との愛称で親しまれているが、髪を振り乱しながらジェームスブラウンの音楽で踊った、という。ただし、歌うようにうながされたが、歌は歌わずにマイクを通じて、「ここに来ていただいてありがとうございます。ミスター・ジェームス・ブラウン、ただ、私はショウガールではないので(歌えません)」とコメントした。 ハロネン大統領は、2000年3月に就任以来爆発的な人気を集め、世論調査によれば現在も94パーセントという驚異的な支持率を保っている、という。元外務大臣だった彼女は、以前から音楽好きとして知られ、様々なジャズフェスティヴァルなどに顔を見せていた。ムーミンママの愛称は、フィンランドの人気作家ヨハンセンが生み出したキャラクター、ムーミンから。 ジェームス・ブラウンは精力的にライヴを続けており、8月2日アトランティック・シティー、8月15日シカゴの「ハウス・オブ・ブルース」などで演奏した後、10月に来日する。 ++++ Edited By Barry A. Jeckell. July 18, 2003, 4:00 PM ET Finnish Leader Gets Down With James Brown When James Brown was winding down his show at a jazz festival yesterday (July 17) … Continue reading

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Zydeco: That’s What It Is

ザディコ。 夜7時過ぎから自由が丘のマルディグラで、守島さんのザディコを聴くイヴェントがあり、のぞきに行く。僕はザディコについては、ほとんど知らないのだが、初めて日本人バンド(キキ・ヨシタケ&ザディコ・バンド)のザディコ・ライヴを聴いた。このタイプも、CDよりライヴのほうが、絶対にもりあがる音楽だ。 今週火曜、水曜にライヴがあるクリス・アルドワンのCDも次々と紹介され、ちょっと予習できた。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030624.html 「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」(テンプスのヒット)とか「パッス・ザ・ダッチー」(ミュージカル・ユースのヒット)などをいわゆるザディコ風にアレンジしてやってるんですね。レゲエという音楽スタイルが、なんでもかんでも、即座にその独自のスタイルにしてしまうのと同じ。このザディコを言葉で表すのは難しい。しいていえば、アコーディオンが特徴的な、ニューオーリーンズのケイジャンミュージックから派生した非常にのりのいい音楽、といったところか。 僕がザディコについて知ったのは、ジョー・サンプルのライヴでのこと。http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/sample19990608.htmlただ、クリフトン・シェニエールというアーティストの名前は聞いたことがあり、たぶん、レコードも聞いたことがあったように思う。しかし、それがザディコというタイプの音楽というのはよくわからなかった。ちなみに、このジョー・サンプルのレヴューでは僕は「ザディゴ」と書いてますが、たぶん、そのとき、そう聞こえたんでしょう。「ザディコ」が正しいです。 そうそう、Zydecoの発音ですが、ズィディコとか、ザイディコとかの説もあるらしいのですが、僕はザディコでいいと思う。ニューオーリーンズにはめっぽう強い守島さんhttp://www.alles.or.jp/~morishim/によれば、フランス語のLes Haricotから来ている、と。これだと、フランス語のリエゾンで、「レザリコ」になって、ザディコになまっていくというのはとても自然です。 このイヴェントにも来ていたデイリー・ヨミウリのライター、レス・コールス氏のクリス・アルドワン紹介記事(2003年7月17日付けデイリー・ヨミウリhttp://www.yomiuri.co.jp/newse/20030717woa7.htm)によると、ザディコは、les haricots ne sont pas sales から来ているそうです。このフランス語の意味は、豆(ビーンズ)は塩辛くない。これが転じて、厳しいとき、そのときは辛いといったことを意味するそうです。 さて、せっかく自由が丘まで来たのだから、帰りに珈琲屋アンセーニュダングル(2002年12月15日付け日記http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.html)によることにした。一人でカウンターに座ると、マスターがいきなり、「JB来ますねえ」とJB来日のチラシを出して、話しかけてきた。そして、しばしJBとソウル話に花が咲いた。 マスターがこの店のこと何か書かれましたか、と尋ねるので、自分のホームページの日記に書きました、というと、彼自身はインターネットはやらないそうだが、いろいろ人から聞いたりする、とのことでした。というわけで、ホームページのアドレスなどをお教えしてきました。確かに、アンセーニュダングルで検索すると、僕の日記もでてくるんですね。びっくりです。

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Soul, Sweat & Tears or Guts, Sweat & Tears

魂汗涙。 ファンキー、ソウルフル、ダンサブル、エネルギッシュ。ソウルとスゥエットとティアーズがそこにあった。あるいは、ガッツ、スゥエット&ティアーズ。 インディ系で活躍している日本人グループ、ガッツ(スペルはThe Guts)のライヴが初台のライヴハウス、ザ・ドアーズであった。ワンマンライヴ(一アーティストの単独ライヴ)は、3度目だという。 リードヴォーカル、大和を中心にドラム、ギター、ベース、キーボードに3管(トロンボーンにサックス2本)、そして、女性コーラス2人という計10人の大所帯バンド。一言で言えば、とってもまとまっていて、完成度が高いショウを見せたもらった。正直、びっくりした。曲もヴァリエーションがあるし、ステージの構成もまとまってるし、激しくみんな動き、踊るし、何より飽きさせない。なんといっても3管の生の迫力は、ソウル系バンド好きにはたまらない。バーケーズとかクール&ギャングとか、スタックス系の音が存分に出てきて、楽しめた。 「スイート・ソウル・ミュージック」とか「ホールド・オン」とか、クール&ギャング風とか「ピーターガン」とか、「ダンス天国」とかいろいろ聞いたことがあるフレーズがたくさんでてきて、カヴァーなのかオリジナルなのか僕の頭上にクエスチョン・マークが点灯したが、通して聞いてみると、やはりオリジナルだということを認識した。(笑) 全部日本語だし。 ヴォーカル以外、ドラムもギターもベースもキーボードも、管楽器も、みんなソロがあったり、ちゃんと出番があり、変化をつけてる。これでステージがもう少し広ければ、ダンサーも3人くらいつけられるんじゃないだろうか。 リーダーの大和は、サザンオールスターズとか好きなのかな。1-2曲、サザンを思わせる曲があった。入口で、今日のライヴでも歌われた3曲(「SHOWTIME」、「恋せよ乙女」、「日本代表」)が入ったCDが配られた。いくつか宿題は残っているようだが、こういうライヴたたき上げバンドは、CDより、絶対ライヴのほうが映える。ナオミちゃんに不二子ちゃん、前面にでて、可愛いし。ガッツももっともっとライヴやれば、人気でてくるんじゃないでしょうか。 ザ・ガッツのホームページは下記。http://theguts.infoseek.livedoor.com/index.html (2003年7月19日土曜日・初台ドアーズ=ザ・ガッツ(The Guts)ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>THE GUTS

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The Power Of Love For Luther Vandross

ビデオ。 ルーサーのビデオにセレブ続々登場です。 病気入院中のルーサー・ヴァンドロスの新作アルバム『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』は依然好調な売れ行きを見せているが、同アルバムからの最初のシングル「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」のプロモーション用ビデオクリップが製作されている。 ルーサーは、4月半ばから入院中のために、このビデオには顔を出せないが、多くの友人ミュージシャンたちが、ときに口パクなどで、この曲に参加する。 登場するのは、スティーヴィー・ワンダー、ビヨンセなどのほか、テレビ番組『アメリカン・アイドル』に出演しレコードデビューし、一躍注目されているシンガー、ルーベン・スタッダード、モニカ、ブライアン・マックナイト、ジョニー・ギル、ジャスミン・ガイなど。 ビデオを監督したダイアン・マーテルによれば、「すばらしいパフォーマーへの見事なラヴレターで、感動的で、美しい」という。マーテルはこの映像を、去る6月23日に行われたBET(ブラック・エンタテインメント・テレヴィジョン)の『第3回BETアワード』の授賞式で撮影した。 ビデオは7月第2週に編集されるが、初オンエア日などは未定。 また、ルーサー・ヴァンドロスは、アルバムがナンバーワンになった週に、それまで入院していたウェイル・コーネル・メディカル・センターを退院、別のリハビリテーション・センターに移動したという。母親、友人たちの愛の力が、ルーサーに届き退院となったのか。 Video Valentine for VandrossMon Jul 7, 6:15 PM ET Add Entertainment – E! Online to My Yahoo! By Joal Ryan The power of love seems to be working for Luther Vandross. Hospitalized … Continue reading

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Peaches & Herb @ Tatoo Tokyo

イヴェント。 雑誌ブリオの読者招待イヴェントが東京六本木のタトゥー・トウキョウで7月17日行われたので行った。入口にはスポンサーのアウディが飾られている。さすがこれだけの予算のイヴェントを組むにはスポンサーが必要なんだな、と痛感。 中に入ると一階ではダンスクラシックがかかって、みんなが踊っている。さすがに今日のイヴェントの年齢層はかなり高い。一見モデル風の人も数人だけいたが、彼女たちはかなり背が高い。 こうした80年代ダンスクラシック系の人気は根強い。ビブロスや、キサナドゥーなどの人気も相変わらず。 さて、いろいろ知った顔に遭遇するわけだが、ブリオには、ソウルトレイン・ラニンという全国のソウルバーを紹介するページがあり、毎月基本的に2店ソウルバーが紹介される。それを書いている高畠さんと久々に会い、またソウルバー情報交換をした。彼は、おそらく日本で一番ソウルバー巡りをしている男だ。なので、僕は日本で2番目にソウルバーを開拓している男の座を目指すことになる。 彼はなんと言っても東京圏外の地方を全国津々浦々行っているところがすばらしい。ブリオが監修したソウル・ヒットのオムニバスが7月に2種類発売されたが、そのうちの一枚のジャケットは、京都のPファンクバーという店の写真だ。僕はまだこのPファンクバーに行ったことがないが、この写真を見ると、実に雰囲気がある店にみえる。これも、彼が取材で行ったときにフォトグラファーが撮影した写真を使用している。 ゲッコウは既に彼は一度行っていた。さすがだ。武蔵小山のジーナはソウルバーではないが、また、彼はまだ行ったことはなかったが存在は知っていた。ミッドナイト・アワーと、ファンクスを教え、彼からは吉祥寺のライスン・リブス、町屋のラッキーズ、中野のスタイルというのを教わった。そうだ、あの恵比寿の新店を教えるのを忘れた。 そんなこんな話をしているうちに10時が過ぎた。下のホールでは、ライヴが始まった。カラオケにあわせて登場したのは、男女二人組み。軽快なイントロから始まったのは、「ファンタイム」。そう、ピーチェス&ハーブである。ハーブは、昔からのハーブだが、ピーチェスはかなり若いので、何代目かなのだろう。 そして、「シェイク・ユア・グルーヴ・シング」、「ウイヴ・ガット・ラヴ」、「アイ・プレッジ・マイ・ラヴ」、そして、「リユナイテッド」。計5曲およそ20分余のステージだった。「アイ・プレッジ・・・」と「リユナイテッド」では、チークを踊るカップルもいた。なんかいかにもディスコの営業という感じだった。(笑)  ライヴが終わって、しばらくしたら、ピーチェスがでてきていたので、話を聞こうかと思ったら、いつのまにかいなくなっていて、話を聞きそびれた。 こういうイヴェント、時々やって欲しいですねえ。 (2003年7月17日木曜・タトゥー東京・イヴェント) ENT>MUSIC>LIVE>PEACHES & HERB

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First American Idol Kelly Clarkson

恵。 アメリカで昨年から大変な注目を集めているテレビ番組がある。『アメリカン・アイドル』というもので、全米から歌手志望の人を集めて競わせ、優勝したらレコード契約を与える、というスター誕生番組、日本で言えば、アサヤンみたいなものだ。 2002年夏に3ヶ月放送され、1万人の候補から30人が選ばれ、番組で競い合い、最後10人に絞られ、最終的に視聴者が電話投票で優勝者を決めた。最終回は2500万人の視聴者が番組を見て、投票を行った。こうして決められた優勝者が、ケリー・クラークソンという現在21歳の白人女性シンガーなのだ。 ケリーは、1982年4月24日テキサス州フォートワース生まれ。このケリーのショウケースが16日、渋谷のクラブ・ウーム(womb)で行われた。中に入れないほどの超満員。4曲をトラックで歌ったが、さすがに、1万人から選ばれただけのことはある。歌はうまいし、ルックスもいい。特に4曲目に歌われた「ア・モーメント・ライク・ディス」は覚えやすく、キャッチー。ヒットしただけのことはある。スター性も十分だ。 彼女のデビュー作『サンクフル』が7月23日日本発売されるが、ここに日本盤ボーナストラックとして収録されているのが、「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」。これがなかなかいいでき。キャロル・キングの作品で、アレサ・フランクリンなどが歌って大ヒットさせた曲。個人的には、アルバム中の一番のお気に入り。彼女は、これをその『アメリカン・アイドル』の中で歌っていたのだ。 ホイットニー、セリーヌ、マライアといった王道女性シンガーの道を行く正統派シンガーだ。この路線は、いつの時代でも、受け入れられる。 ショウケースでは4曲歌った後、矢口清治さんの司会で、ケリーと矢口さんの質疑応答があった。彼は、ケリーの首のあたりに「恵」という漢字の刺青があるのを見つけ、そのことを尋ねた。ケリーは答えた。「私が、つらい時期にこの刺青をいれた。いくつか字があったなかから意味を聞いてそれを選んだ。そのときは(自分が)恵まれてるとは思わなかったけれど、結局私はよい友人にも、親にも恵まれているということに気づいた。そして、こうして歌手という仕事ができるようになり、日本にも来れて、実に恵まれているなと思う」 僕は、その「つらい時期」というのが、いつ頃のことで、どのようにつらいのか知りたくなったが、残念ながらそのつっこみはなかった。おそらく、両親の離婚、恋愛と失恋、自宅が火事になったこともあったという。そのつらい時期に、「恵」という刺青をいれたら、その後、歌手の道が開け、『アメリカン・アイドル』という願ってもない番組で優勝し、しかも、CDも全米ナンバーワンになったのだ。その「恵」パワーは、おそろしく、計り知れないものをもっていたということになる。これは、おもしろい。 彼女は異様に早口でまくしたてる。通訳の渡瀬さんが苦労するほど。「それまではただ歌っていたけれど、番組で『ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン』を歌ったら、観客の人たちがものすごく反応してくれたの。私がそれまでマライア(・キャリー)や、エアロスミス、リビー・マッキンタイヤーなんかをきいて、感じていたことと同じことをリスナーが感じているんだなと思って、ものすごく嬉しくなった。かつて(そうしたアーティストから)私のソウル(魂)に到達したものを、今度は私がリスナーのみんなにあげたいな、って、そのとき思った」 ケリー・クラークソンは、もちろん、これからの注目新人だが、僕は同じ『アメリカン・アイドル』出身の次のシンガーにひそかにより大きな期待をかけている。黒人シンガーのルーベン・スタッダードだ。ルーサー並みの巨体。まだ歌声を聞いていないが、絶対に間違いなくすばらしいソウル・シンガーである。顔と体格みただけで、わかる。(笑)  もうひとり、白人のクレイ・エイキンもまもなくデビューするが、クレイよりも圧倒的にこのルーベンが歌唱力があるようだ。ルーベン・スタッダード、そして、『アメリカン・アイドル』。このキーワードをお忘れなく。 チャンスに恵まれ、人に恵まれ、才能に恵まれた、『恵』のシンガー、それがケリー・クラークソンだ。スター誕生である。 (2003年7月16日水曜・ケリー・クラークソン・ショウケース、渋谷ウーム) ENT>MUSIC>LIVE>CLARKSON, KELLY

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Another Song Craftsman Skip Scarborough Dies At 58

スキップ・スカーボロー死去。 70年代から80年代にかけて数多くの作品を書いたり、プロデュースしてきたプロデューサー、スキップ・スカーボローが去る7月3日、ロスアンジェルスで癌のため死去した。58歳だった。 スカーボローは、1944年か45年、メリーランド州バルティモア出身。フルネームはクラレンス・アレキサンダー・スカーボロー。70年代からピアニスト、スタジオ・ミュージシャン、ソングライターとして頭角を出し始め、代表作にはアース・ウィンド&ファイアーの「キャント・ハイド・ラヴ」、「ラヴズ・ホリデイ」、エモーションズの「ドント・アスク・マイ・ネイバーズ」、LTDの「ラヴ・バラード」、コンファンシャンの「エフファン」、ビル・ウィザースの「ラヴリー・デイ」、マザース・ファイネストの「ラヴ・チェンジス」(後にカシーフがカヴァー)などがある。 アニタ・ベイカーの「ギヴィン・ユー・ザ・ベスト・ザット・アイ・ガット」(88年のヒット)では、作曲家の一人としてグラミー賞を獲得している。 フランク・ウィルソンが78年にプロデュースしたプロジェクトにアルトン・マクレイン&デスティニーという女性グループ3人組があった。彼女たちは日本でも「イット・マスト・ビー・ラヴ」がディスコを中心に大ヒットしたが、彼女たちが81年に発表したアルバム『ゴナ・テル・ザ・ワールド』をスキップがプロデュース。その後、スキップとアルトンは結婚する。デスティニーは85年2月にメンバーのひとり、デローズ・ウォーレンが32歳で交通事故死。グループは自然解散となる。 アルトンは育児家事に専念、スキップはアレンジャー、ソングライター、プロデューサーとして活躍していた。彼がてがけたアーティストには、フルート奏者ボビー・ハンフリー、パティー・ラベル、フィリス・ハイマンなど。 8日にローズヒルズ・メモリアル・パークで行われた葬儀には、フランク・ウィルソン(元モータウンのプロデューサー)、テリー・マクファデン、ジム・ギルストラップ、ビル・ウィザースなどが参列した。 +++++ Giving Her The Best That He Got ベスト。 スキップ・スカーボローには会ったことはない。だが、70年代から80年代にかけてのソウルのレコードにはよく名前がでてきた。前述の通り、たくさん、いい曲を書いたひとである。また、コン・ファンク・シャンのアルバム・プロデューサーとしても活躍していた。 レイ・パーカーが80年代初期に、確か六本木のディスコでライヴを見せたときに、そのバックコーラスにアルトン・マクレインが来ていた。まったく事前にそのことを知らなかったので、レイがそのショウのメンバー紹介の中で、アルトンの名前を言ったときには驚いた。そこで、ライヴが終わった後、少し話す機会があり、雑談した中で、「私のボーイフレンドはスキップ・スカーボローで・・・」という話が飛び出し、びっくりしたことをよく覚えている。そのときもう結婚していたのか、これからすると言ったのかはっきりしないが、いずれにせよ、それ以来、彼らはずっと結婚生活を続けていたわけだ。息子もミュージシャンらしい。 スキップは、76年度のグラミーで楽曲「アース・ウィンド&ファイアー」の作者の一人として初めてノミネートされた。それから12年後の88年度、アニタ・ベイカーの作品「ギヴィング・ユー・ザ・ベスト」で、ついにグラミーを獲得する。この作品のドラムスはオマー・ハキム、ベースはネイサン・イースト、ピアノはディーン・グラント、そして、プロデュースはマイケル・J・パウエルである。この曲は、もともとハワード・ヒューイットを想定してレコード会社に売り込まれたが、レーベルメートであるアニタがこの曲をオフィースで聞き、すっかり気に入り、彼女が録音することになった。 スキップ・スカーボローは、文字通り、アニタに彼のベストを提供した。ご冥福をお祈りしたい。 +++ ENT>OBITUARY>SCARBOROUGH, SKIP

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更新情報:ライナーノーツ3本アップしました

今月発売の新譜ライナーノーツを3本アップしました。 マーヴィン・ゲイのDVD2本と、アル・マッケイ・オールスターズのライヴ・アルバムです。 エンタテインメント>ミュージック>ライナーノーツで進んでください。 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/index.html ここから、アル・マッケイ、マーヴィンなどにお進みください。 また、ライナーノーツの一覧をアーティストのアルファベット順にしました。今後は、この順でアップしていきます。 あるいは直接次のリンクへ。 マーヴィン・ゲイ・ライヴ・イン・モントルー http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/marvin20030719-2.html 1980年のスイス・モントルーでのライヴ映像。 マーヴィン・ゲイ『ビハインド・ザ・レジェンド』 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/marvin20030719-1.html マーヴィンの最新ドキュメンタリー映像。 アル・マッケイ・ライヴ http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/mccay20030723.html アル・マッケイ・オールスターズの2002年のマウントフジにおけるライヴアルバム。 (お知らせ) マライア・キャリー・ライヴ評が、毎日新聞のウエッブに掲載されています。 http://www.mainichi.co.jp/life/music/live/2003/0714.html このウエッブ日記で書いたものを少し手直ししました。 また、本ホームページ内の検索機能が、新しくアップされたものについて反映していませんが、しばらく時間がかかりますので、ご了解ください。

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(速報)Compay Segundo, Jazz Great Benny Carter Dead At 95

コンペイ・セグンド、ベニ-・カーターともに95歳で死去(速報) キューバを代表するアーティストであり、ブエナ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブのメンバーでもあるコンペイ・セグンドが7月14日、ハヴァナで死去した。95歳だった。 一方、ジャズ界の大御所、ベニ-・カーターも7月14日、ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院で死去した。きしくも95歳。 +++++ Edited By Jonathan Cohen. July 14, 2003, 11:00 AM ET Compay Segundo Dead At 95 Compay Segundo, one of Cuba’s oldest “troubadours” and charming frontman for the Buena Vista Social Club group, died this morning (July … Continue reading

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Song Craftsman Homer Banks Died At 61

クラフツマン。 メンフィスのスタックス・レコードを中心に60年代以降にソングライターとして活躍し、さらに、自らバンクス&ハンプトンとして、アーティストとしてもレコードをだしこともあるホーマー・バンクスが、癌のため去る4月3日死去していたことがわかった。 ホーマー・バンクスは、1941年8月2日テネシー州メンフィス生まれ。メンフィスのブッカーTワシントン高校に進み、16歳のときに、ゴスペル・グループ、ソウル・コンソリデイターズを結成。1962年から64年まで、徴兵。その後メンフィスに戻り音楽活動を続け、インディ・レーベルを経てソングライターとして頭角をだす。 メンフィスのスタックス・レコードを本拠にカール・ハンプトンとコンビを組み、ジョニー・テイラーの「フーズ・メイキング・ラヴ」(68年)、サム&デイヴ、ステイプル・シンガーズ(「イフ・ユー・アー・レディー」「アイル・ビー・ジ・アザー・ウーマン」)などに作品を提供したり、プロデュースを始めた。このほかに、ルーサー・イングラムの「イフ・ラヴィング・ユー・イズ・ロング」(後にロッド・スチュワートがカヴァー)、シャーリー・ブラウンの「ウーマン・トゥ・ウーマン」などの大ヒットを送り出し、スタックスを代表するソングライターのひとりとなった。 また彼らの作品は、ロッド・スチュワート以外にもトム・ジョーンズ、ローリング・ストーンズ、エルヴィス・コステロ、シンプリー・レッドなどロック系のアーティストたちによっても録音された。 70年代中期に、A&Mレコードの出版部と契約、カリフォルニアに移住。さらに、77年、アーティスト、バンクス&ハンプトンとして契約。アルバム『パスポート・トゥ・エクスタシー』を発表。 スタックスの同僚レスター・スネルは、「ほとんどの人間は、彼のように曲を紡ぎだすことはできない。ただ曲を『書く』(writing a song)のと、曲を『紡ぎだす』(crafting a song)のには大きな違いがあるのだ。彼はその達人だった。彼が書く歌詞の一言一言に、大変な重みがあった」と振り返る。 ホーマー・バンクスはかつてこう語ったことがある。「スタックスは、私の人生だ。黒人はスタックスを本当に誇りに思っている。スタックスがおおきく盛り上がっているとき、メンフィスには心臓の鼓動があったのだ」 メンフィスの心臓が、またひとつ、その鼓動を止めた。 ++++ http://www.guardian.co.uk/arts/news/obituary/0,12723,942506,00.html Homer Banks Producer and songwriter of superbly crafted ballads for Stax Garth CartwrightThursday April 24, 2003The Guardian Consummate craftsman: Homer Banks Songwriter and producer Homer … Continue reading

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Liz Wright Will Be Coming To Japan

リズ・ライト来日。 ジャズ系のシンガー、リズ・ライトが9月に来日する。公演は、9月17日(水)から20日(土)まで、横浜のモーション・ブルー・ヨコハマ。今回は東京ブルーノートの出演はない模様。バックはEJ・ストリックランド(ドラムス)、ジョン・コハード(ピアノ)、ダグ・ウェイス(ベース)。 リズ・ライトは、1980年1月22日、ジョージア州ハヒーラの街生まれ。3人兄弟の末っ子、上に兄と姉がいる。父親は教会の牧師、母は同じく教会で歌っていた。そこで、兄弟とともに、6歳くらいから、教会でゴスペルを歌っていた。14歳までに彼女はピアノを独学で覚え、ピアノを弾きながら歌うことを覚えた。ハイスクール時代にはゴスペル以外にも様々なタイプの音楽に接し、また、いろいろなグループに在籍した。ジャズに目覚めたのもこの頃。 ハイスクール卒業後、ジョージア州立大学に入学。ここでヴォーカル・パフォーマンスを専攻するが、その対象音楽がクラシックだったことに嫌気がさし、約1年でやめ、ジャズのグループなどに参加して歌いはじめる。 98年夏にジョージア州メイコンに引っ越す。そこで仕事を得て、一人で住んでいたが、一体自分が何をしたいのかじっくり考え、週に何日も2時間かけてアトランタまで車を走らせ、同地のジャズクラブに入り浸るようになった。99年始め、チャーチル・グラウンドという店でのジャム・セッションに参加したところ、認められ、アトランタを本拠とするバンド、イン・ザ・スピリットにヴォーカルとして誘われることになった。 さらに2001年、クルセイダーズのキーボード奏者、ジョー・サンプルに認められ、ジョーのアルバム『ザ・ピーカン・トゥリー』(2002年3月発表)で2曲を歌い、大きな注目を集める。 2002年7月11日、シカゴ・オーケストラ・ホール。ここで「ビリー・ホリデイ・トリビュート」のライヴが行われ、リズも「アイ・カヴァー・ザ・ウォーターフロント」と「ドント・エクスプレイン」を歌い、大喝采を浴びた。 2003年、トミー・リピューマのヴァーブ・レーベルと契約。5月、同レーベルからのデビュー作『ソルト』が発売され、スムース・ジャズ・ステーションを中心にエアプレイを得ている。このアルバムは、トミー・リピューマ自身がプロデュースにあたっている。      +++++ The Star Of The First Name Only ファーストネーム。 昨日のバーニーのレーベルメートにあたるのが、このリズ・ライト。ハスキーで、ソルティーな歌声は、情緒豊かで、非常に魅力的。ジョー・サンプルが、ランディー・クロフォード、レイラ・ハザウエイの後釜に選んだだけのことはあるシンガーだ。最近の若手女性シンガーの中ではぴか一。ダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、ディー・ディー・ブリッジウォーターらの次の世代を担うシンガーになっていきそうだ。 僕がリズのことを知ったのは、もちろん、ジョー・サンプルの『ピーカン・トゥリー』でのこと。2曲歌っていた。どちらも、よかった。 2002年4月、彼女はそのジョー・サンプルのライヴで来日している。そのときの生の歌声は今でも忘れない。既にCDで聞きなじんでいたが(とはいっても、CDではたったの2曲だけだったが)、実際に情感豊かに歌っていた姿は、新時代のスターシンガーを予感させた。 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/joe20020409.html ライヴ評にも書いたが、『ピーカン・トゥリー』収録の「ノーワン・バット・マイセルフ・トゥ・ブレイム」は、リズのこれまでのところ、最高傑作楽曲だと思う。失恋してしまったが、誰のせいでもない、責められるのは自分だけだ、という悲しい歌だが、これが実に世界を作る。 そして、彼女のソロ・デビュー『ソルト』のアルバムでもじっくりと歌を聞かせる。ニュアンスの伝え方も見事で、既に、リズの世界を持ち始めているところが、すばらしい。「声で売れる」シンガーだ。来年のグラミー賞ジャズ女性シンガー部門のノミネートを期待したい。ただひとつだけ、このアルバムで不足があるとすれば、それは、かのジョー・サンプルのピアノがないということだ。 ビリー、ニーナ、エラ、サラ、ダイナ・・・。偉大なディ-ヴァたちはみなファーストネームで呼ばれた。彼女も近い将来、シンプルに「リズ」と呼ばれることになるだろう。それは輝かしきファースト・ネーム・スター。   +++++ リズ・ライト・ライヴ 9月17日(水)から20日(土)モーションブルー・ヨコハマ045-226-1919ショウタイム、月~金 19.00と21.30土曜、18.30と21.00チャージ4500円、入れ替え制(7月19日・土曜・発売開始) +++

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Bernie Williams’ Music Field Of Dreams

多才。 今年松井選手がニューヨーク・ヤンキーズにはいったことによって、よかったことのひとつが、頻繁にバーニー・ウィリアムスの雄姿が見られることだった。しかし、今年、バーニーは、怪我などで毎試合出場となっていない。それほど、詳しく彼のことを知っていたわけではなかった。単純にめちゃくちゃかっこいい黒人選手で、ホームランバッターというくらい。彼がでていれば、試合は見てた。 僕がホームランバッターで知ってるのは、元マリナーズで現シンシナティー・レッズの主砲ケン・グリフィー・ジュニア、このバーニーのほか、あとは、ソーサとかソーサに打ち勝ったマグワイアーとか。あ、そうだ、バリー・ボンズも忘れてはいけない。そんなところか。かのイチロー選手が、バーニーにあこがれて背番号51をつけている、という。 そして、彼が実はとても音楽が好きで、十代の頃は、プロのミュージシャンになるか、スポーツ選手になるか、ずいぶん迷ったということを知った。その彼のもうひとつの夢が、この7月実現する。 ギタリスト、バーニー・ウィリアムスのデビュー・アルバムがGRPレーベルから7月15日に発売される。タイトルは、『ザ・ジャーニー・ウィズイン』。日本盤は7月23日発売。 http://www.universal-music.co.jp/jazz/artist/bernie_williams/index.html http://www.vervemusicgroup.com/grp/product.asp?pid=10820 これが実に気持ちいい。軽く、明るく、彼はアコースティック、エレキ、両方ギターを弾く。バーデン・パウエルの「サンバ・ノヴォ」、ビリー・ジョエルの「アンド・ソー・イット・ゴーズ」などのカヴァーのほか、オリジナル曲も収録されている。バックには、デビッド・ベノワ、デイヴィッド・スピノザ、ルイス・コンテ、バシリ・ジョンソンなどなど。 聞ける、聞ける。普通に、新人ギタリストの新譜として聞いても、軽くエンジョイできる。カンサスのヒット曲「ダスト・イン・ザ・ウィンド」なんか、かなりいい感じ。いわゆるスムース・ジャズのステーションでかなりのヘヴィー・ローテーションになりそう。 1968年9月13日プエルト・リコ生まれの34歳。なんと、来る7月15日のオールスター・ゲームを前に、7月13日にシカゴのハウス・オブ・ブルーズで、CD発売記念お披露目ライヴを行う。シーズン中に、ライヴをやるとは、びっくり。 でも、稼ぎはギタリストよりも、野球選手のほうが絶対に何十倍と多い。一方、野球選手の寿命は短いが、ギタリストの寿命は長いから、野球引退後にギターで行くっていうのは、いいかもしれない。スポーツもできて、音楽もできるなんて、うらやましい限りだ。多才だ。そうかあ、ギタリスト、バーニー・ウィリアムスだったら、インタヴューする機会もあるかもしれないな。(笑)  しばらく前のWBLSの『サンデイ・クラシック』でも、バーニーのアルバムからかけていた。ユニバーサルジャズは、『サンデイ・クラシック』に強い。その前には、リズ・ライトもかけていたから。 リロイ・ニーマンのいい感じのバーニーの肖像画のCDカヴァーは、初回限定のようです。これは、バーニーにとって、もうひとつのフィールド・オブ・ドリームス。つまり、ミュージック・フィールド・オブ・ドリームス。

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Big Bold Red Sign Called Me

赤サイン。 3段ほど階段を下がって入るお店。入口に極太の「BAR」の赤いサイン。前から気になっていたそこは上大崎のソウルバー「ミッドナイト・アワー」。2002年4月オープンの現在2年目。CDはかけず、ターンテーブル2台でレコードをかけます。まあ、ソウルバーとは謳ってはいるんですが、ときとして歌謡曲がかかったり、ジャズがかかったりするわけです。でも、店名「ミッドナイト・アワー」ですからねえ、ソウルファンとしては、匂いわけです。で、一見さんでしたが、ずいぶん前に勇気を振り絞ってはいりました。すぐに打ち解けました。それ以来、うちに近いこともあって、しょっちゅう顔をだすようになりました。赤いサインに呼ばれて、という感じです。 で、ラリー・カールトン帰りにそこに寄ったんですね。まあ、気持ちはジャズ、フュージョン的な方向に向いているわけです。誰だって、寅さんの映画終わって映画館でてきたら、バナナの叩き売りするように、(高倉)健さんの映画見終わったでてきたら、肩で空気切りながら歩くように、それと同じ、ラリー・カールトンのライヴ見終わってきたら、みんなエアギター(ギターを弾く真似)やってるでしょ。 最初は、クラレンス・カーターやら、テンプテーションズなどがかかっていたんですが、徐々にジョー・サンプル&デイヴィッド・T・ウォーカーのアルバムやらブルーノートの1500番台などがマスターの吉田さんから出されるわけです。 「いや、クルセイダーズは『ストリート・ライフ』しかないんですが、今、貸しちゃってて」といいながら、でてきたのが、ピアノのレッド・ガーランドの「オール・モーニング・ロング」、同じくピアノのホレス・シルヴァーの「ア・ソング・フォー・マイ・ファーザー」。ホレス・シルヴァー、かっこいい! レッド・ガーランドのその曲ではジョン・コルトレーン、ドナルド・バードなんかも、参加してる。新鮮。ヘレン・メリルの「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」までかかった。 ソウルバー転じてジャズバーになった瞬間でした。 +++++ ミッドナイトアワー Whisky Bar Midnite Hour東京都品川区上大崎3-14-12 井上ビル1F電話 03-3444-2285営業時間 20時~2時まで。ランチ11時半~2時。休業 日曜・祭日ドリンク 600円~フード カレー、ピザなどチャージ 500円 ENT>SOULBARS>MIDNITE HOUR

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A Shared Imagination

共有。 ひとりで何かをするのではなく、何人かが共同で何かをする場合、ひとつの成果を得ようとすると、どうしても、そのみんながひとつの方向性に向かって、一丸とならないといけない。 それは、スポーツの世界でもそうだろうし、仕事でもそうだろうし、音楽を作るときもそうだろう。たとえば、テニスの場合、シングルスの試合はひたすら技術と自分と相手との戦いだが、ひとたびダブルスの試合になったら、パートナーとひとつのイメージを共有しなければならない。自分がこうでたら、パートナーはこう動く、パートナーがこう動いたら、自分はこう動く。敵がこうきたら、パートナーはこう動くので、自分はこう動く。そのイメージの共有は最大の課題だ。 テニスのダブルスは二人だが、サッカーなどは、もっともっとイメージの共有が重要だ。僕はJリーグが開幕してから、ずっと、サッカーの強い国のチームと弱いチームの差がなんなのか、わからないでいた。AというチームとBというチームが戦っていて、どっちが押しているかぐらいはわかるが、どっちが本当に強いチームなのか、というのは見ているだけではわからない。サッカーに詳しい友人にきいても、いい選手が多いと強いんじゃないの、となかなか納得できる説明はしてもらえないでいた。 だが、昨年のワールドカップで、ふと、イメージの共有度合いが強いチームが、本当に強いチームなのかな、と思った。もちろん、個人個人のレベルでうまい下手はそこそこわかる。ドリブルがうまいか下手か、パスがうまいか下手か。でも、ワールドカップクラスの選手ってみんなうまいでしょう。個人レヴェルでは。じゃあ、チームとして何が違うのだろう、って思ったとき、やはりイメージの共有度合いかな、と。 で、じゃあ、これはどうやって培えばいいのか。そこが監督の手腕なんだろう。いかに戦略を選手にわからせ、どうすればいいのか、イメージの広がりを考えさせる。まさに、ユーズ・ユア・イマジネーションの世界だ。選手たちにイメージを共有させることができれば、その監督の仕事は半分は成功だ。 そして、それはミュージシャンたちの集合体であるグループに関してもまったく同じことが言えるのだ。ブラスセクション4人を加え、ギター、ベース、ドラムス、キーボードの8人が繰り広げる音。その音楽的方向性は、音楽的イメージを共有しなければ、いいものはできない。楽器奏者であれ、ヴォーカルグループであれ、ヴォーカル&インストゥルメンタル・グループであれ、それはみな同じだ。 ラリー・カールトンは、その8人の中で、じつにのびのびと楽しそうにプレイしていた。ブラスがはいることによって、よりファンキーになり、ラリーのギタープレイもブルージーさが増したような気がした。そして、なによりも8人のグループとしてのグルーヴ感が素敵だった。これは、8人がみなひとつのイメージを共有することに見事に成功していたからに他ならない。 彼がかつてクルセイダーズの一員として共有したイメージとも違い、彼がフォープレイの一員として共有したイメージとも違う。この日、この夜のメンバーたちと共有したイメージ、それがここに表現されたのだ。そして、それはサファイアの輝きだった。 【2003年7月3日木曜セカンド・東京ブルーノート】 【2003年6月30日~7月5日東京ブルーノート】【2003年7月17日~7月19日横浜モーションブルー】 ラリー・カールトン&サファイア・ブルーズ・バンド http://www.bluenote.co.jp/art/20030630.html ENT>MUSIC>LIVE>CARLTON, LARRY

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Youngest Singer That I Ever Interviewed With

最年少。 マライア・キャリーが新しく設立したモナーク・レーベル所属のアーティスト3組のショウケースが青山のクラブ、オービエントで行われた。登場したのは、14歳と15歳のラップデュオ、ベル&ネイネイ、若干7歳! のシャーデー(ダット・ベイビー)、そして、すでにマライア・ファンにはおなじみトレイ・ロレンツ。 まず、ベル&ネイネイがトラックで登場。しかし、1曲目「プレイヤ」のCDかミニディスクが音飛びして、途中で中止。まもなく2曲目「ザッツ・ホワッツ・アップ」を披露。それにしても、14-5歳ってまだ中学生くらいかあ、まだまだ子供だなあ、と思って見る。 彼女たちの紹介で次にシャーデーが登場。シャーデーと言っても、80年代に大ヒットを飛ばしたシャーデーではない。もっとも、母親か父親がシャーデーの大ファンだったりはするのだろう。そこから名前を取ったに違いない。やはり、トラックが流れてきたが、ステージには誰もいない。いつになったら出てくるのだろう、と思ったらば、な、な、なんと、もう既にステージにいたのだ。 7歳で身長おそらく120センチくらいで、小さいために後ろからは、まったく見えなかったのだ。 ぐんぐん前に行くと(前から、3列目くらい。といっても、ただみんなたち見している状態)、小さい子どもがインカムつけて歌ってるではないか! 思わずでた一言は、「マジかよ~~~」 7歳だよ、7歳。ちゃんとフリつけて、踊ってる。ただ、口パクみたいではあったが。でも、レコードはレコードでしょう。この7歳ってことで、つかんじゃうだろうなあ、と思う。 マイケル・ジャクソンが出てきたとき11歳、テヴィン・キャンベルも初ヒット「トゥモロー」の時には11歳。クリスクロスはいくつだったっけ。エマニュエル君がデビューしたのは、いくつだった? ま、いろいろキッズ・アーティストはいるわけですが、7歳のプロ歌手には恐れ入った。歌がうまいかどうかは、まだ判断できないが、その堂々としたパフォーマンスぶりには、まいった。10年後でも、まだ17歳だ。お母さん、いくつなんだろう。35歳くらいか。 一曲だけでステージを降りその後、関係者に挨拶してまわった。ほんとに、まだ子どもだ。さっきのベル&ネイネイがいきなり大人に見えた。シャーデーに聞いた。「兄弟は?」 「シスターがひとりいるわ」 「姉、妹?」 「姉よ」 「姉はいくつ?」 「13」  まあ、これをインタヴューと呼べるかどうかは別にして、僕が話を聞いた中で間違いなく最年少記録である。7歳、95年か、96年の生まれだ。ふ~~~っ。ついこないだじゃない。つい、昨日でしょ。そんな子が目の前のステージで振付けて踊って歌ってるんですよ。 しばらくして、今度は御大マライア・キャリーが登場し、トレイ・ロレンツを紹介。彼はキーボード、パーカッションと3人のコーラスを従えて、歌い始めた。これは本当に歌ってる。彼は先のマライアのライヴで、ジャクソン・ファイヴのヒット「アイル・ビー・ゼア」を一緒に歌ったシンガーで、92年にマライアの強力なサポートを得て、ソロ・アルバム『トレイ・ロレンツ』を発表している。 『メン・イン・ブラック』のサントラ収録の「メイク・ユー・ハッピー」、「ソウル・メドレー」、「ブローク・アンド・ロンリー」(これだけ、トラックで歌った。ひょっとしたら口パク)、「フレンド・オブ・マイン」を披露。特に「ソウル・メドレー」は聞かせてくれた。順に、「アンティル・ユー・カム・バック・トゥ・ミー」「イフ・ディス・ワールド・ワー・マイン」「シューシュー・シャイン」「エイント・ナッシング・ライク・ア・リアル・シング」「フォー・ザ・ラヴァー・イン・ユー」を数フレーズづつ歌った。そして、もう一曲ミュージック(ソウルチャイルド)の「ドンチェンジ」をじっくりフルで歌った。これもなかなかいい曲だ。 彼のようなシンガーは、武道館あたりの大きな会場で聞くのではなく、こうした小さなクラブで間近で聞くほうがあうな、と思った。ただ僕は個人的には彼の声になかなかソウルを感じられないのだが。きれいすぎるのだ。でも、最近こうやってソウルを歌うシンガーが少ないから、いいことだと感じる。 口パクらしき3曲目はちょっとモータウン風の作品。4曲目は、1、2曲目同様ライヴのキーボードとコーラスを従え本当に歌った。これは、ちょっと「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を思わせる曲。 ショウケースが終わり、外に出ると、店の前に大きな黒いリムジンが止まっていた。マライアが乗ってきた車に違いないと思った。 【2003年7月9日火曜・青山クラブ・オービエント】(モナーク・ミュージック、ショウケース) ENT>MUSIC>LIVE>MONARC MUSIC SHOWCASEENT>MUSIC>LIVE>BELLE & NAE NAEENT>MUSIC>LIVE>SADIE AKA DAT BABYENT>MUSIC>LIVE>LORENZ, TOREY

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Mariah Carey Live At Budokan

カラフル。 実に多彩な、そして、完璧なエンタテインメントのショウ。オーディエンスを一瞬たりとも飽きさせないショウアップされたステージ。一曲一曲がまるで、プロモーション・ビデオのように演出された舞台。マライアのライヴは、そういったすべての楽しさが凝縮されていた。 既に今回で5度目の来日。毎回楽しい演出で見せてくれるが、彼女のライヴを見ていて、マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソンなどの超一流エンタテインメント・ショウのいいとこどりをしているということを強く感じた。別に悪い意味ではなく、むしろ、ひとつのステージでいかにオーディエンスを楽しませるかを徹底して考えた結果ということだろう。 一体何度衣装替えをしたか、わからなくなった。7-8回までは数えていたのだが。思わずショウアップされたステージに見とれてしまい、途中で数えるのを忘れた。(笑)  基本的には、最近の大掛かりなステージがほとんどそうであるようにビデオ映像をうまく使ったステージ構成になっている。次々といろいろな仕掛けが登場して小さなサプライズが続く。 オープニングから、彼女は武道館東側の観客席のほうから登場し、観衆を沸かせた。11人のダンサーに、9人のバックバンドという大所帯でのステージは、徹底的な物量作戦で、これでもかとオーディエンスを圧倒する。そして、ときおり、あの甲高い声を発し、喝采を集める。 気に入った曲は、「アイ・ノウ・ホワット・ユー・ウォント」の演出。マライアやセクシーに腰をくねらせるところが、なんとも言えずによかった。マライアって女を武器にすることを躊躇しないところが、いい。でも、マライア少し太った?  それにしても、一体小道具いくつくらいあるのだろう。これを運ぶと2トン車が何台いるのだろうか。すごい。特に「サブタル・インヴィテーション」の冒頭で、武道館のステージ天井から吊り下げられて降りてきたのには、度肝を抜かれた。怖くないのだろうか。シートベルトはなさそうだし。 一方、それに続く「マイ・セイヴィング・ライフ」はピアノの周りにバックコーラスの4人と集まり、シンプルにピアノ伴奏だけで歌う演出。ちょっとゴスペル風の歌を聞かせる。これもなかなかよかった。モニターに映すカメラワークもうまいものだ。 マライアって、マイケル同様、けっこうバッシングを受けやすい体質だが、このステージを見ていると、「そんなバッシング、私は気にしないわ。このステージを見てごらんなさいよ」と堂々と主張しているように思えた。そして、単純にこのステージなら、文句はないと思った。おそらく、バッシングをされても、相当数のファンは彼女についていくように思える。その点にマイケル・ジャクソンと同じ匂いを感じとった。つまり、マイケルもメディアからはさんざんに叩かれても、ファンは必ずライヴにやってきて、熱狂的にそのアーティストを支持する。だから、マライアにもがんばれ、と言いたくなった。 アンコールも含めて1時間43分。ビデオを使った大掛かりな演出のライヴとしては、ポール・マッカートニー以来の楽しいものだった。最後には、スクリーンに昔のハリウッド映画よろしくThe Endの文字が現れた。最後の最後までびしっとやってくれる。直近の新作の出来は、僕は不満だったが、このステージングは気に入った。 【2003年7月6日日曜・日本武道館】 ENT>MUSIC>LIVE>CAREY, MARIAH

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Cuban Cigar & McCoy Tyner Trio

シガー。 初老の男はカウンターに座って長いシガーに火をつけようとしていた。「シガーはお好きなんですか?」と僕は声をかけた。「ああ、大好きだ。別に毎日たしなむわけじゃないんだけどね。フクオカ、オオサカ、ナゴヤのブルーノートではシガーはだめなんだよ。ここ(東京ブルーノート)だけなんで、いまやってるところさ。ニューヨークで? まあ、自分のアパートで吸うくらいだな。ニューヨークじゃ、レストランだって、クラブだって吸えないんだ。ベンジョ(日本語で)も、ダメ! がはははは!」 「じゃあ、東京のブルーノートはあなたにとって、天国みたいなものですね」 「まあ、そうだな、ハハハ」 「やはり、シガーはキューバ産がいいですか」 「確かにこれはキューバ産だ。キューバ以外だと、ドミニカ産がいいかな。アパートにはいくつか種類を揃えてるよ」  男はちょうど演奏を終えたマッコイ・タイナー。後ろで髪を小さく結った64歳。笑うと額の皺(しわ)の数が一挙に増える。僕と一緒にいた友人が「僕はシガーを2年前にやめました」と言うと、タバコは吸わないタイナーは「それは賢いな」と笑った。 彼の声は、低く太く歌ってもいいように思えた。「あなたは歌わないのですか?」と聞くと、「歌わんよ。客をうちに帰したくないからな。ガハハハ。オレが歌うと、みんな帰るに決まってるさ。ハハハ。ナット・キング・コールはピアノを弾いて、歌もうまかったがな」 「そうですね、でもあなたの声はとてもいいからラジオのDJにもなれそうですね。真夜中のDJ」と向けると、「そうか、真夜中のDJか、そう思うか。そういえば、前に同じことを言われたことがあったな。演奏できなくなったら、そうしてみるか。将来は、どうなるかわからないからな。ハハハ」 それにしても、彼はよく笑う。しかも、豪快に。「笑うことはいいんだぞ、健康に!」  タイナーはやる曲をあらかじめ決めて紙に書いておくが、ひとたびステージに立つと、すぐに気分が変わって、変えてしまう、という。予定した曲の半分もやらないことがある。この日も、途中で曲を変えていたようだ。 「日本に来た回数かい? ヨンジュウ(日本語)。最初は1966年だったよ。そうだな、日本語も15-20くらいは言葉を知ってるよ」 「あなたは、毎晩こうやって演奏するのを録音はしないんですか」 「いや、しないなあ。下手に録音されたら、それがどこかに流れても困るからな。オレは、毎日演奏して食ってるんだ」 「では今、レコード契約は?」 「ないよ、オレは、今オレ自身と契約してるんだよ(sign to myself)。ハハハ」 タイナーは、MCに呼ばれてステージに軽やかに上がると、いきなり、アップテンポの曲を弾き出した。ジョン・コルトレーンの「モーメンツ・ノーティス」という曲だ。準備運動もなしに、いきなり、激しい運動をするかの如く、壮絶なパフォーマンスを繰り広げる。タイナーの演奏を言葉で表すとすれば、力強い、熱血、男っぽいという感じだ。準備運動なしで、筋肉がつったり、肉離れなど起こさないのだろうかと心配してしまうほど。スローもミディアムも、タイナー調で演奏される。 演奏を終えてカウンター横にでてきたドラムスのルイス・ナッシュにタイナーとプレイするのは何度目くらいか尋ねた。「何度か、やってるよ。たくさんではないけどね」 リハーサルはどれくらいするのだろう。「こっちに来て、ちょっとあわせるだけだ。(笑) 大体、(タイナーの)曲は知ってるからね。けっこう曲覚えはいいほうだよ。一度聞けば、雰囲気は覚える」 彼もまた、80年代後期から何度も日本に来ている、という。初来日は、ベースのロン・カーターとのライヴのときだった。 歌うベース、ジョージ・ムラーツ、踊るドラムス、ルイス・ナッシュ、そして、飛び跳ねるピアノ、マッコイ・タイナー。アンコールを含めて1時間14分。たっぷりタイナーのトリオを堪能できた。 「オレは、トリオが好きなんだ」 タイナーはカウンターにひじをつきながら、そう言ってシガーを吹かした。 【2003年7月7日月曜・セカンド・東京ブルーノート】 マッコイ・タイナー・トリオ(2003年7月7日~12日・東京ブルーノート)http://www.bluenote.co.jp/art/20030707.html ENT>MUSIC>LIVE>TYNER, McCOY

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The Gospellers At Odaiba: That’s Another Summer Breeze

そよ風。 土曜日夕方4時過ぎ。まだ外は明るく、ちょっと動くと汗ばむ。しかし、意外と湿度はなくすごしやすい、そんなお台場のデックス東京ベイ、シーサイドデッキのイヴェントスペースにはすでに人だかりができていた。上の階の通路、さらにその上の階まで人が集まり、イヴェント・ステージの5人を見守っている。5人は私服のままで、リハーサルを行っていたゴスペラーズの面々だ。 この日、彼らの新曲「Right on, Babe(ライト・オン・ベイブ)」のシングル発売と同曲のプロモーションビデオの宇宙で初公開するイヴェントが行われることになっていた。彼らの東京FM系列でオンエアされている『フィールン・ソウル』の公開録音も兼ねている。 朝から整理券が配られ、予定数の700枚はあっという間にはけてしまった。そして、6時からのイヴェントを心待ちにしているファンがすでにそこに集まっていたというわけだ。それにしても、リハーサルをこうして、みんなに見せてしまうというところがいい。ファンにとっても、特別に嬉しいことだろう。 6時からの公開録音もつつがなく大いに盛り上がって無事終了。ビデオの上映会も大興奮のうちに終え、とっぷりと日も暮れた夜7時半。お台場のデックスには気持ちよい夜風が海から入ってくる。「星屑の街」から始まり、まず、新曲3曲のうち「Full of Love(フル・オブ・ラヴ)」と続けて歌う。この「フル・オブ・ラヴ」は実にライヴ映えする曲だ。5人が作り出すハーモニーに、目の前に見えるライトアップされたレインボー・ブリッジが見事な借景になった。 2曲を終えて少しトークが入り、「旅の途中で」に進む。「夏に冬を歌ったり、いろんな季節、心象風景を描いてみた」とこの曲を書いた安岡は説明する。デックスの上から下の道路を見ると、いつのまにか駐車場にはいる車が渋滞している。人の動きの流れを止めないようにとの配慮から、係員が「こちらには立ち止まらずに、前へお進みください」とひっきりなしに言っている。 予定では、この後に「ライト・オン・ベイブ」が歌われることになっていたが、村上のMCで、「せっかくこれだけの人が集まってもらって(4曲だけでは)もったいないので、もう一曲やろうかと思います。『ひとり』でもやろうか、と」 そして、歌われたアカペラの「ひとり」。海の上には、色とりどりの屋形船が所狭しと浮かんでいる。 そして、最後が最新シングルのA面扱い曲、一曲目、つまり一押し曲「ライト・オン・ベイブ」だ。村上→黒沢→酒井のファルセットへと続くゆったりとしたウォーキングテンポのリズムが実に気持ちいい。このところ何度も聞いているせいか、聞くほどによさがでてくる佳曲だ。 リハーサルの時には、まだ暑かったその同じ場所が、頬にあたる海からの夜風が少し肌寒いほどになっていた。その東京ベイからのサマー・ブリーズと同じように彼らのコーラスは実に爽快で、気持ちがよい。その瞬間彼らのコーラスとレインボー・ブリッジと屋形船とそよ風が見事なハーモニーを奏でていた。当分の間、「ライト・オン・ベイブ」は僕をちょっとだけ肌寒いサマー・ブリーズに絡まれたお台場の夜景に連れて行ってくれそうだ。 【2003年7月5日土曜・お台場デックス東京ベイスタジオ・シーサイドデッキ】 (この模様は7月12日土曜日午後10時から東京FM系列で放送されます) ENT>MUSIC>LIVE>GOSPELLERS

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Barry White Dies at 58

バリー・ホワイト死去 低音の魅力で人気を集めたソウル・シンガー、バリー・ホワイトが金曜(2003年7月4日)午前9時半頃(日本時間・5日午前1時半頃)、ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院で死去した。58歳だった。 バリー・ホワイトは、昨年(2002年)9月、以前から患っていた高血圧からくる腎臓疾患で入院、人工透析を受けていた。また5月にカテーテル注入手術のときに脳梗塞を起こし、右半身に麻痺と言語障害も発生していた。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030520.html 2ヶ月ほどまえにバリーを病院に見舞ったテレビ番組『ソウル・トレイン』の創始者ドン・コーネリアスによると、「彼にはたくさんのチューブがつけられ、まったく身動きがとれていなかった。彼のあの強靭な精神力ゆえに、今日まで生き延びてきたのだろう。彼に代わる存在の者はいない。彼の音楽は永遠に生き続ける」とコメント。 さらに、「彼にとって愛は非常に重要な要素だった。彼は、女性のために愛を降り注いだ。聞き手のあなたの彼女・彼氏のためや、そのベッドルームのためだけに曲を歌っていたわけではない。彼は、自分自身のベッドルームのために歌っていたのだ」と語った。 バリー・ホワイトは、1944年9月12日テキサス州ガルヴェストン生まれ。幼少の頃にロスアンジェルスへ移り住み、母親に育てられた。子供の頃から教会に行き、ゴスペルに親しみ、12歳の頃にはすでにプロのR&Bシンガー、ジェシー・ベルヴィンのヒット「グッドナイト・マイ・ラヴ」(56年12月のヒット)でピアノを弾いていたという。十代半ばでヴォーカル・グループ、アップフロンツを結成、1960年にラムトーンというインディレーベルからデビュー。 さらに、65年、ソロシンガー、バリー・リーという名でもシングルを録音している。その後66年から67年にかけては、ムスタング/ブロンコというインディレーベルで、A&Rの仕事にも携わった。69年に、オーディションに受けに来た女性シンガーのグループをプロデュースすることを決意、このグループは73年、ラヴ・アンリミテッドとして「ウォーキング・イン・ザ・レイン・ウィズ・ザ・ワン・アイ・ラヴ(恋の雨音)」大ヒットを放ち、グループも、またそのプロデューサーであるバリーにも注目が集まった。 73年、バリー・ホワイトとして「アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・ジャスト・ア・リトル・モア・ベイビー」がソウルで1位、ポップで3位、ミリオンセラーになり、いきなり大ブレイク。その後も数多くのヒットとともに、プロデューサーとして、シンガーとして大人気を獲得した。 特にヒット曲は、歯切れのいいリズム、華麗なオーケストラとともに、ディスコでも人気を集めた。また、彼のその低音の魅力が女性ファンだけでなく、幅広く指示を集めた。 87年、A&Mに移籍。89年の「ステイイング・パワー」でグラミー賞を2部門受賞。90年にはクインシー・ジョーンズのアルバムで、「シークレット・ガーデン」を歌い、大ヒットさせた。 日本では88年から東京のFM局Jウェイヴで深夜の番組のDJを勤めたこともある。また彼がプロデュースしたラヴ・アンリミテッド・オーケストラの「ラヴズ・シーム(愛のテーマ)」は、JALのCMに使われ大ヒットした。 プライヴェートでは、60年代に十代の頃からの友達であったメアリーという女性と結婚、4人の子供をもうけるが、69年離婚。その後、ラヴ・アンリミテッドのメンバーのひとり、ゴールディーン・ジェームスと74年に再婚。4人の子供をもうけるものの、88年離婚。 近年では、テレビ・シリーズ『アリー・マイ・ラヴ』で、バリーの曲がたびたび使用され、人気が再燃、バリー本人もそのドラマにゲストで出演したりしていた。 +++++         +++++ First Class Sweets: That’s His Velvet Voice 大甘。 僕が一番最初に買った輸入盤のシングルの1枚がバリー・ホワイトの73年のヒット「アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・ジャスト・ア・リトル・モア・ベイビー」だった。これは彼の実質的な初ヒットなので、約30年にわたって、彼の作品をほぼリアルタイムで聞いてきたことになる。 そんな彼がコンサートで来日したのは74年9月のことである。僕は中野のサンプラザで見た。非常によく覚えているのが、何かのバラードで、あのバリー本人がステージから客席に降りてきたことだ。そして、客席の通路を長いマイクコードをひっぱり歌いながら、歩いたのである。歌手がステージを降りて客席を歩くなどというものを見たのは、僕にとってはそのバリー・ホワイトのコンサートが初めてだった。 そんな彼と再会するのが、13年後のこと。新作についてインタヴューするために、彼の自宅を訪問する機会を得た。1987年の夏のことだった。ロスアンジェルス郊外のシャーマンオークスにある邸宅だった。そこにはスタジオもあった。ちょうど、A&Mからの移籍第一弾アルバム『ショー・ユー・ライト』が出る直前のことだった。 その邸宅は、山の中腹にあり、母屋のほうから下がっていくと、プールがあるという豪華なものだった。バリーが様々な写真の飾られている家の中や、その下のほうのエリアを自らツアーしてくれたことを思い出す。しかし、1994年1月のロスアンジェルス大地震で、この豪邸が破壊され、その後、彼はラスヴェガスに住むようになっていた。 彼の声は、レコードの通り、低く、太い。そして、比較的ゆっくり話す。体が大きいだけに、実に存在感がある。ビッグダディーというにふさわしい貫禄があった。そのときの話の中心は、まもなくリリースされる新作アルバムについてだったが、その意気込み、自信ぶりは、半端なものではなかった。彼もまた、のってくると話がまったく止まらないタイプの人物であった。 バリーがこの有名な低音の声になったのは、14歳のときだった、という。ある朝起きたら、自分の声がこんなだみ声になっているので、恐怖におののいた、という。体は震え、母親に話かけたが、母親も最初は何が起こったか、わからなかった。だが、すぐに彼女は自分の息子が声変わりしたことを察知する。そして、母は笑顔になり、その目から涙がこぼれ落ちた。「私の息子が、大人の男になったのね」とバリーに語りかけた。 1960年、彼が16歳のとき、ラジオから流れてきたある曲に心を奪われた。それはエルヴィス・プレスリーの「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」だった。そして、これを機に彼は歌手か音楽の道へ進もうと決心する。しかし、十代の頃は、本当に貧乏だった。新しい靴も買えずに、穴があいた靴を何日も履いていたという。 あるとき、ハリウッドにあるキャピトルレコードの丸いビルの前に立ち、彼は決意した、という。そのビルは、ロスの音楽業界のある種、象徴的な建物だった。自分は絶対に音楽業界で成功し、このビルの中に入るんだ、と。 そして、彼のこの声は世界で唯一の魅力的な声となった。ラヴソングに欠かせない声、ベッドルームになくてはならない声、彼女を口説くときの必要条件。そして、ムードを演出したいと思うプロデューサーは、躊躇することなく、バリーに電話した。クインシー・ジョーンズがそうだった。 彼の作品の最大の特徴は、すべてラヴソングという点。男性から女性へのラヴソングである。しばしば「ベッドタイム・ミュージック」「ゲット・イット・オン・ミュージック(やるときの音楽)」などと呼ばれ、男女のシーンに欠かせないもの。 彼の声を評して、「もし、チョコレート・ファッジ・ケーキが歌うことができるなら、それがバリー・ホワイトの声だろう」と言われたこともある。それだけ、スイートでメローな声ということだ。そう、バリーのヴェルヴェット・ヴォイスは、ソウル界の超一級スイーツなのだ。そして、おいしいスイーツに女性は目がない。 ご冥福をお祈りしたい。 +++ ENT>OBITUARY>WHITE, BARRY

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Barry White Dies at 58 (速報)

バリー・ホワイト死去 低音の魅力で人気を集めたソウル・シンガー、バリー・ホワイトが金曜(4日)午前9時半頃(日本時間・5日午前1時半頃)、ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院で死去した。58歳だった。 バリー・ホワイトは、昨年(2002年)9月、以前から患っていた高血圧からくる腎臓疾患で入院、人工透析を受けていた。また5月にカテーテル注入手術のときに脳梗塞を起こしていた。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030520.html 詳細は後ほど。 +++ Entertainment – AP Music R&B Singer Barry White Dies at 58 Fri Jul 4, 8:31 PM ET By ANTHONY BREZNICAN, AP Entertainment Writer LOS ANGELES – Velvet-voiced R&B crooner Barry White (news), whose lush … Continue reading

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At Velfarre

爆音。 夕方から夜にかけて原稿を書いたり、諸雑務をやっていた。8時過ぎから六本木ヴェルファーレでBMR創刊300号記念イヴェントというのをやっていて、われらがDJオッシーがまわすというので、行こうかなと思っていた。でも、なんだかだらだらしていたら、めんどくさくなっていたところ、Kさんから「今、ヴェルファーレですけど、来ないんですか」の電話。 ま、背中を押されたというか、ちょうど、パソコンの前にいるのも飽き飽きしていたので、速攻でスクランブル発信。現地に着くと、別のK夫妻、BMRの重鎮鈴木啓志氏などがいるではないか。鈴木氏とはひさびさに会った。 「どうしてんの? 最近」と聞かれ、「まあ、相変わらず、ぼちぼちです。そちらは、まだパソコンやってないですか?」 笑いながら「やってない、やってない」。鈴木氏は、いよいよライター仲間の中では最後の手書き派になるのではないだろうか。あとひとり、大伴良則氏という超大物氏ががっしりした手書き派で有名だ。彼ら二人は手書き派最後の牙城だ。(なんの牙城だろ) 彼らがワープロあるいはPCを手にしたとき、日本のワープロもしくPC普及率は99.9999%になるであろう。鈴木さんに「インターネットもやらないの?」と聞くと、「やらない。わかんないよ」とのお答え。すごいの一語に尽きる。彼に携帯は持っているか、と聞くのを忘れた。 石島さん、細田さん(DJもやった)、佐藤英輔氏、レコード会社のM氏、S氏などにも会った。佐藤氏とは、しばし、またくだらないやりとりをする。「何しに来たんだ」といわれたので、「ひまだったからさ」。 「どうせ、すぐ帰るんじゃないの?」ときたので、「そんなことないよっ」と僕。 ちょうどライヴはLLブラザースがやっていた。最初、ブラザーかと思ったほど、のりがいい。彼らは今メジャーとの契約がないらしい。かなり黒い。そして、グルーヴ感たっぷり。応援したいところ。 そうこうしているうちに、K氏と同グループのM氏登場。ビヨンセの新曲の話になり、「いやあ、僕はデスチャは好きじゃないんですけど、ソロでああやって(チャイライツの曲を)サンプリングしてやったのには、もう脱帽ですね。ドラムに歌だけで成り立つってやっぱりすごいと思うんですよ。アカペラと一緒でね。あの(チャイライツの)『アー・ユー・マイ・ウーマン』のアルバム、ビクターから出した中で、僕、選んでるんですよ」とまくしたてる。 ヴェルファーレの地下3階、ドコモの携帯がはいるのね。AUははいらないようですが。もっとも爆音の中、電話で話をするのは、かなりきついが。でも、メールはできます、鈴木さん。

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Herbie Mann Dies at 73

ハービー・マン死去 ジャズ・フルート奏者として知られるハービー・マンが、1日(火曜)、カリフォルニア州サンタフェ近くのペコという街で死去した。73歳だった。6年前から前立腺(せん) 癌を患っていた。最期は家族にみとられ、静かに息を引き取ったという。 去る5月3日にニューオーリンズ・ミュージック・フェスティヴァルで演奏したのが、最後になった。このとき彼は、病状がかなり悪化しており、酸素ボンベを従えてステージに登場、観衆からスタンディング・オヴェーションを得ていた。 彼は、これまでにアフリカ、キューバ、アジアなど世界の様々なスタイルの音楽を自らの演奏にとりいれ,そうした音楽性の多様性が彼の持ち味だった。 1930年4月16日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。本名ハーバート・ソロモン。1953年、ブランズウィック・レーベルのマシューズ・クインテットで録音したのを皮切りに、今日まで約100枚近いリーダー作を残している。 60年代初期にアフリカとブラジルに旅をしたことが、彼の音楽人生に大きな影響を与え、さまざまなタイプの音楽を吸収し、それを自分なりに表現することになった。 1966年、サックスのキング・カーティスをフィーチャーした「フィリー・ドッグ」が初ヒット。69年の「メンフィス・アンダーグラウンド」の大ヒットで名前を決定づけた。 また、1975年、当時はやりだしたディスコ・サウンドに挑戦、「ハイジャック」という曲をヒットさせ、ソウル・チャートで24位、ポップチャートで14位を記録。彼にとっての最大のヒットとなった。 彼は東欧をルーツに持つユダヤ系だが、こう語ったことがある。「私はキューバ音楽をプレイしたが、キューバ人ではない。ブラジル音楽をやるが、ブラジル人ではない。ジャズをプレイしてきたが、アフリカ系アメリカ人ではない。私はといえば、東欧系のユダヤ人なのだ。自分が演奏してきた音楽はすべて愛してきたが、私はなにか自分のルーツのものをやってみたい」 1997年に癌を宣告された後、彼はルーツを求めるようになり、2000年に「イースト・ヨーロピアン・ルーツ」というアルバムを発表した。これは、彼の70年に及ぶ音楽の旅の集大成とも呼ぶべき作品となったことになる。 +++++ Jazz Flutist Herbie Mann Dies at 73 Wed Jul 2, 9:56 PM ET By DEBORAH BAKER, Associated Press Writer SANTA FE, N.M. – Herbie Mann, a versatile jazz … Continue reading

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Body And Soul

メンタル。 ウィンブルドンの試合が毎晩、NHKで放送されていて、ついつい見てしまう。昨日も、セレナ・ウィリアムスとジェニファー・カプリアティーの試合を見たが、ミスはセレナのほうが多く、応援はジェニファーのほうが多いのに、結局試合はそのセレナが勝ってしまった。 もちろん、現在の世界ナンバーワンの底力だが、元世界ナンバーワンの意地も十分に見せてもらった。このレヴェルの試合を見ていると、本当に技術的なものよりも、精神的なものが重要になってくると思えてならない。一体みんなメンタル・トレーニングというのはどうやっているのだろう。メンタルのコーチは何を選手に施すのだろう。ものすごく興味がある。 おそらく、世界ナンバーワンになるほどの選手たちだと、技術的にはもう文句のつけようがない。ベスト10内に来る選手はみんなそうなんだと思う。ところが、10位で終わる人と、1位になる人の間には目に見えない大きな川が横たわっている。いかにその川を渡るか。それが重要なのだ。で、その川を渡るかわたらないかは精神の持ち方一つなのである。その精神的な部分というのが、もう、完璧にソウルなのだ。 勝つという魂を持てるかどうか。誰だって、勝ちたい。だが、その勝つという魂をどこまで昇華させることができるか。相手のミスにどれだけつけこめるか。自分のミスをどれだけすぐに忘れることができるか。強靭な肉体(ボディー)と、技術(練習から得るもの=テクニック)と、精神(ソウル)。これらが三位一体となって完成した選手のみが世界ナンバーワンの座に座れるのである。 女子シングルスの決勝は、セレナを破るエナン対ヴィーナスかなあ。杉山のパートナーでもあるクリスターズにがんばって欲しいところだが。エナン対クリスターズだったら、おもしろいな。

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A Sign Bar

泡波。 その店にはいつもあるわけではないが、時として泡波という焼酎がある。この焼酎は、沖縄の波照間で生産されているものだが、極めて限定生産のため、なかなか本土には入ってこない、という。なにしろ、波照間で600mlが600円程度のものが、石垣島に来ただけで5000円になってしまうという幻の焼酎だ。 そして、那覇で10000円、東京に来た頃には20000円にもなってしまったりするという。時にこれを出すバーなどがあるらしいが、そこには必ず「時価」と書かれているらしい。 で、マスターはそのビンを見せてくれた。「もちろん、今はないんですけどね(笑)」 そして、来週そのマスターは沖縄に一週間ほど遊びに行く。果たして、その泡波を仕入れられるのだろうか。彼はすっかり沖縄にはまっている、と告白する。 ここは武蔵小山の隠れ家的ソウルバーGekko。住宅街の中にひっそりと佇むこのバーに看板はない。従って一見さんはまずはいってこない。入口にはすだれがかかり、引き戸が1枚。その上に裸電球がひとつ。そこに「A」の文字が書かれているのが、唯一のサインといえばサインだ。 僕も初めてこの店を探したときには、前を通り過ぎた。あまりに行って、これは行きすぎだろうと思い、戻って、その店の前からかすかに音が流れてきたので、引き戸に近づき耳をそばだてた。そして、そのかすかに流れる音がソウルだったので、確信して引き戸を開けたのだ。 「あのAっていう文字は何か意味があるんですか」と尋ねた。「沖縄なんかにあるバーで、米軍の公認バーみたいなバーにAっていうサインが掛かってるんですよ。で、ちょっとそれを真似てみたんです」  立派なカウンターは、その沖縄に行ったときに入手した琉球松の1枚板を使っている。カウンター約8席の小さなバー。常連さんを大事にするがゆえに取材は断っている、という。2002年1月にオープンし、約1年半。やはり伝え聞いて、人がやってくる。 ターンテーブルは1台。アナログのみでCDはかけない。LPが約700枚くらい酒瓶と同じ棚に並んでいる。70年代の作品が多い。「一曲一曲を(違ったアルバムから)かけるのではなく、アルバムを片面かけることによって、ああ、(アルバムの中に)こんないい曲もあったんだっていうような発見があるでしょう。そういうのを狙ってるというか」とマスターの渡辺さんは言う。 ゴスペルっぽいいい音が聞こえてきた。「これは?」 「マイケル・ウィンのアルバムです」 ブッダから76年に出たアルバムだった。 26号線を目黒通りの方に向かい、交番の角を斜め左に。その道でAサインを探せればそれがGekko。 ENT>SOULBARS>GEKKO

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Soul Bar Compilations

コンピレーション。 久々に赤坂ミラクルに行ったら、入口にブリオのロゴを冠したチラシがあった。何かと思って見てみると、ブリオが監修し、ミラクルの川畑さんが選曲したオムニバスアルバム『ブリオ・プレゼンツ・ソウル・バー』というCDの宣伝チラシだった。 そういえば、確か川畑さんがソウルバーのコンピを作っているというのを前に聞いた。それができたわけだ。チラシにはブリオの編集長が一文を寄せている。文章から察するところ彼は1960年か61年頃の生まれだろう。42-3歳ということになる。この世代の人たちがもっと積極的にソウルバーに行ったり、CDを買ってくれたりすると、もっともっと人生は楽しくなるのだが…。 コンピは2種類。『スタンダード・ソウル・セッション』と『アーバン・R&Bセッション』。前者はいわゆる70年代のソウル系ヒットを中心に、後者は80年代から90年代のR&Bを中心に選曲されている。発売は共にユニバーサルからで、6月25日発売。ジャケットは東京(Gグラインド)と京都(Pファンクバー)のソウルバーで撮影されている。 この日、ミラクルではパースエイダーズの「ベスト・シング・ザット・エヴァー・ハプン・トゥ・ミー」がかかっていた。グラディス・ナイト&ピップスのヒット曲のカヴァーだ。なかなか重厚で、非常にすばらしい。一緒にいた生粋のソウルマンK氏は、「最近の僕のテーマ曲なんですよ。初めてここで聴いたとき、感激しちゃってね。今日もまたかけてもらったんです」と語る。 そして、もう一曲マージー・ジョセフの「マイ・ラヴ」が流れていた。ポール・マッカートニーの曲のカヴァーだ。最近、こういう昔は聞き逃していたカヴァー曲をいいなあ、と思うことが多々ある。なんでだろう。 ミラクルにはホームページがまだない。川畑氏は「ぜんぜん、僕、アナログだから、まったく何もわからないんですよ」と笑う。「でも、近いうちに作ってもらいますよ」とも付け加えた。そういいながら、マイヤーズラムのグラスを持ち上げた。

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