Category Archives: SOULBARS

Yokohama’s Number 1 Soul Bar “Sugar Shack” Will Be Closed After 17 Years

【横浜のソウルバー「シュガー・シャック」、2008年1月に閉店へ】 18年。 横浜のナンバーワン・ソウルバー「シュガー・シャック」が2008年1月14日をもって閉店することになった。11月4日、オウナーの石川さんがシュガー・シャックのホー ページで発表、またメールで一斉配信した。 シュガー・シャックは、1990年8月、横浜元町・石川町の先にある麦田(山手)トンネルを越えたすぐ右側にオープンした老舗のソウルバー。横浜のソウルバーと言えば、シュガー・シャックと言われた名店。今年8月に17周年を迎えていた。オウナー石川さんによると、「次のステージに進むことにした」ということで、詳細はホー ページのあいさつ文に書かれている。 http://www.sugarshack.co.jp/diary/index.html 石川さんのブ­グ↓ http://ameblo.jp/konnichiwahiroya/ 石川さんに電話してみた。すると、石川さんが閉店の決意を書いたメールを送ったり、ホー ページに発表すると連日何十通というメールがやってきて、返事もままならぬようになってしまった、という。「それ け反響がすごいなら、その熱意に けて、閉店を­めることはできないんですか」と尋­ると、「もうスタッフたちの次の就職先も決めちゃったんで、一人では­え・・・。ま、とりあえず、一旦閉めますよ」と淋しそうに言った。やはり、夜の仕事は本当に想像以上に体力的にきついらしい。 シュガー・シャックは、オープン以来、横浜ベイスターズの選手や、横浜にやってくるブラック系アーティストがライヴ後に立ち寄る店として有名 った。レコード・コレクション、また、 像コレクションは他の追従を許さず、特に 像はアメリカのテレビで放送されたもののエアチェック作品などが、多数コレクションされていた。 店名「シュガー・シャック」は、マーヴィン・ゲイのアルバ 『アイ・ウォント・ユー』にも使われたブラックの画家アーニー・バーンズの絵画から取ったもの。 +++++ シュガー・シャックは個人的にも何度も足を運ん ソウル・バー。マーチンさんと一緒に行って、マーチンさんの番組で紹介したこともあった。いやあ、あれ け長い間安定して営­されているので、まさかク­ーズするとは。ひじょうに残念 が、これもしかたないのかもしれない。時代なのかな。とりあえず、閉店までに一度おじゃましたいと思う。石川さんの新たなる門出に祝福あれ! ソウル・ブラザース・バー 「シュガー・シャック」 住所 神奈川県横浜市­区麦田町1-4 電話 045-651-6060 Eメール info@sugarshack.co.jp Open 19:00 ~ 4:00 (年­無休) Access JR 京浜東北線 JR 石川町駅より徒­ 10 分 … Continue reading

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Kacky’s Is The Name Of “Retro Music Bar”

【­芸大­に「レト­・ミュージック・バー」カッ­ーズ・オープン】 活気。 昨日(18日)­­部の同級生 った友人柿沼くんが突然、それこそ10年ぶりくらいに電話をくれた。なんと­芸大­でバーを始めたから、こんど遊びに来てくれ、という。そこでさっそく、住所をもとに今日訪­た。­芸大­駅・東口から線路沿いに自由が丘方向へ242メートル、徒­約3分という抜群の立地にできた店の名前は「Kacky’s(カッ­ーズ)」。 僕はいつも彼のことを普通に「柿沼」と呼んでいたので、カッ­ーという愛称に違和感を覚えた。「え、なに、柿沼、最近、カッ­ーって呼ばれるの?」「そう よ」「へえ、誰がカッ­ーって呼ぶの?」「世界­のみんながさ」(横に座っていたお客さんに受ける) 以前ワンショットバー ったところを、「居抜き」で入って10月3日にプレオープン。13日に­式オープンしたという。なんと同じく同級生ハセヤンが火曜(16日)に一人で来たそうで、「前の日、吉岡に会った、って言ってたから電話番号聞いたん 」とのこと。ぐあ~~ん、ハセヤンに先を越されたではないか! う~む。 7坪10­ほどの、カウンター けの「レト­・ミュージック・バー」。初めて聴く­ャッチ が、そう銘打つ けあって、1960年代から1970年代にかけての「­ック、ソウル、ディスコ、日本の­謡曲、ニューミュージック、グループ・サウンズ、ラヴ・サウンズ、スクリーン・ミュージック、さらには演­まで」、オールジャンルをかける。カウンター向かいの壁には、17センチ・シングル盤のジャケットが全面に張られ、音楽好きならいやがおうでも、ここに目が行く。た 、ま ターンテーブルは1台 け、ミ­サーがないので、一枚一枚シングルの 合、かけなおす。また、アンプとスピーカーが前の店のもので、若干音がしょぼいので、これはおいおいオーディオをグレイドアップする予定 。 シングル盤がカウンターに雑然と置かれていたが、いくつか見ている­に僕がライナーノーツを書いたものがでてきた。グ­リア・ゲイナーの「恋はサヴァイヴァル」や、シーラB&デヴォーションの「シンギング・イン・ザ・レイン」 。お~~、ハズカシ。前者は1979年1月。自分でも覚えてません。(笑) カッ­ーも気付いていなかったという。 彼は­­時代から音楽が大好きで、しかも、そのカヴァーする 域が僕のように­く特化していないので、いろいろと知っている。フライアーには、「浅く広くがポリシーです」と書かれているが、まさにその通り。 1978年にベータの録画機を入手、その からたくさん音楽や 画をビデオテープに録画していた。そんなベータのテープを­者に んでDVDに落としてもらい、貴重な 像もテレビモニターで流していたりする。ちょうど、この時は1978年のNHK「紅白­合戦」を流していた。 柿沼は、昔から絵が上手で、今回のフライアーにも8人のミュージシャンが彼の絵で描かれている。本物をそのまま描くと肖像権がうるさいので、わざと似せないで描いているというが、じっくりその絵を見ていると、これは誰かなあ、などと思いが巡る。 ソウルバーではないの が、1970年代から1980年代にかけての音楽談義(邦楽・洋楽問わず)をしたい方にはお勧め 。 せっかくなので、「吉岡のソウル・サーチン・ブ­グを­んで来た」と言えば、2007年11月いっぱい、ビール1杯(もしくはソフトドリンク)サーヴィスしてもらっちゃいましょう。ま ま 知り合いしか来てないようなので、たくさん人が来て、活気がでるといい­、カッ­ー。 Kacky’s (Retro Music Bar) 東京都目黒区鷹番3-4-13笹崎ビル1階 電話 090-9960-2759 営­ 19時から24時30分まで(月曜~土曜) … Continue reading

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George’s Will Close Its Door Again On September 29th

【ジョージ、再びク­ーズへ】 再閉店。 和39年(1964年)日本初のソウル・バーとして開店、2005年、­本木ミッドタウンの地域開発のために、41年の­史に幕を下ろした「ジョージ」が、その後西麻布で再出発したが、再び今月末で一時期閉店することになった。 ジョージが­本木から西麻布に引っ越して再オープンしたのが2005年8月のこと。約2年ということになる。­式なク­ーズは、9月29日(土)の予定。 今回の突然の閉店は、現在入居しているビルの再開発のため という。オウナーは、新しい物件を探しているが、細長いうなぎの寝床のような物件がなかなかなくて苦労しているそう 。 ちょうど、このジョージの隣には、しばらく前に、やはり1950年にオープンし、1970年代からつい最近まで­本木で人気のあった「ハンバーガー・イン」も引越してきていた。 ジョージ・過去関連記事 August 21, 2005 George’s Re-Opened In Nishi-Azabu http://blog.soulsearchin.com/archives/000458.html ジョージ最後の日~日本最古のソウルバーの閉店の模様 http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_24.html The Last Day Of George’s: Part 1 http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_25.html The Last Day Of George’s: Part 2 ソウルバー・ジョージス Soul Bar George’s 港区西麻布1-11-6メンテルス­本木1F 電話 03-3401-8335 … Continue reading

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A Letter From A Reader: OA Bring Him To Soul Searchin

【ソウルスナック「OA」の記事を­んで】 30年。 2006年5月10日、35年の­史に幕を下ろした東京青山のソウルスナック「OA」。その最後の日についてこのブ­グで書いた。 May 10, 2006 The Last Day For Soul Snack OA, Aoyama http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_05_10.html May 11, 2006 OA Finally Closed Its Door http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_05_11.html そして、­生時代にOAに通っていたある方が、つい最近OAの近くに行き、OAの前まで行ったところ閉店していたことを知った。その後のOAがどうなっているのか、インターネットで調べてみると、このブ­グがヒットした。その方からご丁寧なEメールをいた いた。大変感銘を受けたので、ご本人に許諾を得て、そのまま掲載することにした。ゆっくりお­みく さい。 +++++ Yoshioka様 突然のメールで失礼します。 昨日、青山の「OA」に行くと閉店になっていました。 家に戻って、ふとネットで調べてみようと思い、吉岡様のブ­グを拝見することが出来ました。 私は、1970年代­ に青­大に在­していました。­生運動全体が後退期を迎えていた時代で、青­でも活動家が大量に処分されていきました。どんどん処分されて、少数派になっても、思えば懲りずに何度でも向かっていって、結局みな討ち­にのように大­から追われていきました。わたしも、そうやって除籍になりました。 そんな、七十年代の­ 、OAは私達のたまり でした。メンバーの女の­たちが­ーテーションでバイトにも入っていたこともあったのでしょう。ここに顔を出せば、いつでも誰かがいて、シオリちゃん(註、お店のママ藤村さんの娘さん)は小­ に入ったころ ったかな、僕­の­で­猫のようにじゃれていました。 そんな時間が、まるで日溜まりのように思い出されます。 私は、いつも0Aにいたメンバーの一人と一緒になりました(そのとき仲間が開いてくれた結婚パーティーもOAでした)。もう四半世紀も前のことです。 大­を追われた後。それぞれのメンバーにもそれぞれの人生がありました。OAは誰にとっても懐かしい 所ですが、でも、大­への言い難い敗北感なのか、悔しみなのか、あの辺にはなかなか行けないでいました。実際、五十を過ぎた今でもそれは­いされないでいます。 私は一九八〇年に郊外で小さな古本屋を始めました。いつのまにか二十五年が過ぎて、そんな時間が過ぎても、あの のことはついこの前のことのように思えます。 今日、たまたま近くまで行く用事ができて、ふとOAどうした ろうと足を伸ばしてみました。小さな店が並んでいたあの通りも、ビルばかりになっていて、もうない ろうと思いながら、でも小さなOAを見つけたときには、胸がいっぱいになりました。ニスの剥げたドアを触ってみて、ここにも同じ けの時間が過ぎていたことを、私は初めて知ったように思います。 どこかで,OAは今でもあの のまま、ママがいて小さなシオリがいて、と、思っていたのかもしれません。 窓にベニヤ板が打ち付けられた店の前で、OAはどんなふうに閉じていったのかなと、寂しい終わり ったの ろうかと、ちょっと悲しい気持ちでいました。 吉岡様のブ­グで、たくさんの人たちに囲まれた賑やかな最後 ったことを知って、本当に見事なもの と思いました。 … Continue reading

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Soul Bar Column On “Brio” Will End July

【「ブリオ」のソウルバー紹介ページ、7月で終了】 最終回。 始まりは、終わりの始まり。何かが始まれば、いつかそれには終わりが来る。ソウルトレインも、始発駅を出発すれば、いつか終点に到着する。 男性雑誌「ブリオ」のソウルバーを紹介する名物コラ 「ソウルトレインランニング~ソウル通のためのバー・ガイド」が、2006年7月24日発売の9月号で終了する。連載が始まったのが、1999年3月24日発売(5月号=創刊号)からで7年4ヶ月、89回の連載となった。単純計算で180軒近くの全国のソウルバーを紹介したことになる。 1999年は、いわゆる「ソウルトレイン」関連のものが始まった年 った。Jウェイヴの深夜番組『ソウル・トレイン』(1999年4月開始、2005年9月終了)、またお台 に「ソウル・トレイン・カフェ」(1999年8月~2001年3月)などが相次いでスタート。放送媒体、店舗などと並んで雑誌でソウルトレインを盛り上げようという機運もあり、ソウルバーを紹介するコラ が始まった。 コラ を執­したのは、編集者、ライターの高 保春さん。元々、ソウル、ジャズなどの音楽が好きで、あちこちのソウルバーや音楽をかけるバーに通い詰めていたので、まさに天職となった。北は北海道から南は九州、沖縄まで日本­のソウルバーを駆け巡った。 高 さんは、今でこそ知らないソウルバーはないが、当初は知らない街に行くと、電話帳を片っ端から見て、「それっぽい名前の店」にめぼしをつけ電話をかけて、新店を掘り起していた。­にはソウルっぽい名前の店でも、普通の­ャバレーや、カラオケスナック ったこともあったという。 ソウルバーの特集をしたことがあるので、実質180軒以上の店を紹介したが、20軒以上は現在営­をしていない店舗、あるいは、店舗形態をソウルバーから普通のバーにしたりしている例などもあるという。 高 さんは日本初のソウルバーである­本木の「ジョージ」を、当初から連載の最終回に紹介しようと考えていた。 が、「ジョージ」のママは2001年10月他界。さらに2005年4月に閉店してしまった。しかし、その後「ジョージ」を守っていた新しいママ、ともこさんが2005年8月に西麻布に「ジョージ」を移転してオープン。「ジョージ」は最終回を飾る。もう一店最終回を飾るのは大阪の老舗ソウルバー「マーヴィン」 。 また、高 さんは新しい店を紹介する時は、大概一度足を運んで、ブリオの­者にあうかどうかを考え、改めて取材に出向く。彼が店に来ても紹介まで至らない店も何軒かあったよう 。また、彼個人は気に入っても、店の方針で取材拒否・取材を 慮している店もあり、そういうバーは紹介できなかった。 ソウルトレイン・ランニング、まもなく終点へ到着いたします。 +++ 僕は高 さんを「日本で1番ソウルバーを知っている男」と崇めているので、自分自身は「日本で2番目にソウルバーを知ってる男」の座を狙うことにしている。(笑) 新しい店などは、彼から随分いろいろな店を教わった。あるいは、どこかに行く時は、その土地のソウルバー情 をよく仕入れたもの 。 僕も新店の開拓は好きなので、けっこう探すが、彼が知らなかった店で僕が彼に教えることができたのは、ほんの数軒 った。 何軒か紹介されずに終わった店があるが、青山の「オーエー」や、下北沢の「エクセ­」なども出て欲しかった。ぜひ、単行本化して、その際には若干漏れた店を網羅しましょう。 長い間、お疲れ様でした。これからは、気兼­なく、あちこちのソウルバーで飲ん くれてく さい。ま、以前と変わらないですか。(笑)  ENT>SOUL BARS>

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Never Ending “Midnight Hour”: Their Souls Are Forever

【決して終わらない「ミッドナイト・アワー」】 メッセージ。 今年の1月19日、アメリカでR&Bシンガー、ウィルソン・ピケットが亡くなった。64歳だった。ピケットは、激しくシャウトする唱法が特徴で、「ダンス天国」「ファンキー・ブロードウェイ」などたくさんのヒット曲を放ったが、そのうちの1曲に「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」という曲がある。1965年6月からヒットし、R&Bチャートで1位、ポップチャートで21位を記録したジャンプ・ナンバーだ。 そんなピケットの大ファンであり、自分のソウルバーにピケットのヒット曲から「ミッドナイト・アワー」と名づけたのが、1953年1月生まれの吉田稔さんだ。この「ミッドナイト・アワー」は、吉田さんにとっての「ティナ」(現在引越しのため休業、4月に新たに目黒で再オープンする)、「レイジー・バード」に続いての3軒目のバーだった。「レイジー・・・」は横浜にあったため、ほどなくして手放し、吉田さんはもっぱらこの「ミッドナイト・アワー」でレコードをかけ、酒を供していた。(バー、「ミッドナイト・アワー」に関しては過去日記に何度も登場している) ここ1年くらいは、若手のナル君が店を仕切っていた。先月(2月)20日、突然ナル君から電話が入った。何事が起こったのかと思ったら「うちの吉田が昨日亡くなったんで、お知らせしておいたほうがいいかなと思って」という。 あまりの衝撃的なニュースに愕然とした。「うっそー、おいくつだった? まだ若かったですよね。なんでまた」 まだ53歳になったばかりで、ここ1年余り癌で療養中だったという。まったく知らなかったが、たしかにいつも最近はナル君だけだったことを思い出した。 ピケットが1月19日に亡くなって、ちょうど一ヵ月後の2月19日が吉田さんの命日となった。 その連絡をもらってから、何度か行こうかと思ったが、なかなか行けなくて先日やっと「ミッドナイト・アワー」に足を運んだ。ナル君が、その前後にとても不思議なことがいくつか起こったことを話してくれた。 驚いたのは、友人の携帯に、亡くなるか亡くならないという時に吉田さんからの着信履歴が残っていたということ。さらに、弔辞を読むことになる吉田さんの親友の携帯に吉田さんの奥さんからの着歴が残っていたという。だが、奥さんはかけていない。奥さんの発信履歴にのこっていないのだ。着歴があり、かけ直したところ、吉田さんの死去を知り、弔辞を読むことになった。煙草が大好きだった吉田さんの死後、「ミッドナイト・アワー」でナル君が煙草をつけて灰皿にちょっと置いたところ、ものすごい勢いで火が進み、瞬く間に煙草が終わったこともあったという。まるで誰かが吸っているかのようだった。 もっとも驚かされたのが、ウィルソン・ピケットのアナログ・レコード「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」である。2月19日は日曜で店は休業日だったが、ナル君は深夜、店に戻り一人で吉田さんのためにピケットのレコードをかけていた。するとこの曲の一番最後の部分、「in the midnight hour,」という部分の「ミッドナイト・アワー」のところで針が飛んで、何度も何度も「ミッドナイト・アワー」と繰り返すのである。 聴かせてもらった。ミッドナイト・アワー~プチッ~ミッドナイト・アワー~プチッ~ミッドナイト・アワー~プチッ~ミッドナイト・アワー~プチッ~ミッドナイト・アワー~プチッ~ミッドナイト・アワー~ 延々と続くのだ。こんなにパーフェクトに、サンプリングしたかのように、うまく傷がつくとは。ぞっとした。ナル君の記憶では「最後にかけたのがいつだったかは、正直、正確には覚えてないんですけど、前は針は飛ばなかったように思うんですよね」 その針飛びによって、ピケットが「ミッドナイト・アワー」は永遠に終わらないと歌っているかのようだ。吉田さんのソウル(魂)が、きっと、大好きなピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」にメッセージを残していったのだろう。「吉田さんは、ここ(ミッドナイト・アワー)が一番気に入ってましたからね」とナル君は言った。 今日3月18日は、ピケットが生きていれば、65歳になる誕生日。吉田さんは、映画『ソウル・サヴァイヴァー』でピケットの動く姿を見てとても喜んでいたという。しかし、ナル君はピケット死去のニュースを、かなり弱っていた吉田さんに伝えられなかった。ピケット、そして、吉田さんのご冥福をお祈りしたい。吉田さんは、天国で一足先に来ていたピケットと会ってきっと驚いているに違いない。そして、二人のソウルは「ミッドナイト・アワー」で永遠だ。 ■ウィルソン・ピケット、ミッドナイト・アワー関連記事 January 21, 2006 Wilson Pickett Dies At 64 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200601/2006_01_21.html 2003/07/12 (Sat) Big Bold Red Sign Called Me http://www.soulsearchin.com/entertainment/soulbars/diary20030712.html 2003/11/29 (Sat) Soul Searcher’s Nature: Scramble … Continue reading

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OA Farewell Party

【OA、フェアウェル・パーティー~営業は5月10日まで延期】 フェアウェル。 今年3月で閉店するとお伝えした青山のソウルスナック「OA(オー・エー)」のフェアウェル・パーティーが、音楽評論家鈴木啓志さんの音頭で3月12日行われた。OA自体は、建物の引渡しの遅れなどの理由で2度にわたり、閉店日が延長され、5月10日まで営業することになったが、当初の3月15日閉店にあわせて企画されていてこの日のパーティーが予定通り行われた。以前からのOAのファン、OAのママのファン、ソウル好きの人たちが多数つめかけた。 ちょうど僕が有楽町国際フォーラムでのディスコ・イヴェントから店に着くと、店の前まで人があふれていた。国際フォーラムで、偶然久々にソウルバー、シュガーヒルの越川さんに会ったので、一緒にOAを誘った。店内には30人近くがいて、石島さんがレコード(7インチ・シングル)をかけ、鈴木さんが解説をつけていたりした。まるで、レココン(レコード・コンサート)さながらだった。 OAは、1971年5月10日、青山に学生街の喫茶店として生まれた。青山学院西門の前で、昼の12時から夜中まで営業し、当初は昼間は学生が多かった。OAのママは、昭和15年生まれの藤本さん。30歳の時に始めた。今年でオープン35周年になる。店名は、まずアルファベットの洋っぽい名前にしたかったということ、元々このお店の内装に丸みががったインテリアなど「〇」(マル)の要素が多く、そこからOをとり、2文字目はAから順に考え、一番最初のAがいいかと、OAとなった、という。ここがソウル・スナックとなってから、オーティスのOとアレサのAですか、などと訊かれるようにもなったが、当初はそうしたニュアンスはなかった。 この日はOAにゆかりのあるミュージシャンも集まり、マイクなし、PAなしで、ライヴを繰り広げた。トップバッターは、1949年生まれの人たちが集まったという49ers(フォーティーナインナーズ)から、かわぞえさんが、ギタリストと二人で登場。ウィルソン・ピケットの「アイ・ファウンド・ラヴ」、オーティス・レディングの「アイヴ・ガット・ドリームズ・トゥ・リメンバー」、再びピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」を、まさに熱唱した。ギター1本で、実に熱い歌だ。マイクなしなのに、声が大きいので目の前で見ていた僕は、かなりの迫力に圧倒された。 彼らに続いて登場したのがオリト。OA出身のソウルシンガーとしても知られるOAと縁もゆかりも深いシンガーだ。彼はギターの弾き語りで「クルージン」(スモーキー・ロビンソン)からメドレーで「レッツ・ゲット・イット・オン」(マーヴィン・ゲイ)へ。そして、「アイド・ラーザー・ゴー・ブラインド」(クラレンス・カーター)に。「ブラインド」は、なんとオリトが日本語で、即興でOAに関する歌詞を作り、ブルースにしたてあげた。これは、見事だった。最高におもしろく、泣かせた。 オリトはOAに来たての頃、サム・クックやオーティスの珍しい映像を見せられて、「こいつ、すごいんだよね、あいつ、かっこいい~~」などと言っていたら、ママに『「こいつ、あいつ」なんて言うんじゃありません、ちゃんと敬意を表しなさい』と大変な剣幕で怒られたという。 「OAが閉店してしまうのをみるくらいなら、目が見えなくなったほうがましだ~ みんなここで、ママさんに怒られた~~」と歌い、客の爆笑を誘った。特にオリトは、ソウルシンガーを目指した時、ママに「メンフィスに行ったらどう」と言われメンフィスに行き、ウィリー・ミッチェルの元でレコーディングし、レコード会社からデビューすることができた。しかし、その後も紆余曲折あり、苦労している時に、いつもママに励まされたという流れがあっての、このブルースだった。歌い終わる頃には、オリトはほとんど泣いていた。 ちょうどこの頃、村上さんと酒井さんが「は~い、ソウル流しで~~す」と登場。村上さんの学校の先輩筒井さんがギターを弾いて、まずサム・クックの「ユー・センド・ミー」から、「ワンダフル・ワールド」へ。「ユー・センド・ミー」での、途中でOAでの村上さんと桜井ユタカさんの出会いの話をうまく語りとしていれたところは、みんな爆笑した。 ギターの楽譜を置くところがなかったので、目の前に座っていた僕が楽譜を手持ちすることになった。(笑) サム・クックを歌い終え、コードだけが書いてあるノートをぱらぱらめくると、「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」があったので、「これ、これ」というと村上さん、「これは歌詞を見ます」と言って歌詞カードをどこからともなく出して歌い始めた。なんで、歌詞カード持ってるの?(笑) そして、オリト、酒井さんも交えて誰でも知ってるテンプスの「マイ・ガール」。サビは大合唱。さらに、「ソウル・マン」へ。これは、後半、OAの名物麺「ソウル・バンバン」というのがあるが、それにちなんで、「ソウル・マン」のところが、「ソウル・バンバン」の替え歌になり、途中から酒井さんが、ラップともナレーションとも言えるような語りをいれ大盛り上がりとなった。いやあ、しかし、ソウル好きが集まった独特の空間がみんなが知ってる音楽で一体化するところは楽しい。 それにしても、こうした店が閉店するのはもったいない。というわけで、このお店の看板やレコード、いろいろな小物は、欲しいと言う人が多数でて、ほとんどのものの行き先が決まっている、という。現時点での、同一場所、同一店舗名としての日本最古のソウルバー、もしくは、ソウルスナック、OA。その歴史がまもなく閉じようとしている。 Setlist Kawazoe 01. I Found Love 02. I’ve Got Dreams To Remember 03. In The Midnight Hour Orito 01. Cruisin 02. Let’s Get It On 03. I’d … Continue reading

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Soul Searchin Has New Guest

【『ソウル・サーチン』に新たにゲスト決定】 決定。 4月1日の『ソウル・サーチン』にもうひとり、トークゲストが決まった。アーティストで、これまでにあの伝説のソウル・ダンサー、ニック岡井さんのステップをキャンバスに印した岡伸昭さんだ。どんなものかは、下記日記に書いてある。 2004/06/18 (Fri) Footsteps Of The Master Of Dance, Nick Okai Explode http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200406/diary20040618.html 岡さんも大のソウル好きだが、実は、なんと彼はここ十数年、毎年4月1日に青山のソウルスナック「オーエー(OA)」で、マーヴィン・ゲイをしのぶ会をやっていたのだ。彼も自分が集めた映像や、レコードをかけて、エイプリル・フールを多くの人たちと過ごしていたという。ほとんど同じことをやっていたことになる。 ところが、そのオーエーが3月でクローズすることになり、彼が「今年はできないんですよね」ということになり、ではこちらの「ソウル・サーチン」にいかがだろうか、という話が進み、参加に快諾をいただいた。(ただし、オーエーはその後急遽、閉店を4月中旬に伸ばしたため4月1日は営業する) というわけで、4月1日の『ソウル・サーチン』、第三のゲスト決定です。 岡さんは、アーティストの立場で、マーヴィンの気持ちがわかる時があるという。そこで、ひじょうに繊細だったマーヴィン・ゲイという類稀なアーティストについて、同じアーティストという立場からの意見をおうかがいしようかと思う。なによりも、岡さん自身がかなりのマーヴィン・ファンであることが心強い。 認定。 そんな話をしたのが、目黒にしばらく前にできたソウル・バー「下駄鬼」だ。 岡さんにご紹介いただいたのだが、このオウナーはホームページなどを作る会社を経営している1962年生まれの永澤さん。80年代初期あたりの、まさに今でいうダンス・クラシックあたりをリアルタイムで経験し、ダンス、ソウル・ミュージックが大好きになった人物だ。 以前からいつか自分でソウル・バーをやりたいと思っていた、という。昨年、たまたま事務所近くの行きつけの飲み屋でそんな話をしていたところ、同じビル内のテナントが空いていることを聞きつけた。このビルは昭和30年代に出来たらしい築40年を超えるかなり味のあるもの。その空いているテナントのオウナーをなんとか探し出し、直接交渉した。 一度2005年7月に店を出したが、ちょっとスタッフと方向性が食い違い、2ヶ月でクローズ。2005年12月9日、改めてソウル・バー「下駄鬼」としてオープンした。 店は3坪(6畳)、席数もカウンターで4人、奥にちょっと2-3人がなんとか座れる「小上がり」があるが、7人もいると満杯になるかなり小さな店だ。店を仕切るのはソウルとお酒が大好きな裕子さん。ソウルのCDをかけつつ、お酒を作り、ちょっとしたつまみ系料理も作る。けっこう料理も出来るので、小腹が空いても大丈夫な店だ。 ただし、ターンテーブル2台を置いたソウル・バーの厳格な定義にあてはまるかというと微妙。というのは、店が小さいために、またテナントの集合体というビルの性格上、大きな音量が出せない。なので、コンポで比較的小さめに、ソウルのCDがながれているという感じなのだ。「なにげに入ったバーで、よく聞くと流れている音楽は、全部ソウル・・・。そんな感じにしたかったんです」とオウナー永澤さん。 今日は、ブリオでソウル・バー紹介を7年以上続けている高畠さんが初めて遊びにくると言うので、かけつけた。(笑) しばらく前に、僕も連絡していたが、高畠さんの元にも情報が行っていた。かなり気に入っていただいたようで、なんと次の次の号での掲載(4月21日売り号)がほぼ決まった。そうこうするうちに、岡さんも登場。狭い店でソウル談義に花が咲いた。 「下駄鬼」という店名は、どこから来たか。なんとクール&ザ・ギャングのヒット「ゲット・ダウン・オン・イット」から取った。「ゲット・ダウン・オン・イット」→「ゲッダンオンニ」→「げったおに」→「下駄鬼」。下駄鬼3段活用! その話を聞いただけで、これは「ソウル・バー」に認定だ。(笑) もちろん、ソウルのCDなら、持ち込み大歓迎だという。というわけで、今日は僕もいろいろ持ち込んでみた。目黒のブルースアレーからは歩いて2分くらい。時間が許せば『ソウル・サーチン』の後にいいかもしれない。 ■下駄鬼 bar get down on it 東京都目黒区目黒1-24-19 目黒新橋マンション1F 電話 03-3490-9302 営業時間 18時~25時 (ただしお客がいれば延長も) 休業 日曜・祭日 チャージ 男性2000円、女性1000円 (ただし立ち飲みの場合チャージはなし) … Continue reading

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