Category Archives: エッセイ

○ 謹賀新年

○ 謹賀新年 【Happy New Year】 謹賀新年。 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 昨年は大震災という自身の人生で経験したことがないことを経験し、今から思えば、自身が考えている以上にあらゆる面で痛手を受けていたような気がしています。 ソウル・サーチャーは、そんな痛手を癒しつつソウル・サーチンに精進いたします。 みなさんにとっても、幸多き一年になりますように。 2012年1月1日 吉岡正晴 The Soul Searcher +++++ 検証。 さて、昨年17項目の目標を書きました。 1) 聴いたCDは、そのCDのプラスチックケースの中に必ず戻す。そして、最初にあったところに必ず戻す。 2) 届いた郵便物は3日以内に必ず封を切る。 3) いらないものはすぐ捨てる。そして大掃除。 4) しっかりプランを練る。予定や目標や企画を立てて、紙に書く。そして実行する。 5) 聴いたこと、見たこと、感じたことは、忘れないうちにすぐ書き記す。 6) スタンダード1000曲を覚える。 7) オールタイム・ベスト100アルバムを選出する。 8) 50・50・50をなんとか一度は成し遂げてみたい。 (ライヴ50本、書籍50冊、映画50本を見る) 9) 「ソウル・サーチン・ウェッブ」のリノヴェーションをしたい。 10) 「ソウル・サーチン」イヴェントと、その周辺アーティストのライヴを充実させたい。 11) ソウル関係の本を何か出す。 12) 音楽映像番組を作る。 (ドキュメンタリーでも音楽番組でも) 13) 週刊誌か月刊誌でコラムをはじめる。 14) 何か月1でもいいので、これぞというソウル番組をラジオでやりたい。 15) また、アーティストたちとからんで、これまでと違う何かクリエイティヴなことをやってみたい。 16) 電子書籍、メルマガなどをやってみたい。(2011年の新項目) 17) 過去に書いたもののデータベースを作ってみたい。(2011年の新項目) ほとんどそのまま持ち越しということで、残念です。情けない。(苦笑) … Continue reading

Posted in エッセイ | 2 Comments

◆ ▽バー・アムリタ24日で17年間の営業終了~伝説となった「トクズ・ラウンジ」

◆ ▽バー・アムリタ24日で17年間の営業終了~伝説となった「トクズ・ラウンジ」 【Bar Amrta Closed After 17 Years】 閉店。 西麻布の隠れ家的バーとして17年間営業を続けてきたバー・アムリタ(Amrta)が、2011年12月24日(土曜)をもって閉店した。最終日はここの名物イヴェント「トクズ・ラウンジ」(2008年9月からスタート)の通算40回目。これが最終営業日になった。 オウナーのサンペイさんがいたので、話を聞いたら、これで営業を終了し、店は終わり、大家に返すということで、誰かが運営して継続はないそうだ。サンペイさんはもともとデザイナーで、たまたまちょっとした流れでバーの運営という水商売をやってしまったということで、今年の8月までには閉店を決意していたという。ちょうど体調を崩してしまったことも若干影響しているようだ。本人は「病気だけど、元気だよ」と笑っていた。 最終日は多くのミュージシャンが集まってきていた。そして、お客さんも。もう満員電車のような混雑ぶりで、通路は身動きとれず、煙草の煙もものすごかった。半分以上が立ち見で、思い思いの形でトクたちのジャム・セッションに耳を傾けていた。   左・店・奥のほう。アムリタでは壁面を使って毎月一アーティストが作品展示をしていた。サンペイさんが無料で壁面の貸し出しをしていた。右・この日は超満員 「トクズ・ラウンジ」は、トランペット/フルーゲルフォーン奏者/ヴォーカリストのトクが主催して行ってきたDJ、ライヴ・イヴェントで、トクが自分の仲間のミュージシャンたちに声をかけ、自由にジャム・セッションを繰り広げてきた。2008年9月から始まり、基本的に月1回。ブルーノートなどにやってくる多くの海外ミュージシャンも顔をだし、おもしろいジャム・セッションも多数行われた。 中でも、近くに事務所がある久保田利伸もときどきこれにやってきて、そのうちの一回はNHKの音楽番組『ソングス』のロケでもここが使われた。これまでにもここには、マル/ファイアーリリー、ゴスペラーズ黒沢薫、北山陽一、エグザイルのアツシ、さかいゆうなども顔を見せていた。 自由なジャム・セッションが行われる自由なスペースとしてのアムリタがなくなってしまうのは、実に残念だ。トクもどこか他にこういう店があるといいんだけど、と次の場所を探したいようだ。 楽器やPAなどを個人で買っていた同店店長のケンジさんは、「ドラムやら、キーボードなどの楽器、家には置くところがないんですよ」と若干困っている様子。 「トクズ・ラウンジ」ができるような次のお店が決まるといいのだが。果たしてどうなるか。トクはもちろん、このような趣旨のライヴは続けたい意向を持っている。 少なくとも、西麻布アムリタでの「トクズ・ラウンジ」40回という実績は、立派な伝説になった。トク、おつかれさま。またどこか場所を見つけてぜひやってください。 トクやベースのカツら。 ■ 過去関連記事 2011年10月27日(木) トクズ・ラウンジにオマー・エドワーズ、カズ・スタジオでワークショップ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11059301711.html 2011年06月02日(木) トクズ・ラウンジ~マイルスとヒップホップな夜 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110602.html 2011年03月22日(火) 深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10837098296.html 2010年10月28日(木) ミッドナイト・カンヴァー・セッション 「トクズ・ラウンジ」 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10689147109.html 2010年09月16日(木) トクズ・ラウンジ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100916.html 2010年07月24日(土) トクズ・ラウンジ~黒沢薫飛び入り … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

◆蔦谷Tsutaya代官山で雑誌のアーカイブを読み出すと~

◆雑誌のアーカイブを読み出すと~ 【Diggin On Old Magazines】 検索。 2011年12月5日にオープンした代官山蔦谷の二号館2階にあるカフェ「アンジン」。ここはメニューがアイパッド(iPad)なのだが、そのほかにもいくつか使える機能がついている。蔦谷の館内案内はもちろんのことだが、この「アンジン」に備えられている雑誌の一部がデジタル化され、このアイパッドで読めるのだ。 これを触りだすとキリがなくなる。 ここには、雑誌自体も平凡パンチ、ポパイ、太陽などかなりの種類が、ものによっては創刊号から相当数集められている。そのうちの一部が、デジタル化されていて、たとえば、検索をかけるとそのキーワードが入った記事の一覧がたちどころにでてくる。ページ自体がPDF化され、しかもテキストデータがそのまま入っているため検索にひっかかるようになっている。徐々にデータ化を進めるそう。 そこでさっそく吉岡正晴と入れてみたら、昔、僕が平凡パンチやポパイ、ブルータスに書いていた記事がヒットした。自分でも完璧に忘れていた記事も多数でてきて、しばしタイムマシンに乗った気分になった。 1980年のアンアン、メニューからアイパッド、ここで雑誌バックナンバーも 一番笑ったのは、雑誌アンアンの一般の人が映画を見て、その感想を言うというページで、そのライター/編集者に頼まれて、映画を見て、感想文を言ったものが、適当な文章になり、しかも顔写真付きででてきたこと。これを見て思い出した。 1980年のアンアンで、ライターのアズさんに頼まれたのだが、アズさんとは、西麻布のトミーズ・ハウスで知り合った。トミーズには、マガジン・ハウスや他の出版社の編集者たちがたくさん出入りしていて、そんなところから、声がかかった。 現物の雑誌バックナンバーも読める 見た映画は、『ジャグラー~ニューヨーク25時』という。ジェームス・ブローリン主演のものだが、全然覚えてなかった。ネットで改めてあらすじを調べたが、それでも思い出せない。(笑) 映画も覚えてなければ、コメントした内容も覚えてない。そこで、僕が言ったとされるコメントを読んでみて、ハタと気がついた。そうだ、僕が言ってないことが適当に書かれてたんだ。このときは大学時代からの友人、天本と一緒に行ったのだが、彼も実際の発言とかなり違うコメントが掲載され、雑誌が出た後二人でそのでたらめっぷりに笑ったことを思いだした。 ポパイには、そういえば、けっこうブラック系のアーティストやプロデューサーの記事を書いていた。ジョージ・デュークにインタヴューして、ジェフリー・オズボーンやデニース・ウィリアムスのことを書いたりしている。サード・ワールドの来日に向けての記事や、リック・ジェームスの記事、ダイアナ・ロスの記事なんかも出てきた。それから大貫憲章さんの記事なんかもたくさん出てきた。 アイパッドで何年何月何日号というのがわかったら、その本体を本棚から取り出して現物を見ることも可能だ。このデータベースが揃ってくると来日アーティストの履歴などもすぐにわかるようになる。 ミュージック・マガジンやアドリブなんかもデータ化されないかなあ。アメリカでは雑誌をグーグルがどんどんデータ化しているようだが、確かに、知的財産が共有されるのは、何かにつけ便利になる。 ESSAY>Tsutaya, Anjin ESSAY>Archive

Posted in エッセイ | Comments Off

◆第7回白川会・雨の下北沢

◆第7回白川会・雨の下北沢 【#7th Shirakawa-Kai】 談義。 ソウル好き住職白川さん主催の通称・白川会が2011年10月21日(金)下北沢・しずおか屋で行われた。前回が6月なので、約4ヶ月ぶり。 ちょっと遅れていったら、もう大半のメンバーは着席し、おでんなどを食べていた。 ちょうど佐藤善雄さんの前があいていたので、そこに座ると、佐藤さんも前日のデイヴィッド・フォスターのコンサートを国際フォーラムで見ていて、その話になった。「いや、すごかったけど、音、めちゃくちゃよくなかったですか?」と興奮気味。そうそう、ライヴの話はブログに書いたが、そこに音の良さについては書いてなかった。 「いやあ、確かに音、すごくよかったですよね。やっぱりシークエンス(打ち込み)が多いからかもしれませんね」と僕。「打ち込みが多いからかもしれないけど、(ヴォーカルやメンバーの)出音(でおと=外に出ている音)もすごくクリアでよかった。あれは、ミキサーがいいからなんですかね」と善雄さん。 さらに「それからシンガーたちがみんなマイクをこれくらい(といって、マイクと口の距離を手振りで示す)離してても、声がちゃんと通るでしょう。フィリップ・ベイリーはちょっと辛そうだったけど、他の人はみんなすごく声、よく出てた」とも。 「そうなんですよねえ。シンガーたち、みんな声、よく出てる」と、前日のデイヴィッド・フォスター談義でしばし盛り上がる。 この日はもっぱら、フェースブックなどの話題、小西さんが翌日からニューヨーク行くという話しなど。小野さんが、カレスの7インチを2万円超出して買って、それで7インチ買うのはやめたという話なども。 +++++ 第6回。 ところで、前回(2011年6月)の白川会レポートを下書きしていたのだが、アップできずにいたので、ここでそのまとまりのないレポートをちょっとだけ。 この日は鈴木啓志巨匠も登場で、鈴木さんとの会話がおもしろすぎた。 何年もこういう仕事をしていると鈴木さんも、僕も、書籍、紙資料、レコード、CDの類がハンパなく増える。なんと鈴木さんも最近積極的に捨てているそうだ。しかも、捨て方が律儀だ。 ①CDはプラスチックケースと②CDと③ライナー部分を3つに分けてそれぞれに捨てる。新聞、紙資料は普通に捨てるが、雑誌はホッチキスの針をはずして、紙は紙、ホッチキスはホッチキスと分ける。 そんなこと、やってるんですか。鈴木さん。えらい、すごい、尊敬する。 鈴木節、もう絶好調。ほんと、あの独壇場、ユーストリームでもしたいと思いました。(笑) 「雑誌とか紙は、燃やすよりも、再生してほしいんだよね。いろいろ捨てたいんだけど」(鈴木談) 絶好調ぶりは続く。「タワーとかに置いてあるフリーペーパーの類。それから、捨てたいのはアドリブ。自分が書いたところだけ切り抜いてとっておこうと思うんだけど、切り抜くのだけでもめんどうくさい。アドリブなんてもう10円でも売れないよ。今、古本屋っていうのは、昔の文化を受け継ぐべきものだと思ってたけど、本を回収してあげるから、お金は払えませんよみたいな『回収業者』に成り下がっちゃったんだよね~。ブックオフもだめだよ。だから、たくさん重い思いして持ってっても、交通費にもならないよ。もったいないよな」 本とか雑誌って、巨匠がおっしゃるとおり、「文化を受け継ぐもの」。その通りですね。 ちなみにこの日は映画『あぜ道のダンディ』が公開された光石研さんも出席。映画を見て買っておいたパンフレットを持参し、サインをしていただいた。そうだった、このときはこの映画の話などもした。 ■過去の白川会 第0回 2008年10月09日(木)、白川・佐藤・松尾・吉岡4人 @モリゲン 第1回以降は、すべて下北沢しずおか屋。 第1回 2008年12月2日(火) 第2回 2009年5月22日(金) 第3回 2009年12月17日(木) 第4回 2010年09月10日(金) 第5回 2010年12月07日(火)(スペシャル・ゲスト・光石研さん、女優峯村リエさん、俳優DJ村上淳さんら) 第6回 2011年06月24日(金)(白川、光石、吉岡、古明地、山田英未、小野(一ノ瀬)信子、チャップ夫妻、鈴木啓志、マイク関根、小林、ロージー、小西、北畠、カズコ15名) スペシャル 2011年9月30日(金)「浅草・ウナギの会・色川」(白川・佐藤・関根・小林・吉岡) 第7回 2011年10月21日(金) (白川、佐藤、進藤、吉岡、古明地、小野、山田、堀内かおる、北畠、小西、ロージー、小林、チャップ13名)  (もし名前落ちてる人がいたらすいません。お知らせください。修正します) ■ 過去の白川会および「しずおか屋」関連記事↓ 2010年12月09日(木) 白川会第5回~ヴォーカル・グループ好きの光石研さん登場 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10731151666.html … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

◆五反田駅開業100周年~山手線で一番古い駅はどこ?

◆五反田駅開業100周年~山手線で一番古い駅はどこ? 【Happy 100th Anniversary Gotanda Station】 100周年。 先週あたりから、うちの最寄駅五反田駅が「100周年」ということでイヴェンティーになっているときいて、調べてみたら、なんと五反田駅は1911年10月15日に開業したという。ほんとにちょうど100周年。それはめでたい。で、誕生日好きのソウル・サーチャーとして、いろいろ調べてみたら、当たり前だが、各駅にちゃんと開業日(誕生日)というのがあった。それで山手線全部29駅の開業日を調べてみた。 一番古い駅は、新橋駅とか東京駅かと思いきや、これが違った。 1番古いのはなんと品川駅、1872年(明治5年)5月7日、ついで上野駅、1883年(明治16年)7月28日、3番目がふたつあって新宿駅と渋谷駅、1885年3月1日、4番目が目黒駅と目白駅で1885年3月16日、(目黒と目白が同日開業ってのもおもしろい)、5番目が秋葉原駅で1890年(明治23年)11月1日だ。 新橋駅の開業は1909年(明治42年)12月16日で田町、浜松町と同時で現在の山手線29駅の中では12番目。おや、日本最初の鉄道は新橋・横浜ではなかったっけと思って、調べてみると、もちろん最初の鉄道は1872年10月14日(明治5年9月12日)(この頃は暦がグレゴリオ暦ではなかったので、現在の西暦に直すとこうなるそうだ)に走ったのだが、そのときは汐留駅から走ったという。これが初代新橋駅だそう。しかし、仮営業として品川駅と横浜駅(現在の桜木町)が1872年6月12日から始まっていた。それで鉄道駅としては、これが一番古いということになる。その後起点駅がいろいろ移転して、現在の新橋駅の開業は1909年。新橋駅はその昔は、烏森(からすもり)駅という名前だった。今もあのあたり、烏森との名前が残っている。山手線の開業が1909年。 では、山手線で一番新しい駅はと思ってみると、なんと西日暮里。1971年(昭和46年)4月20日の開業。まだ40年の歴史しかない。日暮里と田端の間にできた駅だ。その隣、日暮里駅の誕生は1931年で22番目。つまり、最後から2番目、西日暮里は一番最後にできた駅だった。 来年(2012年)7月11日に、鶯谷駅が100周年を迎える。たくさん「へえ~~」と思ったことが出てきた五反田駅誕生100周年でした。 駅が開業した順番、駅名、開業日。 01. 品川駅 1872年6月12日(明治5年5月7日) 07. 大崎駅 1901年(明治34年)2月25日 16. 五反田駅 1911年(明治44年)10月15日 04. 目黒駅 1885年(明治18年)3月16日 07. 恵比寿駅 1901年(明治34年)2月25日 03. 渋谷駅 1885年(明治18年)3月1日 10. 原宿駅 1906年(明治39年)10月30日 09. 代々木駅 1906年(明治39年)9月23日 03. 新宿駅 1885年(明治18年)3月1日 18. 新大久保駅 1914年(大正3年)11月15日 14. 高田馬場 1910年(明治43年)9月15日 04. 目白駅 1885年(明治18年)3月16日 08. 池袋駅 1903年(明治36年)4月1日 … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

◆911と311と46分

◆911と311と46分 【Tragedy of 46 Minute: 911,311 & 117】 鎮魂。 今年(2011年)の9月11日は、特別な節目だ。日本では3月11日の東日本大震災からちょうど半年、アメリカでは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロからちょうど10年。 そうした中で予期せぬ人生を終えた方々には、鎮魂の祈りを捧げたい。 しかし、数字の偶然とは奇妙なものだ。すでにどこかでお読みになった方もいると思うが、僕もこれらの符号を不思議に思う。 911テロの最初の飛行機がワールド・トレード・センター(WTC)に衝突したのが、ニューヨーク時間午前8時46分(日本時間午後9時46分)、311の大震災は午後2時46分、そして、1995年1月17日の阪神淡路大震災が午前5時46分発生。46分の悲劇だ。 911の第一報を聞いたのは車でうちに帰宅する際のラジオだった。恵比寿のコンビニ、ローソンの前あたりで、コンビニに立ち寄ろうかと思っていたところ、Jウェイヴの番組が「ニューヨークのワールド・トレード・センターに飛行機が衝突した模様」といったことを報じていた。それを聴いたときは、最初、飛行機事故かと思った。 まもなくうちに戻りNHKのテレビをつけると、煙をあげているWTCが映っていた。あとは、朝までテレビを食い入るように見続けた。一体何がなんだかわからなかった。徐々にこれがテロらしいということがわかり慄然とした。 117は、朝早かったせいか、たぶんその瞬間はうちで寝ていた。起きて、普通にテレビをつけたら、これもまたすごいことになっていた。 そして、311もうちにいた。揺れた。揺れが長かった。これまでにない恐怖を覚えた。うちは停電にはならず、テレビをつけっぱなしにしたが、徐々にこれまたすごいことになっていた。 911も311も117も、予想だにしない形で訪れる。本当に人生ははかない。今日明日死んでも悔いのないように生きなければと思うが、なかなかそう思うようにいかないのも、また人生だ。 ESSAY>

Posted in エッセイ | 1 Comment

◆祝なでしこジャパン

◆祝なでしこジャパン 【Congratulations Nadeshiko Japan】 世界一。 23敗3分、相手は世界一位。二度も相手に先に点を取られ、二度追いつき、ペナルティー・キックで勝利へ。小説でも書けないあまりの劇的勝利。事実は小説より奇なりをそのまま描いたようなストーリー展開だ。 僕は、アメリカに一点入れられたところでダウン、もう起きていられず寝てしまった。起きてツイッターをチェックしていたら、どうやら日本が勝ったらしいことがわかった。なので、じゃあ、あれから2点取って2-1で逆転したんだろう、と思った。そうしたら、2点目を取られ、追いつき、PKで勝ったというんだから、超びっくりした。そんな劇的なことが起こるとは。 これが行われたのは日本時間2011年7月18日(月)祝日の未明。17日(日)に「ソウルパワー」を国際フォーラムを見終わっての深夜だ。未明のニューズだから朝刊には間に合わないが、18日は祝日なので、夕刊がなく、「なでしこ世界一」の見出しが大きく踊った新聞は19日の朝刊だった。 澤穂希(さわ・ほまれ)は1995年、16歳のときワールドカップ第二回から出場し、今回で5回目の出場。そして、優勝だ。1978年9月6日生まれの32歳。ちなみに、9月6日生まれというと、メイシー・グレイや氷川きよしと同じ誕生日。 本当に「ネヴァー・ギヴ・アップ」のあの姿は、感動的。文句なく今年一番の明るいニューズだ。 返すがえすも、寝ないでがんばっておけばよかった。(笑) 当日アメリカの友人からも、Congratulations on your women’s soccer team World Cup victory. After all your country has been through it certainly could use a little reason to celebrate! というメールが来た。 そこでWe were 2-2 on the game, that … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

◆ジンジャーエール・サーチン~新発売辛口ペットボトルを飲む

◆ジンジャーエール・サーチン~新発売辛口ペットボトルを飲む 【Wilkinson Ginger Ale: Pet Bottle Newly Released】 辛口。 ライヴハウスでオーダーする飲み物は、僕はお酒を飲まないのでほとんどジンジャーエール。そこに辛口があれば、辛口を頼む。ウィルキンソンのビンの辛口が一番いい。あとは、店がオリジナルで、しょうがから作るものがあればなおさらいいが、そういうのはなかなかめったにない。昔、しょうがは健康にいい、というのを聞きかじって、以来、コーラではなく、ジンジャーエールを頼むようになった。(炭酸は、歯に悪いよ、というのも聞きかじっているが…) そんな無類のジンジャーエール好きに、とても嬉しいニュースが届いた。いままでビンしかなかったウィルキンソンのジンジャーエール辛口がペットボトルになったという。500CCのものが2011年6月14日から140円で販売され始めた。 さっそく、買い求めてビンのものと飲み比べた。 ビンは辛口、通常のものともアサヒビールの小売価格は、190CCで68円。ペットボトルは500CCで140円。ビンは、いつも24本ケース買いしていた。たしか一本10円のビン代が返却される。 詳しい成分表がここにある。 ビン http://www.asahiinryo.co.jp/products/carbonated/wilkinson_gingerale/ ペットボトル http://www.asahiinryo.co.jp/products/carbonated/wilkinson_gingerale_extra/ 成分表を見比べると、ビンの方がカロリーが39kcal、ペットボトルは0、また炭水化物がビンが9.4となっているが、ペットボトルは植物繊維が0.4-0.7。一方、カリウムがペットボトルが10未満、ビンが1未満。人口甘味料が入っているのがペットボトルの特徴。 保存期間はペットボトルが6ヶ月、ビンが12ヶ月。カリウムあたりが人口甘味料なのかな。 そして、飲んでみての感想。 第一印象としてはなんとなくペットボトルのほうが甘いという感じがした。これが人口甘味料のせいなのか。でも、飲み始めでガツーンとくる強力なジンジャー、炭酸感は、どちらも同じようにある。ジンジャーエールと言えばこの最初のガツーンと来る、炭酸の強烈な喉ごし。これはどちらもある。 ビンは一度開けたら、飲みきらないとだめなので、190CCはちょうどいい量かもしれない。500は、さすがに一気には飲みきれないので、ふたがきっちりしまるのはいい。(500一気に飲む人もいるようだが) で、どちらがいいかというと、やはり迷う。味だけでいえばビンのほうだが、ケース置き場とか、ケース買いしたときに、めんどう。あと、普通ではなかなか買えない。その点、ペットボトルはコンビニあたりでも気軽に1本から買えるところがメリット。 また、ツイートでも指摘されていたが、紛らわしいことに「ジンジャーエール・ドライ」というのは、辛くない通常のほう。ラベルは緑。辛いほうは茶色で正式にはシンプルに「ジンジャーエール」という。辛いジンジャーエールが欲しいときには、「辛いほうのジンジャーエール」と言ったほうがいいそうだ。 そんなこんなでジンジャーエール・サーチンをしていたら、なんとドンキであまり見たことがない「アメリカン・ジンジャーエール」というのを発見。355CCの缶で58円。とりあえず、一缶試しに買って飲んでみた。まあ、普通のジンジャーエールだった。えらく安いなあ、と思ってみたら、アメリカから輸入したものだが、なんとドンキのオリジナル商品だという。ケースで買うと、さらに単価が下がっていた。缶で355かあ。コーラでも350一気に飲むと、ゲップが止まらないもんなあ。(笑)  それよりも、ウィルキンソンのジンジャーエールが、まったく日本で始まったものだというのを最近知ってびっくりした。 試しに1CCあたりの単価を出してみた。カナダドライは定価がわからず。いわゆる参考小売価格で、量販店などでの実質売値はさらに安いはず。アメリカンだけ、実売値。 ウィルキンソン・ビン 190CC 68円 0.35円 ウィルキンソン・ペットボトル 500CC 140円 0.28円 アメリカン・ジンジャーエール 355CC 58円 0.16円 なんと、もうアマゾンでも売ってた。 ■ ウィルキンソン・ジンジャーエール・ペットボトル (500CC、2999円、1本あたり125円)(送料無料) アサヒ ウィルキンソン ジンジャエール 辛口 500mlペット 24本入【送料無料】 posted … Continue reading

Posted in エッセイ | 2 Comments

○『ソウル・パワー』DVD発売イヴェント~余談

○『ソウル・パワー』DVD発売イヴェント~余談 【Soul Power DVD Release Event】 表記革命。 2011年3月2日(水)、渋谷のアップリンクで映画『ソウル・パワー』のDVD発売記念イヴェントが行われ、司会・進行をした。イヴェント自体は午後7時半からだったが、その前に出演者4人が集まり、軽く打ち合わせ。僕が少し遅れてしまい、到着すると3人(ピーター・バラカンさん、中田亮さん、藤川パパQさん)がすでにいろいろと話している。 そのときの話題が「ジェームス・ブラウン」か「ジェームズ・ブラウン」かの日本語表記の問題で白熱中。「絶対、『ズ』ですよ。それから、日本語で書く音引き(『ー』)は英語にはありません(きっぱり)。だから、ジェイムズが一番正しい」とピーターさん。ピーターさんは、英文を日本語表記するとき、できる限り原音に近いもので表記することで有名だ。 ピーターさん。「オリンピックでジャマイカ出身の、あ、ジャメイカか(笑)、100メートルの記録を次々塗り替えた選手ボルトっていたでしょう。彼のファースト・ネーム、USAIN とスペルするんだけど、日本ではウサインって書いたり、言ったりするでしょう。あれ、発音はユーセインなんですよ。僕もTBSの人にそれを指摘したら、共同通信がそれで配信したんで、っていうのね」 中田さん。「日本(のメディア)は、なんでも横並びしようとして、ちょっとでも他と違うことを許さんとするからなあ。どうかと思いますよ」 吉岡。「確かに、横並びはあるなあ。でも、初期の表記と変わる場合もあるんですよ。メアリーJブリッジだったんですよ、最初。それが、2枚目かな、以降メアリーJブライジになった。別に正しいということがわかれば、変えてもいいんですよ。チャイ・ライツも、すごく昔は『チ・ライツ』ですよ。(笑)」 ピーターさん。「あれは、シャイじゃないの?」 吉岡「シャイと言う人もチャイという人もいますよね。シカゴをチカゴというアメリカ人がいるんですよ」 中田さん。「チャカ・カーンかシャカ・カーンみたいに、どっちでもいいみたいだしね」 左からピーター・バラカンさん、藤川パパQさん、中田さん、吉岡 吉岡「慣用になっちゃうと、変えるのがほんとに難しいですよね。マイケル・ジャクソン、ここまでこれで通っちゃうと、さすがにマイコーとか書けない。(笑) でも、アリーサとか直して欲しいですよね」 ピーターさん。「アリーサって書いてる?」 吉岡「いや、ケースバイケースで適当になってます。アレサだったり、アリーサだったり(苦笑)」 ピーターさん。「吉岡さん、(アリーサで)やってくださいよ」 ピーターさん。「(今の世の中)世界でこれまで『絶対』だと思われていたものでも、たとえば、中東であれだけ、一気に革命が起きて変わるわけだから、『アレサ』くらい、ちょろいもんですよ。(笑) 音楽関係の原稿を書く人がみんなツイッターとかブログで、『アリーサ』って正しい表記するようになれば、レコード会社だって変わるよ」 吉岡「そうですね、まさに『表記革命』ですね! そうだそうだ。おもしろいなあ。やろうよ」 ピーターさん。「やろうよ、やろうよ」 そして、ザイールの独裁者、モブツ大統領は、モブツと書かれるが、正しくは、「モブトゥー」というらしい。「ブ」にアクセント。 映画『ソウル・パワー』のパンフレット ■映画はヒットすると思われていたか  思惑。 ところで、この『ソウル・パワー』は、画質もいいし、音もいい。1974年の時点で、この映画製作者は、これがヒットすると思ったのだろうか、という話題になった。 ピーターさん。「1969年の『ウッドストック』も、(レコードを出したワーナーに)レコードの権利を7万5000ドルで渡すという交渉をするが、映画もついでにつけて10万ドルで手を打つ。つまり、映画はあくまでおまけで、誰も当時は映画がヒットするなどとは思ってないはず」 ちょうど黒人インディ映画のはしりとなった『スイートバック』のDVDを持ってきた中田さん。「この『スイートバック』は、ちょうど1971年に出て、1500万ドルの興行収入を上げた。それを見て、『シャフト』ができたりするので、1974年のこの『ソウル・パワー』は、ある程度勝算があったのではないか」 この種の映画では、『ウッドストック』、『セイヴ・ザ・チルドレン』、『ワッツタックス』、『スイートバック』(ちょっと種類は違うがインディ・ブラック映画という範疇で)などがあった。 吉岡。「たぶん、ドン・キングあたりが、興行とライヴ、その映画含めて、ひとまとめのプロジェクトとして、投資家からどーんと予算を取ったんじゃないかなあ。で、それぞれにばらまいた。だから、試合と興行さえできれば、映画なんか、ヒットしようがしまいが関係ない、最初に前金とってしまえば、それでいい、くらいのつもりだったんではないかな。それもあって、30年以上も何も表に出てこなかった」 中田さん。「ライヴ、コンサート自体は経済的には大失敗だったんですよ。数週間、試合が延期されたおかげで、でも、ライヴだけ先にやらざるをえなかったから。最初からけっこう試合を見に来る観光客も目当てにしてたのが、来なくなって、結局、地元の人しか来なかった。でも、地元の人は年収数百ドルとかで、チケット買えない」 ピーターさん。「最後は、みんなタダでいれたんでしょう」 吉岡。「このライヴ自体も、試合の延期と同調して後ろにずらせなかったのかなあ」 ピーターさん。「照明は『ウッドストック』もやっていた人、ほかにも多数のスタッフがその1週間だけスケジュールを押さえられていて、次の仕事がもうみんな決まっていた。だから、コンサートの延期は、事実上不可能だったんですよ」 吉岡。「そもそも、なんで、ザイールでやったの」 中田さん。「それは、ドン・キングがモブツ大統領と話をつけたから」 藤川さん。「国威発揚な感じなんでしょうね。これをやることで、オリンピックみたいに汚いところを壊して直して」 … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

◆マイ・ファースト・ライナーノーツ(パート2)

◆マイ・ファースト・ライナーノーツ(パート2) (昨日からのつづき) 【My First Linernotes (Part 2)】 ■ ジャズ・ファンク・アルバム アイス。 宮前さんから僕が書いた最初のライナーノーツを尋ねられたが、2枚目もよく覚えている。フランスのジャズ・ファンク・グループ、アイスというグループの『フリスコ・ディスコ』というアルバムだ。1975年12月に執筆。これは当時のビクター音産の横田さん(のちにヴァージン・ジャパン社長)から依頼された。たぶん、タイトルがディスコとついているので、ディスコについて詳しかった僕に依頼が来たのだと思う。メジャー・ハリスはそこそこアメリカでヒットしたので、存在を知ってる人も多いが、このアイスはほとんどヒットしなかったので、誰も知らないと言ってもいい。 ところが、リトル・ソウル・カフェにはこのアメリカ盤(プレステージ盤)があった。輸入盤なので、さすがに僕のライナーは見ることができなかったのだが、宮前さんは、「ジャズ・ファンクのアルバムでしょう?」と知っていた。おそるべし。 このグループは、リリース時にはそれほどヒットせず、またアーティストについても詳しくはわからなかったのだが、フランス・パリを本拠にしたファンク・グループで、後のインコグニートやブラン・ニュー・ヘヴィーズ的な今で言うジャズ・ファンク・バンドだった。当時はまだ「ジャズ・ファンク」という名称さえなかった。そして、このグループは、後に名前をラファイエット・アフロ・ロック・バンドと名称を変える。そして、さらにもっと後になると、このバンドの「ハーイエイク」という楽曲や「ダーケスト・ライト」という曲が、ジェイZやビズ・マーキー、DJホンダ、その他のヒップホップ系のアーティストによって、サンプリングで使われることになり、ちょっとした話題になる。そして、このアイス/ラファイエットのプロジェクトを仕切っていたのが、ピエール・ジョベールというフランス人の音楽業界人だった。 ピエールは、その後、個人的にもメールのやりとりをするようになるのだが、このアイス→ラファイエット・アフロ・ロック・バンドをベースに、このメンバーでいろいろなディスコっぽい曲を作り、違うグループ名でヒットを出すようになる。その中で日本でよく知られているのが、キャプテン・ダックス名義で出た「(ドクター・ビザール・)ソウル・フランケンシュタイン」という楽曲だ。これはディスコで大ヒット。 その後も、ニューヨークのウエストエンドから出たミッシェルの「マジック・ラヴ」(トム・モウルトンがリミックスを担当)なども、ジョベールの作品でこれも日本のディスコでもヒットした。もちろん、そうした話題は、リリースより後の出来事なので、アイスのアルバム・ライナーには触れられていない。もし、今これを書き直すとなると、そうしたネタをすべて含めて書いたほうがいいということになる。 ■ 1986年9月以降ワープロへ 3枚目。 さて、自分が書いたライナーノーツは2枚目までは覚えていたのだが、それ以降はっきりしなかったので、家に戻って調べてみた。 すると、3枚目は当時日本フォノグラムから出たホワットノウツのアルバム(1976年1月21日執筆)、そして、次がなんとパーラメントの『マザーシップ・コネクション』(1976年2月23日執筆)だった。さらに、リムショッツ、ディスコのオムニバス、チャック・ジャクソン、ドナ・サマーと続いた。 僕は1975年に最初のライナーノーツを書いたが、1986年9月まで手書き。1986年9月以降ワープロを手に入れ、ワープロで書くようになった。正確には、その3-4ヶ月ほど前に、1行だけ液晶画面に文字が出るワープロを使い始めたのだが、それは保存ができず、書いてプリント・アウトすると、それっきりという代物だった。9月以降のものは、キャノワードで書き、書いたものをフロッピーディスクに保存し始めたので、基本的には文字データとしてすべて残っている。 以来、ライナーノーツは1200枚以上書いたと思う。1000枚までは数えていたのだが、以降、数えるのをやめてしまったのだ。もう一度、資料を整理したほうがよさそうだ。 中には、同じアルバムを再発のときに改めて書き直したりしたものもある。また、ほんの数枚だが、原稿は書いたもののレコードが未発売になり、陽の目を見なかった原稿もある。没になった原稿は、生原稿が戻ってくることが少ないので、何を書いたか覚えていない。そんな中で覚えているのは、ルイス・ジョンソンのソロ・アルバムというのがあった。1983年ごろだったと思う。あと、マッスル・ショールズ・ホーンズのアルバムも書いたようだが、発売がボツになっていた。 ■ なぜライナーノーツが好きか 自由。 僕はライナーノーツを読むのも書くのも大好きなのだが、その最大の理由が、大まかな字数の制限はあるものの、何でも自由に書けるという点がある。雑誌や新聞だと、何文字x何行、とびしっと文字数が制限される。あるいはトータルの文字数で2000字でといった具合だ。ライナーの場合、当初は大体4000字くらいで依頼されるが、それが若干プラス・マイナスしても特に問題はない。ゆえに自由にいろいろと書ける。また、小見出しなども自由に付けられるので、ある程度原稿を書くと編集的な作業もできる。 そうした中で、そのアーティストに関する詳細な情報、アルバムの聞きどころ、参加ミュージシャンなどについて、いろいろ書けるのが楽しい。 さて、ライナーノーツというテーマだといくらでも、書いているうちに思い出すので、まだこのテーマで続くかもしれない。しばしおつきあいを…。(笑)  (ライナーに関しては続くかも) ESSAY>Linernotes

Posted in エッセイ | Comments Off

◆ここ1-2週間のいろいろ~ソウル・サーチンからソウル・キッチン

◆ここ1-2週間のいろいろ~ソウル・サーチンからソウル・キッチン 【Bits & Pieces About Last 2 Weeks】 バタバタ。 今週はけっこうスケジュールがタイトで、厳しい。そこで、「棚つか」(棚からひとつかみ)ならぬ「ネタつか」。いくつかあるネタをぱっとつかんで、かいつまんでご紹介。12月はバタバタ・マンス。 12月14日(火)、まだマイケルの新作『マイケル』の本盤のCD届かず。アマゾンあたりで発注した人は月曜あたりに到着してるところもあるようだ。このアルバム、オーストラリア、ベルギー、ドイツでは、12月10日発売、イギリスが12月13日発売、アメリカ、ブラジル、台湾が12月14日発売、そして、日本が12月15日発売。ちなみに中国でも12月20日に発売される。 12月14日(火)午後、映画配給会社ビターズ・エンドから、今度公開される映画『ソウル・キッチン』のDVDが届く。先日、J-Waveの持田さんからご紹介され、見せていただくことに。60年代、70年代のソウル・ミュージックがふんだんに流れるドイツの大衆食堂を舞台にした映画で、とっても僕好みっぽそうな感じ。とりあえず、テレビで流しながら、原稿。 12月14日(火曜)は、ブルーノートでサム・ムーア。これは2年ぶりのライヴ。毎回見ているが、今回も元気いっぱいのよう。日曜日・コットンから始まり、月曜以降ブルーノート。今回は、ブルノでは一日2回のショーが組まれ、火曜だけワンショー。ゴスペラーズの村上・酒井両氏は月曜に行ったよう。楽屋でブレンダ・ヴォーンがサムから聞いた話として、「アレサの入院は検査入院なのに大きな騒動になっている」とのこと。今後の情報を注目したい。 1月初旬発売の日経トレンディ・特別増刊号のマイケル特集の記事の締切が五月雨式にやってきている。今週いっぱいこれに忙殺。8月に取っていたリビー・ジャクソン、2月に取ったバシリ・ジョンソン、5月のジュディス・ヒルのインタヴューなどを一挙に公開。 ここ1-2週間で見たライヴで、まだライヴ評をあげてないものがいくつか。 11月29日(月)AIのライヴは書いた。11月30日(火)、マイケル新作試聴会は書いた。12月1日(水)、和田唱さんのトライセラトップスのライヴ@渋谷AX。ストレートなロック。立錐の余地もないほどの超満員でびっくり。すごい人気。12月2日(月)深夜、Bハワードがジェネヴィーヴ・ジャクソンの誕生日を祝うパーティー。3日(金)、竹内まりやさん@武道館は書いた。12月6日(月)のフォー・プレイ。月曜日、ケイリブと「ソウル・サーチン」の打ち合わせをしていると、ケイリブがこのあと、ブルノでフォー・プレイを見るというので、一緒に行くことになり、そこでAIもジョイン。うまい匠たちのプレイは、文句なし。ケイリブに「ソウル・サーチン」告知用のプロモーション用ビデオを路上で撮影。するが、暗くて、結局使えず、再撮影に。12月7日(火)、白川会は書いた。白川会に出席したためMaruことFireflyに行けず。ごめん。11日(土)デイヴィッドTは書いた。12日(日)仲間内の忘年会。約30名参加。半分幹事なので、マイケルの神宮のイヴェント行けず。13日(火)軽音部、原稿につまり、欠席。ごめん。 12月10日(金)、フォトグラファー・ナサさんの写真二人展渋谷にて。ケイリブと一緒に見る。そこで、「ソウル・サーチン」プロモ用ビデオを再度撮影。ケイリブは立て板に水で、ほんとしゃべりもうまい。この写真展でモデルとなったシンガーのレイケイさんと名刺交換。彼が歌っている音源を昨日、メール便で受領。スティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」などをハウス仕立てで歌っている。 ■ソウル・サーチン:ザ・セッション~ア・トリビュート・トゥ・クインシー・ジョーンズ さて、今回の「ソウル・サーチン」は、紆余曲折、さんざん悩んで、クインシー・ジョーンズに決定。一両日中にメンバーなど発表します。2011年2月3日(木)、4日(金)、目黒ブルース・アレイです。カレンダーにマークを。 ケイリブのプロモ http://www.bluesalley.co.jp/schedule/video/movie.html?c_code=Schedule-20101028161957 ブルース・アレイ告知 http://www.bluesalley.co.jp/schedule/syousai.html?c_code=Schedule-20101028161957&status=ok&disp_date=201102&type=s#b 候補リストをもって行き、ケイリブと喧々諤々(けんけんがくがく)。僕は本当はマイケルやジェームス・ブラウンをやりたいのだが、マイケルをやる場合は、絶対にダンサーを入れたい。もちろん、ブルーツリー(MJ-Spirit)にお願いしたい。だが、ブルースアレイのステージではとても無理。なくなく諦める。それと、マイケル・トリビュートは過去1年以上何本も見ているが、やはり、誰がどうやっても、いいものにならない、ということを毎回痛感してきた。よほどアレンジ力、楽曲の解釈力がないと、いいものにならない。JBも、マイケルも、本当にワン&オンリーで難しいのだ。で、いろんなアーティストの名前が出た。 過去8回やってきた「ソウル・サーチン」はいずれもソウル・ジャイアントばかり。ソウルの歴史に偉大な足跡を残したアーティストばかりだ。そんな中、最後までプリンスは候補に残ったが、リストの中でクインシー・ジョーンズの名前が浮上。クインシーならマイケルも含められる、ジャズの歴史、ポップスの歴史、そしてブラック・ミュージックの歴史を俯瞰できるということで、クインシーに決まった。 クインシーに決めた後は、あれもこれもと期待が広がり、えらく自分でも興奮してきた。あの曲とあの曲をメドレーにして、ジーノにバチバチ・ベース叩いてもらおうとか。「イッツ・マイ・パーティー」(レスリー・ゴーア)やりたいなあ。 詳細は後日。 ■ マイケル・ジャクソン『マイケル』 MICHAEL posted with amazlet at 10.12.14 マイケル・ジャクソン ソニーミュージックジャパンインターナショナル (2010-12-15) 売り上げランキング: 7 … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

◆オークションでの手の込んだ新手の詐欺にご注意

◆オークションでの手の込んだ新手の詐欺にご注意 【Be Careful For New Type Of Fraud At Auction】 要注意。 友人のMさんはけっこうヤフーオークションで買ったり、売ったり、すでに800件くらいやっているヴェテラン・オークショナーだ。その彼が初めて体験した、おそらくちょっと手の込んだ詐欺の手口。みなさんもご用心。 Mさんが最近いらなくなったとあるカメラを写真付きでヤフオクで売りにだした。するとまもなく、カナダ在住の日本人と名乗る人物から、なぜか英語で問い合わせがあり、1点2000ドル(16万円)で買うという。Mさんはカメラ2台を出していたが、1台5-6万円で落ちればいいやと思っていたので、これはいい、と思い、翻訳ソフトを使いながら、英文を訳し、英語を書き、返事を送った。すると、先方からはシティバンクに2台分、4000ドルを預けた、MさんにEMS(国際ビジネス郵便)で指定された住所(これがなぜかナイジェリア)に送るよう指示し、そのEMSの発送済控えをスキャンしてメールで送れ、それを確認したら、銀行があなたへの支払いを完了する、との旨のメールがきた。 さらに、それとは別に、シティバンクのレターヘッドを模したメールで、4000ドルをMさんに送る用意があるとのこと、EMSの送り状のスキャンを確認しだい、Mさん口座への送金手続きをする、と書いてある。 そこで、Mさんは僕に相談してきた。これは大丈夫か、怪しくないかと。一連のメールを送ってくれたのだが、これが、あやしさ超ぷんぷんのメールであった。一番おかしいのが、シティバンクとされるところからのメールの冒頭の単語が、「コングラッチュレーション!(おめでとうございます)」ときた。よくアフリカあたりからくるスパムメールの文面に雰囲気が似ている。600億ドル入金があるが、それを手に入れるのに6万ドル必要だから振り込め、とか、そういう類のやつ。大文字と小文字との使い方がいい加減で、少なくとも英語ネイティヴの教育のある人間の英文ではない。 Mさんには、これはかなり怪しいからやめといたほうがいい。ヤフーのオークション・サイトには、この商品は海外発送はしないとなっている。そもそも相手は日本語が読めていないようだから、それもおかしい。適当に断りのメールでも送ったらいいんじゃないんですか、と返した。だが、一応、シティバンクのどこかのオフィースに行って、これらの書類、メールを見せて、相談されたらどうですか、と答えた。 そして、Mさんは翌日、シティバンクに行った。すると、送られてきたメールのシティバンクのロゴは、どうやらホームページからコピーしたらしい、ということ。また、銀行自体は、送金はされたら、そのまま送金処理をして、物品の送品確認をして送金するというサーヴィスは、少なくとも日本ではやっていない、ということ。シティバンクっぽいメアドも、実は、ドメインより前のところが、シティバンクで、@の後のいわゆるドメインは、シティバンクではない。だから、おそらく本人がこのメールに答えられるようだ。そこで、ここでの結論も「詐欺」。 といったことで、相手には、「これは海外には発送できません」とでも送ればいいのでは、それで終わり、ということで決着だと思った。そしたら、先方からは、その後も、発送はしたか、と、しつこく、しかも、かなりアグレシヴなメールが来ている、という。 よくよく考えてみると、カナダ在住日本人という設定からおかしい。さらに、商品をナイジェリアに送れ、というのも変。そこで思いついたのが、このメールの差出人がナイジェリアに住んでいる人物ではないか、ということ。カナダ、さらに、ロンドンにも住所があるように見せかけ、でも、商品の発送先はナイジェリアと、ストーリーをより複雑化している。ロンドン、カナダ、ナイジェリアの住所など、ひょっとしたらグーグル・アースあたりで、実在するかどうか、確認できるかもしれない。5-6万で売れればいいと思っていたものに、最初から2000ドル(約16万円)もつけるのもおかしい。あとから考えると、おかしいことはいくつもあるのだが、当人、当事者だと意外とわからないものかもしれない。 ヤフオクで、海外からあやしいメールが来たらご用心。 ESSAY>

Posted in エッセイ | 3 Comments

◆吉野弘の「祝婚歌」~コピーレフトで転載

◆吉野弘の「祝婚歌」~コピーレフトで転載 【A Song Of Toast To Wedding】 祝婚歌。 しばらく前にツイッターで誰かがRTしたのを見かけて、なかなかいいなあ、と思っていたら、なんと鳩山前首相がここからの一文を紹介。一挙に、ブームになった感がある詩作。 そこで、この詩「祝婚歌」と作者・吉野弘さんについていろいろ調べてみた。吉野弘さんは、1926年(大正15年)1月16日生まれの詩人。彼が実の姪御さんの結婚式に出席できないので、書き送った詩がこの「祝婚歌」だそうだ。その後、彼の詩集に編纂され、静かな人気となり、もう10年以上、結婚式などでよく読まれているそうだ。とても示唆にとんだすばらしい詩なので、このブログでも紹介してみたい。 で、著作権についてなのだが、吉野さんは、これは「民謡のものなので(パブリック・ドメインみたいなもの)ご自由にどうぞ」という著作権についてひじょうに柔軟な姿勢をお持ちの方なので、転載させていただくことにした。(詩のあとに著作権についての意見を紹介してあります) 「祝婚歌」(吉野弘・作) 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派過ぎないほうがいい 立派過ぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうち どちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には色目を使わず ゆったりゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

◆音楽の力 ~ ヴェトコン兵士が口ずさんだ曲 : 「ギヴ・ミー・ジャスト・ア・リトル・モア・タイ

◆音楽の力 ~ ヴェトコン兵士が口ずさんだ曲 : 「ギヴ・ミー・ジャスト・ア・リトル・モア・タイム」 【Power Of Music: The Song Viet Com Humming】 一字一句。 2010年10月13日にアトランタ郊外で69歳で死去したジェネラル・ジョンソン。ホット・ワックス/インヴィクタスのチェアメン・オブ・ザ・ボードのリード・シンガーだが、彼のことを調べているうちに、ちょっといい話に出会った。彼のホームページに書かれている「パワー・オブ・ミュージック」と題された小文だ。 ジェネラル・ジョンソン訃報記事 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10680532190.html これは、ジョンソンが生まれ故郷に近いノース・キャロライナ州のナイトクラブでライヴをやったときに、そのクラブのオウナーから紹介された地元消防士の話だ。その消防士は、ノース・キャロライナ州シャーロッテの消防団のチーフで、現在はリタイアしている。彼の名はハリー・ロジャース。 ジョンソンがオウナーの紹介でロジャースのテーブルに行くと、ロジャースはチェアメン・オブ・ザ・ボードの音楽のことを大変褒めてくれ、一通の手紙を手渡した。その手紙(2006年2月18日付け)には、ロジャースが体験したチェアメンのヒット曲「ギヴ・ミー・ジャスト・ア・リトル・モア・タイム」についてのちょっとしたエピソードが書かれていた。彼はその手紙を自らのウェッブサイトに公開した。 原文はこちら。 http://www.generalnormanjohnson.com/my%20life.htm 1970年6月のことだった。ロジャースは、ヴェトナム戦争に従軍していた。アメリカ軍は激しく北爆(共産化しつつあるとされた北ヴェトナムを爆撃)をしていた。そのさなか、ロジャースは南ヴェトナムで6人の(北側の)ヴェトコン捕虜を見張りながら、彼らに防空壕のような壕を作らせていた。敵の捕虜がきちんと仕事をし、逃げないように見張りながら、ロジャースは電池で聴けるラジオでアメリカ軍の放送(日本でも聴けるFENのようなラジオ局のヴェトナム版=現在のAFRTSアメリカン・フォーセス・ラジオ・テレビ・サーヴィス)をかけていた。 DJが、「ちょうどリリースされたばかりのニュー・シングルをご紹介しよう。チェアメン・オブ・ザ・ボードの『ギヴ・ミー・ジャスト・ア・リトル・モア・タイム』だ!」と言って、その曲がかかった。 ロジャースはその曲を聴くのは初めてではなく、すでにお気に入りになっていた。すると、一人のヴェトコン兵士がこの曲を口ずさんで一字一句同じように歌っていたのだ。しかも、「and our love will surely grow…bluuurrrtt」(約2分13秒あたり)の最後のブラッーという部分を巻き舌で歌うところまで真似ていたのだ。これにすっかり驚いたロジャースはその兵士に「英語はしゃべれるのか」と尋ねると、彼はなんとミシガン大学に行っていた、という。 アメリカの大学にまで行っていていた教育のある男がなぜヴェトコンに。「じゃあ、なんで君はこんなところで、窮地に立ってるんだ?」と聞くと彼はこう答えた。「北ヴェトナムの兵士がAK47のライフルを持ってやってきて、俺の妻、父母の頭に銃口を突きつけ、北の兵士にならなければ皆殺しにする、と脅してきた。だから、しかたなく北軍に入ったんだ。そして、最初の従軍であんたたちの捕虜になったんだよ」 それまで、ロジャースは、彼自身兵士として「人間ではない動物」として訓練され、敵もただの動物と思えと洗脳されてきた。だが、この日、この瞬間、初めて敵兵もひとりの人間だと思った、という。ロジャースは、「この出来事は私の人生のいかなる出来事よりも偏見というものを克服することに役立った」と振り返る。「あなたの音楽(ギヴ・ミー・ジャスト・リトル・モア・タイム)によって、それはほんの一瞬だったとしても、私や何千人もの人生の最悪の部分を少しでもよくしてくれたことに感謝したい」と言ったのだ。 これぞ、まさに「音楽の力(Power Of Music)」だ。 ++++ 月曜日深夜(2010年10月18日)、NHKスペシャルで『貧者の兵器とロボット兵器』(再放送)という番組をやっていた。アフガニスタンをアメリカ軍の無人ロボット飛行機が爆撃するというものだ。そして、敵のタリバンは人間自爆で向かってくる。アメリカ側はまさにゲーム感覚で爆撃をしている。ヴェトナム戦争は、現地でのゲリラ戦争だった。このゲーム感覚の戦争の中では、上のような話は起こらない。 ■ チェアメン・オブ・ザ・ボード 「ギヴ・ミー・ジャスト・ア・リトル・モア・タイム」 Give Me Just a Little More … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMNソウル放談(パート8=最終回)

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMNソウル放談(パート8=最終回) 【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 8 of 8 parts)】 (昨日からの続き) ソウル放談。 2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」、先日そのパート4~7までをお届けしました。今日は、いよいよ最終回パート8。中田さんの衝撃の最新プロジェクトなど。 パート1から7までは、こちら。 2010年08月02日(月) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html 2010年08月03日(火) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html 2010年08月04日(水) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html 2010年09月18日(土) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html 2010年09月19日(日) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html 2010年09月20日(月) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート6) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100920.html 2010年09月22日(水) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート7) … Continue reading

Posted in エッセイ | 1 Comment

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート7)

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート7) 【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 7)】 (昨日からの続き) ソウル放談。 2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」、先日そのパート4~6までをお届けしました。今日は、パート7。運営のむずかしい大型セルフ・コンテインド・グループを維持していくには。 パート1から6までは、こちら。 2010年08月02日(月) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html 2010年08月03日(火) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html 2010年08月04日(水) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html 2010年09月18日(土) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html 2010年09月19日(日) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html 2010年09月20日(月) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート6) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100920.html ■ 大ヒットがあれば、すべてうまく回るか ジェームス・ブラウンのJBズも、ブッツィー・コリンズのバンドも大人数のバンド。1970年代は一大「セルフ・コンテインド・グループ・ブーム」になっていた。「セルフ・コンテインド・グループ」とは、自分たちで曲を書き、プロデュースし、演奏、歌も歌うというすべてを「自給自足」するグループのこと。だが、大人数を養うのは経済的にだんだん難しくなり、70年代以降はそうしたグループも人数を減らしたりしてサヴァイヴァルの道を模索している。つい最近11年ぶりに来日したキャメオも一時期は12-3人になったこともあるが、現在は4人程度。あとは、サポート・メンバーでライヴをまかなう。アースも4人程度がメイン。そんな中、日本を代表するセルフ・コンテインド・グループ、オーサカ=モノレールも大人数の運営は大変だという話になった。 中田。「やはり10人近くいると、(運営は)大変になりますよね。1曲でもヒット曲とかあればいいんでしょうけれどね。いい曲書いたら売れるはずだし。僕たちがお金持ちじゃないというのを、世の中のせいにするのは間違いだと思います。そういう才能がなくて、それだけのものをまだ出してない、というだけのことと思ってるんですよ。クール&ザ・ギャングも、「セレブレーション」はどうかわかりませんが(笑)、ほかにもいい曲、かっこいい曲たくさんあるし、アース・ウィンド&ファイアーなんか、(音楽的な内容と商業的な成功が)両立してると思うんですよ。かっこええもんわ、かっこええ。 中田。「年に何回か、仕事もなんもせずに、これからどうしたらいいかっていうのを喫茶店でずっと考えるっていう日を作るんですけど、なかなかいいこと思いつかないんですよ。(笑) 日本で(人数多いバンドは)かなり大変ですね。エグザイルも人数多いけど、次元が違いますからね。(笑)」 … Continue reading

Posted in エッセイ | 1 Comment

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMNソウル放談(パート6)

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMNソウル放談(パート6) 【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 6)】 (昨日からの続き) ソウル放談。 2010年8月2日から4日まで3回にわたってお送りした「YMN参集・ソウル放談」のパート4、5までをお届けしました。今日は、パート6。ジェームス・ブラウンの研究家でもある中田さんが、分析するJBズのからくり。そこにはまらなかったブーツィー・コリンズ。 パート1から5までは、こちら。 2010年08月02日(月) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html 2010年08月03日(火) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html 2010年08月04日(水) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html 2010年09月18日(土) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート4) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100918.html 2010年09月19日(日) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート5) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100919.html +++++ ■ 大型バンドとしての苦労~JBズのからくり 中田さんのオーサカ=モノレールは、現在9人組。もともとその名の通り大阪出身のグループだ。彼らは当初、大阪を本拠に活動を続けていた。だが、じょじょに東京での仕事も増え、遂に本拠を東京に移す。 松尾。「(レコーディングするときは)スタジオはどのあたり使ってるの?」 中田。「もうばらばらですね。僕らは1日20万もするようなスタジオは使えないんで、せいぜい5万とか、個人スタジオで3万くらいのところの場合もありますよ。そういうときはホーンセクションだけ後から録ったり。ただマルチ(レコーダー)は自分たちで持っていきます」 松尾。「ところで、中田さんが、上京してきたのはいつですか?」 中田。「2003年かなあ」 … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

○YMNソウル放談(パート4)~ YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴

○YMNソウル放談(パート4)~ YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴 【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 4)】 ソウル放談。 大変長らくお待たせいたしました。先月8月2日から4日まで3パートにわけてお送りしたYMNソウル放談、そのパート4以降をお送りします。実は、パート2でお届けしたマーヴァ・ホイットニーの部分は後半のところで、パート3、パート4が冒頭の部分、言ってみれば、『エピソード1、2』にあたります。(笑) 今回は中田さんの音楽的ルーツの話、イギリスの音楽シーンの話など。パート8まで続きます。 パート1から3までは、こちら。↓ 2010年08月02日(月) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100802.html 2010年08月03日(火) 参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン参集 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100803.html 2010年08月04日(水) YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100804.html ■ オーサカ=モノレールのヨーロッパ進出について。 大型ファンク・バンド、オーサカ=モノレールは、最近では年に一度ヨーロッパ・ツアーをする。そして、昨年はその模様を『ライヴ・イン・スペイン』として、CD・DVDとしてリリースした。彼らはヨーロッパでも安定した人気を獲得しているが、そのヨーロッパ進出はいかにして実現するようになったのだろうか。 中田。「(それまでの先輩アーティストと比べた場合)僕らの場合は、インターネットがあったんでね。マイスペース作ったのが、2005年か2006年かな。アメリカ人の友達に、『おまえ、マイスペース作れ』って言われて、『なんや、それ』とか思ったんですけど、作ったんです。でも、これはでかかったですよね。それと、僕たちは7インチのアナログ・シングルを出してたんで、これも大きかったですね。そういうのがヨーロッパで出回ってて、僕たちが(ヨーロッパ・ツアー)するぞって言ったら、あちこちからオファーが来ましたね。ただ、向こうが飛行機代も出すから、来てくれ、という話はこないんですが、僕たちが行くってなったら、じゃあ、ブッキングする、っていう話はでましたね。だから、ヨーロッパに行くっていう最終的な決心をしたのは自分なんですけど、赤字にあるか黒字になるかはわかんなかったんですけど、とりあえず、行くってなったら受け入れてくれるところはあった、という感じですね」 松尾。「あっちからすると、呼ぶには人数多すぎだしね。(笑)」 中田。「今でも全部めんどう見てくれる人はいないんですよ。だから、このライヴが(ギャラが)いくらとか、旅行日程や飛行機代とか計算してそういうのを組み合わせてくんです。だから、ライヴの日は向こうが用意してくれるんでいいホテルに泊まれるんですけど、ライヴのない日はかなり安いモーテルだったりするんですよ。(笑) 一泊10ユーロとかね」 吉岡。「10ユーロ!(約1200円)それは安い!」 松尾。「ライヴ、どんなところでやってるんですか。(ロンドンの)ジャズカフェとかやったんですか」 中田。「あ、ジャズカフェ、やりましたよ」 松尾。「イギリス人の黒人音楽趣味に強いシンパシーを覚える僕からすると、(イギリスの国営放送)BBCでかけてもらって、ジャズカフェでプレイできたら、死んでもいい、みたいな感覚はあるなあ」 中田。「BBC行きましたよ、生ライヴ、やりましたよ」 ◎ オーサカ=モノレール ライヴ・イン・スペイン ライヴ・イン・スペイン [CD+DVD … Continue reading

Posted in エッセイ | 1 Comment

◆フランクリン・アヴェニュー、20年ぶりに新メニューを追加

◆フランクリン・アヴェニュー、20年ぶりに新メニューを追加 【Franklin Avenue Add New Flavor Of Hamburger First Since 1990】 ブルーチーズ・バーガー。 先日、ジョー・サンプルと五反田にある僕のお気に入りのハンバーガー屋フランクリン・アヴェニューでランチをした。(そのときの話は、難しい内容なのでまた後日まとめてブログに書きます) その時に、フランクリンのオウナー幸三さんが3年かけて試行錯誤したという、新作ブルーチーズ・バーガーを食べた。 ブルーチーズとゴーダチーズの二種類のチーズを混ぜ、パテの加減も従来より軽めのものに改良をし、今回世に出る事となった。なんでも、幸三さんが3年ほどまえにハワイのホテルで食べたブルーチーズ・バーガーにものすごく感銘を受け、自分の店でもメニューとして出したいと思ったのだという。ハワイのどのホテルで食べたのか尋ねると、それがよく覚えていないらしい。なるほど、場所よりもとにかくブルーチーズ・バーガーに衝撃を受けたのだろう。東京に帰ってきてから、あらゆるチーズを片っ端から試した。それこそ、つきあいのあるチーズ業者から、紀伊国屋、明治屋、デパートなどブルーチーズと見れば買い漁り、試した。100や200は試したらしい。だが、なかなかあのハワイの味は再現できない。途中何度もあきらめかけた。 それがたまたまつい最近、つきあいのある業者から、これとこれを試しに混ぜたらどうか、という提案を受け、試しにやってみたら、見事にはまった、という。「何でも、あきらめちゃいけないんですよね」と幸三さんは言う。1990年にオープンしたこのフランクリンで、ハンバーガーの新メニューを加えるのは、20年目にして今回が初めてのこと。フランクリンの歴史的事件、それほどの衝撃なのだ。 噂のブルーチーズ・バーガーは、なんともチーズがとろっとろっで見た目からして美味しそうだ。 半分にカットして、一口がぶりとすると、肉汁もたっぷりだが、チーズとのハーモニーが完璧だ。肉とトマト、たまねぎ、レタスとの絡みも最高で、一瞬にして僕を病み付きにさせた。 幸三さんによると、「パテもいろいろ変えて、おなかに負担のない、食べても胃がもたれないものにしたんです。だから、濃い味や(一般の)ケミカルな味に慣れてる人には、ちょっと物足りなく感じられるかもしれませんが、また食べたくなるはずです。自信作です」 確かに、あんなに大きなヴォリュームなのにまったく胃にもたれない。不思議なハンバーガーだ。 ところで、僕は9月24、25日に開催される「ソウルパワー2010」のパンフレットの原稿に追われ、東京ジャズも終わり、ジョーも帰国した今、ついにお尻に火がついた。(笑) そんなこんなで、バタバタ。本当は昨日はフェリックス・キャバリエ(ラスカルズ)に行く予定だったが、観たいライヴも我慢して原稿執筆に明け暮れている。 そんな中、ちょっと気分転換と思い、自宅から徒歩五分圏内のフランクリンでまたブルーチーズ・バーガーを今日(といっても昨日か)食べてきた。本当に癖になる味。もう僕は病み付き。 もちろんフランクリンでも校正したり、お仕事モード。(笑) 東京ジャズは幸三さんと行ったのだが、幸三さんはジョーたちに自作の「クラブ・ハウス・サンド」を差し入れた。ジョーはフランクリンの話をメンバーたちにずいぶんと話したようで、なんと、ウェイン・ヘンダーソンが「ジョーが君の(フランクリン)とこのハンバーガーは、best in the world 世界中でベストだって言ってたぞ」と言っていた。すごーい。 “Hamburger: Best In The World” by Joe Sample なんてのは、大変なキャッチフレーズではないか。 ハンバーガー好きの方は、ぜひ、この「ブルーチーズ・バーガー」を一度お試しあれ。人気赤丸急上昇間違いない。でも、まさかこれでまたフランクリンが行列になっちゃうと困るなあ…。 ■ 過去関連記事 … Continue reading

Posted in エッセイ | 1 Comment

◆集中力が欲しい

◆集中力が欲しい 【Concentration Is What I Need】 集中力。 今度、大前研一氏が主宰するインターネットで学べる大学での授業のビデオ番組にゲスト出演することになった。詳細は、いろいろ決まったあとにご紹介しようと思っているが、その打ち合わせを2度ほど行って、とても勉強になった。 この科目は英語で、いかに英語を身に付けられるか、そのノウハウを教える。そこで、普段英語を使って仕事をしている5人のゲストを招き、どのように英語を習得したかを実践的に話してもらうというもの。 元ガバの青野さんが、僕が英語を音楽で学んだことを知っていて、その体験談を話してください、と誘っていただいた。 雑談の中で、僕が強調したのが、「集中力」というものだった。原稿でもなんでも、昔は集中力があって、集中すれば、なんでもさっとできていた。ところが、最近は集中力を高めることが本当に難しい。なかなか集中できない。集中するまでに異様に時間がかかる。締切という存在は、大いに集中を高めるいい外的要因だが、では、そうした外的要因をうまくコントロールして、自主的に集中を高める方法はないだろうか。もしそれがうまくできたら、何でもできる、怖いものなし、だと思う。そんな話になった。 今でも、集中できたときは、仕事も進むのだが、そこに行くまでがだめ。原稿に向かう瞬間、デスクの上や引き出しの中や、果ては冷蔵庫の中を片付けたりしてしまう。そんなこと、どうでもいいのに。(笑) ほんと、最近、どうしたら集中を高められるのか、すごく大きな課題になっている。 集中力さえあれば、どんな語学でも、その他の習い事でも3ヶ月や半年である程度はできるようにはなると、僕は信じてる。(実際に、試したことはないんだが=苦笑) どなたか、自身で集中力を高めるいいノウハウ、方法がありましたら、教えてください。 ESSAY>Concentration

Posted in エッセイ | 3 Comments

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3)

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴~YMN納涼ソウル放談(パート3) 【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 3)】 ソウル放談。 昨日のパート2が大変好評だったので、この「ソウル放談」、今日も文字起こししてみます。(笑) けっこう大変なんですよ。(笑) 昨日のまでは、大体メモと記憶でぱーっと書いちゃったんですが、今日のは少しテープを聴きなおして、ポイントを書こうかな、と。山下達郎さんの番組の「納涼夫婦放談」から拝借して、勝手に「YMN納涼ソウル放談」と題してみました。 別にこの日の食事会はテーマも何もなく、ただ食事でも、という趣旨だったんですが、それでも濃い話になりそうな予感はあったので、僕は、「ただの食事会」に、よりによってジョエル・ウィットバーン(マーヴァ・ホイットニー的な発音で行けば、ジョエル・ホイットバーンか。しかし、Whitney, WhitburnとかWhiはホイとか、ウイとか表記がブレますなあ。ノーマン・ホイットフィールドがよく見かける表記ですが、僕はウィットフィールドで書くことも多い。迷う、ぶれる=脱線失礼)の「ホットR&Bシングルス」の本を持ってきました。 現在はほぼ絶版で、たぶん、新しいのがもう少しでリリースされると思うので、下記は買い時ではありません。一応、持ち込んだのが、これ、という参考画像ということで↓ Top R&B Hip-Hop Singles: 1942 – 2004 (Book) posted with amazlet at 10.08.03 Record Research 売り上げランキング: 137299 Amazon.co.jp で詳細を見る たまたま中田さんがこの本の存在をご存知なかったので、軽くこのチャート本について解説するところから話が進みました。 +++++ ■ ジョエル・ウィットバーンのチャート本 … Continue reading

Posted in エッセイ | 1 Comment

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラ

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート2)~マーヴァ・ホイットニーが語るジェームス・ブラウン・エピソード 【Yoshioka, Matsuo & Nakata: Dinner With Soul Talking (Part 2)】 (昨日からの続き) マーヴァ。 「ソウル・ドレッシング」は壁にアーニー・バーンズの作品や新進気鋭のアーティストの作品などが額装されている。ここは2008年7月29日に開店して2010年7月29日にちょうど2年になった。(訪問したのは30日) 札幌の名ソウルバーの名前を冠したレストランだ。 後半おもしろかったのが、中田さんがてがけたジェームス・ブラウン・ファミリーのディーヴァ、マーヴァ・ホイットニーとのさまざまな話。中田さんは、ご存知の通りオーサカ=モノレールというJBファンクを伝承するバンドをやっている。その彼は1960年代にブラウン・ファミリーで活躍したディーヴァ、マーヴァ・ホイットニーのアルバムをプロデュース、2006年に日本発売、ツアーも敢行した。その過程で中田さんは多くの時間をマーヴァと過ごし、さまざまな話を彼女から聞いた。それまで、ジェームス・ブラウンについては、レコード、CD、ビデオと本くらいでしか情報を得ていなかったが、貴重な一次情報をふんだんに入手することができた。マーヴァによるジェームス・ブラウン像というものを中田さんが知り、そのあたりから、それまで持っていたブラウン像が変化していったという話になった。 ■ Call The General 中田さんの話。「(2006年6月に)マーヴァ・ホイットニーと沖縄ツアーに行ったときのことです。ちょうど、基地のアウトドアでもライヴを行う予定だったんですが(こちらはメインではなかった)、雨で急遽中止になって、メインでブッキングしていたライヴ・ハウスだけでやることになった。(ちなみに、このムンドというライヴハウスは今は閉店してしまったが、血のにじむような努力をして沖縄に良質の音楽を届けていた。マーヴァのライヴも大変助けていただいた) チケットは思ったほど売れてなかったんです。あんまり客も来てないから、少し開演を遅らせようということになった。で、それをマーヴァに言いに行ったんです。すると、マーヴァが『あたしたちは、沖縄にいるんだろ。ここ、沖縄は米軍の基地があるんだよね』『はい』『何人くらいいるんだ、兵隊は?』『さあ』『10万人か20万人くらいいるのか』『いやあ、そこまでは…』すると、マーヴァがいきなり『Call The General(将軍に電話しろ)』って言うんですよ。『マーヴァが今、沖縄にいる。レジェンダリー・ソウル・ショーをやるから、ソウルミュージックを聴きたい人は行くように』と基地内の放送で言ってもらえと。一応、地元の人に連絡取ってもらったんですが、なかなか放送とかもできなくて、しかも、もう開演30分くらい前の急な話だったんで、ジェネラルには電話できなかったんですけどね。自分的には、あのマーヴァの『コール・ザ・ジェネラル(将軍に電話しろ)』っていうのが、ま、いまどきの日本にはない概念で、60年代にヴェトナム戦争に行った人ならではの発言で、60年代にあこがれてる若造としては、めちゃ盛り上がったんですよ」 しかし、現実離れした話ですばらしい。(笑) ヴェトナム戦争に慰問に行ったときの話などもいろいろ聞いたという。中田さんは同年、マーヴァとヨーロッパ・ツアーも行った。 「マーヴァとヨーロッパ・ツアーに出たときのことです。マーヴァは、とにかく、昔ジェームス・ブラウンの自家用飛行機で旅をしていたこともあるくらいで、めちゃくちゃお嬢様。それに荷物がものすごく多いんです。たった6回の公演で、靴と洋服だけででっかいスーツケース3つもあるんですよ。それも日本じゃ売ってないような、超でかいスーツケースですよ。当然、飛行機では超過料金取られますよ。それは、僕が払うんで。(笑) だから、マーヴァに『荷物、多すぎるから少し減らしてくれ』って言ったんです。そうしたら、『リョー、今日ステージに立って、その同じ服や靴履いて翌日も写真撮られてそれがインターネットにでも流れてみ。あいつ、同じのしかもってないぞってバカにされるぞ。ジェームスは、楽屋にこんなに(両手をぐっと広げる)靴並べてたんだ。だからこれくらい必要なんだ。お前も、ちゃんと毎日違うもん着ろ』って言われたんですよ。なんでも、ジェームスが話の基準なんです(笑)。 あたしは、ミュージック・ビジネスのことをみんなジェームスから教わった。だから、今、あたしがあんた(中田さんのこと)に教えてやっとるんだ(笑)」 ■ グーで顔面 「あるとき、まだマーヴァがジェームス・ブラウン・レヴューにいたときのことです。(JBズのメンバー)ピー・ウィー・エリスとマーヴァが遊びで一緒に並んで、ハモンド・オルガンを弾いてたんだそうです。オルガン椅子ってこう、長いでしょう。そこに2人並んで。そうして楽屋に戻って二人きりになったら、いきなりブラウンからグーで顔面が~んと殴られたんだって。『お前、何やってんのや』って。『ジェームス・ブラウンの女が、その部下と一緒にオルガン弾いてるとは何事か』ってことなんでしょうね。すげえと思いましたよ。 それを聞いて、「JBってのは、狭量な男だなあ(笑)」と松尾さん。「まあ、ある意味、自らの小ささを知っていたからこそ、あれくらいの大きなことができたってことなのかもしれませんね」 中田さん。「付け加えると、実は『マーヴァ・ホイットニーはスターなので、バンドメンバーと仲良くしてはいけない』んですよ。基本的にマーヴァは、バンドメンバーと無駄話をすることを禁じられていたんです」 アイク&ティナ・ターナーの2人の関係を彷彿とさせるエピソードだ。 ジェームス・ブラウンの人心掌握術は、僕はかねてから田中角栄と似ているものを感じていた。そのあたりは、3人の意見が一致。中田さんから、マーヴァによるブラウンの人心掌握術の話も。 それによるとこうだ。たとえば、メイシオなんかが、待遇が悪い、ギャラが低いなどと文句を言うとブラウンは彼をクビにする。何ヶ月か経って、誰かにメイシオはどうしてるか調べて来いという。調べてきて報告する。田舎(生まれ故郷)で、たいして仕事はないみたいですよ、と。ブラウンはただ聞く。それからまた何ヶ月か経って、奴はどうしてるか、調べて来いという。スタッフが調べてきて、報告する。仕事はないみたいで、たいしたことはしてないみたいですよ、と。ブラウンは動かない。それからまた何ヶ月かしてスタッフに調べて来いという。仕事がなくてかなり生活にも困窮してるみたいですよ、と報告があがる。ブラウンはただ聞くだけ。そして何ヶ月か経ってまた調べさせる。かなり生活に困窮しているみたいで、自分の楽器を売ったか質屋にいれたみたいです、と。すると、そこでやっとブラウンは彼に電話する。「どうしてる? 戻りたいか?」 相手は「戻りたいです」と言う。そこで、ブラウンは以前の給料より安い値段でその男を再び雇い入れるのだ。ブラウンによれば、「余計な金をやると、ロクなことはない」という。すごいしめつけだ。 そういうこともあって、ブラウン・キャンプの人間は、出たり入ったりがひじょうに多い。一度クビになっても戻ってくることが繰り返される。まさにブラウン流ショー・ビジネスの掟だ。 これを聴いて、僕はジョージ・クリントンが同じようなボス的存在だということを感じた。そして、そのブラウンのミュージシャン掌握術が唯一きかなかったのが、ブッツィー・コリンズだという話をした。ブッツィーはクビになっても、若かったこともあり、また、シンシナティーでは実家に住んでいたこともあったのか経済的に困窮しなかったのか、あるいは、ミュージシャン仕事がすぐに次々入ってきたこともあってか、ブラウンの元には戻らなかった。それまでのブラウン・キャンプのミュージシャンより一世代若かったということも若干メンタリティー的に違ったのだろう。 ■ ブラウンの教え マーヴァも人に対するときに、ブラウンだったらこうするであろう、ということをやってくる、という。ブラウン仕込みということか。そして、マーヴァは、自分はブラウンからクビになったとは決して言わない。必ず「自分から辞めたんだ」と言うそうだ。 マーヴァは、一時期、往年のグループ、プラターズに入っていたこともあるという。松尾さんは、NHK-BSで『エンタテインメント・ニュース』の番組をやっていた頃、プラターズにインタヴューし、ライヴを渋谷公会堂でも見たことがある、という。たぶん、その中にマーヴァがいたような気がする、という。 「マーヴァは絶対同じライヴで、女性シンガーと一緒にやるのを嫌いましたね。同じショーでは、女性シンガーとは同じステージには立たなかった。相手の女性シンガーがどんな格下の新人でもね。で、言うんですよ、『リョー、お前、たとえばジョー・テックスと一緒のステージに出るか?』って。僕は、正直、ぜんぜん気にしないで出られるんですけど、その場では『いえ、出れません』って答えたんですけどね。(笑)」(中田さん) そのステージではあくまでワン・アンド・オンリーでなければプライドが許さないのだろう。 松尾さん。「まあ、いっときでも(マーヴァが)ジェームス・ブラウンの寵愛(ちょうあい)を受けたということは、私は一時期でも黒人音楽界のファースト・レイディーでもあった、と思ってるんでしょうね」 僕。「確かに。となると、マーヴァの中に、自分が落ち目という意識とかはぜんぜんないの?」 中田さん。「ぜんぜんありますよ。(笑) たとえば、グラディス・ナイトはええよなあ、一年365日、ラスヴェガスでショーができて~。あそこは家族でマネージメントやってるから、家族全員が潤って、金たくさん入って、あれは最高や、みたいに言ってます。おもしろいのは、アレサ・フランクリンとか、グラディスとかと、(自分を)基本的に並列に捉えてる。もちろんアレサが自分よりも歌がうまいということはわかってるんですよ。でも、それまでにいたるチャンスとかめぐり合わせとか、そういうのがいろいろあって、自分があそこまで行けたかどうかはわからんやけど、というのもあるんですよね。そうやって、(彼女たちと)並列に語るんで、そういうの聴いてると、僕もジェームス・ブラウンなれるのかって思っちゃったりもします(爆笑)」 … Continue reading

Posted in エッセイ | Comments Off

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1)

○YMN参集~松尾潔・中田亮・吉岡正晴(パート1) 【Yoshioka, Matsuo & Nakata: YMN Summit: Dinner With Soul Talking (Part 1)】 ノンストップ。 昨年(2009年7月)の『ソウル・サーチン:ザ・セッション~アイズレイ・ブラザース』のときに、松尾・中田両氏をご紹介したのだが、そのとき今度ゆっくり食事でもしましょう、という以前からの懸案が1年越しでやっと実現。3人の頭文字をとって、YMOではなく、YMNの会。 恵比寿「ソウル・ドレッシング」というソウルマンにとっては、絶好の場所で食事をし、そのまま「アリ・オリ」に流れるという王道の一夜。話はノンストップで約8時間ほど続いた。 冒頭、「よく考えてみると、この3人はみなジェームス・ブラウンに会ったことがあるんですね」と松尾さん。松尾さんは、サンフランシスコでミスター・ブラウンに振り回され、最終的に東海岸に向かう飛行場のラウンジでぎりぎりなんとか取材ができた、という話。すでに、どこかの雑誌に何度か書いたという話だ。中田さんは数年前(2002年か2003年)に、横浜アリーナでライヴを見たときに、JBフォロワーの第一人者、関さんを介して会うことができたという。中田さんがライヴを見たのは1992年の大阪城ホールが初めて。僕は2回目の来日を見て、何度か会ったが一番印象的なのは、オークラで一緒に食事をしたとき、あるいは自宅訪問したとき。松尾さん、「今日は、中田さんをインタヴューしまくりますよ~~(笑)」。 話題はとりとめもなく、川の流れのように。話した量は、松尾・中田・吉岡が4-4-2くらいの比率か?(笑) いや、4.5-4.5-1か?(笑) 以下は記憶の流れのままに、順不同。自分的には話したこと、話されたことのインデックス、という感じだ。 邦画の話(西川美和監督についてなど、僕はちんぷんかんぷん=(笑))、中田さんがサントラ若干絡んだ話、オーサカ=モノレールをはじめとする日本のインスト・バンドの話、そこからクール・スプーン、ゴスペラーズ、ライムスター、スチャダラパーなどを輩出したファイル・レコードはすごいという話、JBは、ソウル界のピカソだ、70越えても新譜出してた、すごいという話、オーサカがヨーロッパでのライヴを始めた話、そのツアーの苦労話、しかし、10年以上バンドをやり続けられることは、素晴らしいという話、そこからロンドンのライヴ・ハウス、ロニー・スコッツの話、ロニー・スコットの昔のガールフレンドの孫がエイミー・ワインハウスだという話(情報源・松尾氏)。 中田さんが最初に夢中になったのが、YMOだったという話、松尾さんが初めて音源制作にリミックスという形で足を踏み入れたときの話、僕がレコードの輸入を一番初めに始めたときの話、どう買って、どう売り始めたのかという話、中田さんがブラック・エクスプロイテーション映画『コフィー』を買い付けたときの話、僕と中田さんが初めて会ったのは、そのときのことで、もう10年くらい前になる、映画の買い付け、日本での配給は大変だという話、中田さんが今興味を持っている『ハーレム・フェスティヴァル』(1969年)という映画のような記録映像の話。 松尾さんが、昔12インチなんかに書いてあるレコード会社の電話番号に電話をしたという話、その時はジョスリン・ブラウンの家にかかったらしいという話、中田さんはロスのMGMの電話番号を調べて、直接電話したが、最初にかけた場所は同名のヘアサロンだったという話、同じく『セイヴ・ザ・チルドレン』(映画)の話、そのあたりから(『コフィー』主演の)パム・グリアの話になり、松尾さんが知り合ったRCAのA&Rマン、ケヴィン・エヴァンスの奥さんがパム・グリアだと知って腰を抜かしたという話、中田さんが映画をDVD化するにあたり、その特典映像を作るためにコロラドまで行ってパム・グリアにインタヴューしたときの話。 アル・グッドマン追悼話、松尾さんがNHK-FMでその追悼で何をかけるかという話(放送は8月4日水曜)、中田さんがAIを日本のアーティストでは一番好きだという話、最近の若い人たちの音楽の聴き方がMP3プレイヤーなどで、聴くのでミュージシャン、プロデューサー・クレジットもなく、アーティストが誰かさえもわからずに聴いている、アルバム単位で聴くことがなくなっている、という話。最近はたとえば、ケミストリーのアルバムをプロデュースした松尾さんの名前もプロデューサーというクレジットが配信ではないので、でてこないという話。中田さんは、ブラウン・ファミリーのディーヴァ、マーヴァ・ホイットニーと日本ツアー、ヨーロッパツアーを一緒に行っている。そのときは、移動中、ふだんからたくさんの話を直接聞いた。そのマーヴァ話。 このほかにもまだまだあったと思うが、この中から適当にピックアップして、明日以降にご紹介しよう。松尾さんが、この食事会が始まるまえに、「ブログネタになればいいですね」と言っていたと思うが、1日だけでは到底収まらないほどの濃い内容の座談会になった。(笑) そういうこともあると思い、僕はカセット(いまどき!=ICレコーダーではない)を持っていって話を録音し続けた。(笑) しかし、話に夢中になり、途中で電池が切れていたことに後で気づいた。(失笑) でも6時間分くらいは録音できていたみたいだ。 (YMN参集は、YMO散会をもじってるんですけど…) (この項つづく) ENT>ESSAY>YMN Summit

Posted in エッセイ | Comments Off

◆20周年記念~松尾潔さんと吉岡正晴

◆20周年記念~松尾潔さんと吉岡正晴 【Happy 20th Anniversary: Matsuo KC Kiyoshi & Yoshioka Masaharu】 20周年。 1990年7月、今から20年ほど前に、僕は青山1丁目にあった当時のワーナーパイオニアのオフィースで、当時新進気鋭のR&Bシンガー、ザン(Zan)のインタヴューをした。そして、僕の前にとある新進気鋭のR&Bライターが、ザンにインタヴューしていた。そして、その担当だったディレクターの田中さんが入れ替わるときにその人物を紹介してくれ、名刺を交換した。この人物が、誰あろう松尾潔さんである。 その後も、松尾さんとはライヴ会場などでよく顔を会わせ、顔なじみになっていくので、いつ初めて会ったのかを僕は忘れていたのだが、ここ数年、公私共に大変親しくさせていただいている。僕の『ソウル・サーチン』のイヴェントにトークで参加していただいたり、彼のトーク・イヴェントに僕が出たり、ライヴを一緒に見に行ったりしている。 そんな中しばらく前に、松尾さんが僕と初めて会ったのは、ザンのインタヴューをした日だ、ということを覚えていた。(彼は何でも細かいことを覚えている)そこで、僕はザンのインタヴュー・テープをひっぱりだした。(僕は何でもとっておく) すると、そこに1990年7月19日と書かれていた。つまり、このザンと会った日が松尾さんと初めて会った日ということになる。大げさに言うと、ザンが2人を引き合わせた? (いや、ザンじゃなくても、その後必ずどこかで出会ったと思いますが…(笑)) となると、2010年7月19日は、なんと2人が初めて出会ってちょうど20周年ではないか。ということで、しばらく前から、今年の7月19日になにか周年イヴェントをやろうとなり、19日にシャンパーンとケーキで20周年をささやかに祝うことにした。 Happy 20th Anniversary! 僕のことをご存知の方は、ご存知だと思うが、僕もなんでもとっておく派、何でもメモする派で、物をなかなか捨てられないタイプ。(メモしたことを忘れるとも言われるが) だから部屋が物であふれ散らかっていて非難される。『捨てる技術』といった本を買ったりしても、「そうそう、そうしなきゃ」と思いつつ、実行はできない。曰く「1年経って使わないものは捨てろ」。いや、ライナーとかアーティストのレコードなんて5年前、10年前のものをひっぱりだすことも多々ある。10年使わなくたって、20年目に使うかもしれない。ザンのCDなんて、松尾さんが持ってきて、僕は20年ぶりに拝んだ。ニュージャック・スウィングのサウンドで超懐かしかった。 書いたライナーノーツには、必ず、書いた年月日をいれる。これがどれほど重要な情報かあとになってわかる。ライナーを書く人には最低でも年月をいれてほしいと思う。インタヴュー・テープも年月日をいれる。これもあとになってその重要度がわかる。(たとえば、今回のように) 1986年9月以降は、原稿をワープロで書くことになった。以降の原稿は基本的にはデータが残っているのだが、それ以前のものは、現物を持っていないと原稿は残っていない。ワープロだと入力日が入るので、なにかと便利だ。 というわけで、松尾さんと初めて会った日が特定できたのも、「なんでも捨てられない派」だからだと思っている。(笑) (部屋が整理できないことの言い訳にしか聴こえない?(笑)) 20年前、新進気鋭のR&Bライターは、今や日本の音楽業界を代表するヒット・プロデューサーとなっている。ところで、ザンは最近、どうしてるんでしょうか。そして、元ワーナーの田中さんにも感謝です。松尾さん、これからもよろしくお願いします。次は25周年ですかね。(笑) +++++ ■ 松尾潔オフィシャル・ウェッブ http://www.nevertoomuch.jp/top.html ■ 松尾潔さんレギュラー出演中 NHK-FM『松尾潔のメロウな夜』 www.nhk.or.jp/mellow/ 毎週水曜日23:00~24:00 (毎月最終週はお休み) TBS『週刊EXILE』 www.tbs.co.jp/program/weekly_exile.html 毎週月曜日24:55~25:25 松尾さんは、12年ぶりにBMR誌(日本におけるブラック・ミュージックの専門誌)にコラムを書き始めています。 BMR 2010年8月号 bmr (ビーエムアール) 2010年 08月号 … Continue reading

Posted in エッセイ | 2 Comments